東京里山農業日誌

東京郊外で仕事のかたわら稲作畑作などをしていましたが、2012年4月に故郷の山口県に拠点を移して同活動をしています。

北九州域 史跡&観光地巡りウォーキング(4/11)

2018年12月16日 | 歴史探訪他ウォーキング

 大分県別府のホテルを出ると、最初に九重夢大吊橋に向かいました。この日は天候が悪く、朝から曇空で今にも雨が降りそうでした。しかし、天候が悪い割には気温が暖かいのは救いでした。私は、いつ雨が降ってもよいようにカッパを着ました。しばらく車に揺られていると、九重夢大吊橋の到着しました。残念なことに雨が降り出しました。

          日本一の吊橋である九重夢大吊橋を遠望


 この吊橋を渡る時、笠をさすことは厳禁とのこと。カッパを用意していなかった方は、ここで雨に濡れないようにポンチョを購入しました。私は入場券大人500円だけを購入しました。ちなみに、この吊橋は完成直後たいへん混雑したそうです。当時この橋を渡ったことがある方が「たいへん揺れて怖かった。」と言っていました。そのため、初めて渡る私は、最初びくびくしていました。

 雨が降る九重大吊橋前  入場券とポンチョを購入  恐る恐る吊橋に向かう
  

 この大吊橋は標高777m,川底からの高さ173m,そして長さ366mとのこと。私はどんなに恐ろしいかと身構えていました。しかし、歩いていると揺れをまったく感じませんでした。拍子抜けしました。立ち止まるとわずかに揺れを感じました。大勢の人が歩いていなかったことと、風が強くなかったためのようです。ただし、吊橋の真下を見ると、さすがに身震いしました。

 揺れの少ない大吊橋をのんびり歩く  小雨の吹き付ける中、遠くの景色を楽しむ
 

 大吊橋を渡り終えると、吊橋を渡らなかった方が乗る車を待ちました。車に乗ると、九重山方面に向かいました。九重山はとても思い出深い山です。20歳代の時、この山に知り合いと登りました。当時は車を持っていなかったため、便数がとても少なかったバスで来ました。九重山に登っていると、山登りする高校生やキャンプをする方々で賑やかったことを思い出します。山から降りた時、バスを1~2時間待ったように記憶しています。

レストハウスでトイレ兼休憩  休憩したレストハウス    原尻の滝に到着
  

 さて、九重山近くのレストハウスでトイレ兼コーヒータイム休憩をしました。そのレストハウスを出ると、次に原尻の滝に向かいました。川を横断するようにできた崖から落ちる雄大な滝を望むことができます。言わば小型版ナイヤガラの滝でしょうか。私は初めて来る滝です。その滝近くにある休憩所に車を停めました。

      今回巡った、北九州域 史跡巡りウォーキングのコース

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今年も美味しい干柿作り

2018年12月15日 | 樹木,果樹

 今年、我家では渋柿がなりませんでした。そのため、干柿作りを諦めていました。ところが、Eさんの家にたくさんの渋柿が届いたとのこと。ありがたいことに、届いた中から段ボール2箱分の渋柿をいただけることになりました。ありがとうございました。去年に続いて、渋柿の皮をむいて干柿作りをしました。お正月頃には美味しい干柿を食べることができると思います。

     皮をむいた渋柿、3週間ほど天日干しして美味しい干柿に


 12月になると、屋外でなくとも部屋内も十分寒くなります。そのため、雨が吹き込まない屋内で干柿を作っています。なお、この時期になれば消毒の必要はないとは思いましたが、念を入れてお酒を吹き付けて消毒しました。アルコール度50%のお酒を噴霧器に入れて吹き付けます。今年も美味しい干柿を食べることができそうです。

  ピラーで皮をむいている渋柿     柿を吊るすとお酒を吹き付けて消毒
 

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サトウキビの冬越し準備

2018年12月14日 | 麦,穀類,雑穀

 毎年12月初旬、サトウキビの冬越し作業をします。今年は猛暑だったためか、サトウキビがずいぶんと大きく成長しました。そのため、たくさんの冬越し用の茎を手にすることができました。来年の4月頃に茎を植え付けるのですが、春まで冬越しできる茎は50%位です。半分は冬越しできて、半分は傷んでしまい冬越しできません。

       冬越し用に30cm間隔で切断したサトウキビの茎


 経験的に冬越しできる条件が分かっています。一つの条件は必須で温度です。0度以下に下がると冬越しできないようです。もう一つの条件は湿度です。冬越ししている間に水分が蒸発してカラカラに茎が乾きます。私は暖かい部屋で保存しているのですが、一番寒い2月を越せるかどうかがポイントです。3月下旬になって茎が緑色を保ったままであれば冬越し成功です。茶色に変色するかその兆候があれば冬越し失敗です。この冬、何本のサトウキビが冬越しできるでしょうか。

  茎を刈り取る前のサトウキビ      冬越し用に茎を30cmごとに切断
 

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最後の綿の実を収穫し、強制乾燥と自然乾燥

2018年12月13日 | 綿栽培,糸つむぎ,織り,染色

 このところの寒さで、綿畑は枯れてしまった綿の木ばかりです。数千個もの綿の実が枝に付いたままです。半分近くの実は腐っていると思われます。しかし、まだ青い実もたくさんあります。使える綿をもしかして収穫できるかも知れません。今回ダメ元でそれらの実を収穫してみました。あきらかに腐っている綿の実は捨てて、千個近い青い綿の実を収穫しました。中腰姿勢での数時間の収獲、腰が痛くなりへとへとに疲れました。

       千個近い綿の実を、自家製の強制乾燥箱に入れる


 収穫した綿の実を強制乾燥するため、事前に自家製の乾燥箱を作っておきました。段ボールを組み合わせて、網の仕切りを敷いて、綿の実全体に温風が回るように工夫しました。また、綿の種が死なないように、弱い温風を送るようにしました。

 中に網の仕切りを敷く    段ボール二個重ね    弱い温風を入れる口
  

 なお、自然乾燥も試みることにしました。綿の木を根本から切って、雨のかからない軒下にぶら下げておくのです。時間はかかるかも知れませんが、綿や種を傷めることはありません。しかし、乾燥に時間がかかるため、湿った綿の実は腐敗が進むかもしれません。

  綿の木を何本か根本から切る       軒下で自然乾燥させる綿の木
 

 強制乾燥させる綿の実は、乾燥箱に敷き詰めた後に弱い温風を送り続けることにしました。温度管理するため、温度計を乾燥箱に入れました。さらに、湿度管理するために湿度計も入れておくことにしました。これから数日間、弱い温風を流し続けようと思います。うまく乾燥できれば、綿の実が割れて中の綿が出てくると思います。腐ったままの綿の実は黒く変色します。さて、何割の実から綿が収穫できるでしょうか。強制乾燥も自然乾燥も、来年の綿栽培と収穫に生かそうと思います。

 綿の実をどんどん収穫  実を乾燥箱に敷き詰める  弱い温風を流し続ける
  

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北九州域 史跡&観光地巡りウォーキング(3/11)

2018年12月12日 | 歴史探訪他ウォーキング

 富貴寺を出ると、次の史跡である熊野真磨崖仏に向かいました。磨崖仏と言えば臼杵磨崖仏が有名ですが、臼杵磨崖仏を巡っていては時間が足りません。そのため、短い距離と時間で見ることができる熊野磨崖仏になりました。しかし、距離が短いからと馬鹿にしてはいけまん。これでもか、と言うような急な石段を登ります。

        やっと来た熊野磨崖仏 表情に違いがある左右の磨崖仏


 国東半島は急峻な山々からできており、山岳信仰が盛んだったことが分かります。今でも、険しい山々を訪ねながら修行する方々がいるようです。熊野磨崖仏に向かう石段、普通の石段ではありません。途中までは石段なのですが、途中からバラバラに敷かれた石に変わります。小雨が降っていたため、丸い石はつるつる滑ります。

 受付で入場料を払う     最初は緩い坂道   だんだん険しくなる坂道
  

 登りは良いのですが、下りは恐る恐る下らなければなりません。熊野磨崖仏は臼杵の磨崖仏よりは規模が小さいのですが、目の前に現れた磨崖仏の大きさは圧倒的です。磨崖仏を掘った当時、足場を組むだけで大仕事だったに違いありません。修行の一環として石の壁に仏様を掘ったのではないかと思います。磨崖仏の上の方にある熊野神社を参拝してから石段を降りました。

 つるつるの石を登る     熊野神社を参拝     胎蔵寺に寄り見学
  

 熊野磨崖仏からの下り坂を滑らないように注意深く下っていると、胎蔵寺に行く分かれ道に来ました。せっかくなので胎蔵寺に寄って見学しました。そのお寺、受付に若い尼さんがいました。受付の部屋内にはお土産や修行中の写真などが貼ってありました。印象的だったのは、付近にあるいくつかの仏像に銀紙がペタペタと貼ってあることでした。お詣りした方々が貼るようでした。そのため、銀色に光る仏像があちこちにありました。

    別府駅近くの歓楽街を散策     美味しいお酒に夕食、楽しい夕べ
 

 熊野磨崖仏を訪れると、この日の史跡巡りは終わりです。宿泊する別府に向かいました。ホテルで受付を済ませて自分の部屋で一休みすると、歓楽街に繰り出しました。あるお店に入り、美味しいお酒を飲みながら夕食を取りました。そして、この日訪れた史跡巡りを思い出しながら歓談し、楽しい夕べを過ごしました。次の日、同じように史跡を巡りながら熊本に入ります。

       今回巡った、北九州域 史跡巡りウォーキングのコース

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平生町 大野北ウォーキングのための事前調査

2018年12月11日 | 歴史探訪他ウォーキング

 今年の冬、平生町大野のウォーキングを計画していました。ところが、大野は意外に広いことが分かりました。そのため、大野南だけをウォーキンしました。来年1月、行けなかった大野北をウォーキングする予定でいます。まずは、下見ウォーキングする前にざっとコースを事前調査しました。

           静かにたたずむ大野北の栓見神社


 ところが、山側の道が何ヵ所も崩壊していることが分かりました。何ヵ所も通行禁止になっていました。車やバイクはもちろん通行できませんし、徒歩でも蟹のように横歩きしかできない個所がありました。地元の方はとてもに不便かと思います。ある崩壊箇所では、崩壊箇所を避けるようにに巻き道ができていました。歩かないと買物に行けないのでしょう。

  おうちえん上の崩壊箇所        おうちえんから栓見神社への道
 

 さて、今回の事前調査の一番の目的は、おうちえんから栓見神社への道です。その昔、大野北に住む方はこの道を通って伊保庄に通っていました。おうちえんに寄ると、オーナーのOさんがおられました。うれしいことに一緒にその道を探索していただくことになりました。その道は、険しいものの歩けることを確認しました。しかし、山歩きに慣れた方でないと難しいと分かりました。

 栓見神社の石段       栓見神社の本殿      栓見神社奥の集落
  

 ところで、最も大きな崩壊箇所は萩原の道でした。道全体がそっくり無くなっているのです。道が突然崖っぷちになっているのです。歩くこともできません。たまたま平生町役場の方数人が来て、崩壊箇所の測量をしていました。また工事車両もきていました。聞くと、春までには復旧したいとのことでした。夏の大雨時、山陽本線の不通にばかり気をとられていましたが、平生町の山もあちこちが崩壊していたのですね。

    栓見神社の鳥居と夕日      JA南すおう平生から大野北を振り返る
 

 荻原をなんとか抜け、栓見神社に向かいました。最初、入り口が分からず右往左往しましたが何とか到着しました。この神社、鎮守の森に囲まれているようで気に入りました。たまたま夕日が当たって影が伸びて、さらに本殿前の広場の草がキラキラ光っていました。秋祭りなど、今でもお祭りしているのではないかと思います。栓見神社から奥に続く道を登りましたが、途中で道が消えていました。おうちえんへは行けないようでした。

        事前調査した大野北方面の道(×:崩壊していた道)

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田布施町 少年少女発明クラブ 工作の発表会

2018年12月10日 | ふるさと

 田布施町少年少女発明クラブ、4月に活動が始まってから8ヶ月が過ぎました。昨日、その活動成果の発表会がありました。発表会と言っても堅苦しい発表会ではありません。子供達が作りあげた工作の作品を、参列している保護者の方々に披露するのです。少年少女発明クラブは単に工作するだけでなく、自分の作った工作を自分の声で解説します。何故その工作を作ったのか、どんなところを工夫したのか、どんな所に苦労したのかなど話します。

     子供達,保護者,そして指導員の前で、自分の作った工作を解説


 とは言え、人前で話をすることが苦手の子供もいます。そんな時は、指導員が傍にいてガイドします。さすがに、6年生は自分の言葉で話をする子が多くいました。長い子は、3年生から6年生までの4年間を発明クラブで活動してきました。背の高さや、工作の上手さ、手際の良さなど、彼らの成長が見ることができて嬉しかったです。今後は、素敵な中学生に、さらには立派な大人になって欲しいと思いました。

   発表を聞く子供達や指導員       後ろで発表を聞く保護者の方々
 

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北九州域 史跡&観光地巡りウォーキング(2/11)

2018年12月09日 | 歴史探訪他ウォーキング

 宇佐神宮本宮に向かうため、宇佐神宮下宮からいったん戻りました。そして、本宮と下宮の分岐点に戻りました。戻る途中に大分県指定有形文化財の高倉がありました。高倉は、古代から貴重な文物を納めて守ってきたいわば倉庫です。通気性が良くなるよう床を高くした高倉様式で作られていることが多く、奈良の正倉院も高倉の一つです。

         広場が黄色い落葉で敷き詰められた富貴寺


 本宮に向かう坂道は小雨で濡れていました。そのため、滑らないように注意深く石階段を登りました。途中「夫婦石」と書いた案内板に矢印が書かれていました。どこにその石があるのだろうと目をこらして当たりを見渡しました。無いのであきらめて歩き始めました。その直後、その石の場所を教えてくれた親切な人がいました。その石はなんと、道にはめ込まれていたのです。

県指定有形文化財の高倉   はめ込まれた夫婦石    宇佐神宮本宮入口門
  

 夫婦岩を見終わると、しばらく石段を登りました。そして、宇佐神宮本宮に入る門をくぐりました。宇佐神宮は全国にある八幡宮の総本山です。鎌倉時代初期に武家が信仰する神社となってから数が一気に増えたそうです。この宇佐神宮の元は、近くに見える山にあったとのことが書かれていました。古代の人々は山や岩を信仰していたそうで、その信仰対象が時代と共に里に下りてきて神社になったとの説があります。宇佐神宮の由来をみると、その説が誤りではないように思えます。

   丘の上に建つ宇佐神宮本宮       お守りなどを販売する建物       
 

 宇佐神宮本宮向かい側にあるお守り販売の建物に立ち寄りました。そして、娘の安産のお守りと私のバイクに取り付ける交通安全のお守りを購入しました。宇佐神宮を出ると、次の史跡である富貴寺に向かいました。富貴寺に着くと、苔むしたような古い石段を登りました。門をくぐると、目前に富貴寺がありました。しかし、本堂内を見学することができなかったのは残念でした。本堂の周りを見学した後、その上に続く階段を登り周辺をあちこち見学しました。そして、次の史跡である、熊野磨崖仏に向かいました。

  富貴寺前の石階段     古い楼門をくぐる   石段を登り富貴寺本堂へ
  

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「2018 発掘された山口」展、及びおおばのフォトクラブ写真展示会の開催

2018年12月08日 | ふるさと

 明日から田布施町郷土館で「2018 発掘された山口」展示会が開催されます。その準備のため、山口市の山口埋蔵文化財センターから職員が来られました。そして、遺跡の写真,土器などの発掘品,そして古代の釜戸の模型などを並べておられました。田布施町は、古代の遺跡が県内で一位二位を争うほど多い町です。それだけに展示会も多く開催されます。

        郷土館前の「2018 発掘された山口)展示会の案内


 「2018 発掘された山口」展示会は2階で開催されますが、1階では「おおばのフォトクラブ写真展」が数日前から開催中です。田布施を中心にした風景写真などがパネルに展示されています。写真で思い出しましたが、私が初めてもらった初任給、カメラ一式に費やしました。写真を写すことが大好きで、山口県に帰省するたびに写真を撮っていたように思います。今では幻となった人島橋の写真を撮っていたのはとても貴重だと思います。

 発掘展を準備する方々    県内の遺跡の数々     フォトクラブ写真展
  

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北九州域 史跡&観光地巡りウォーキング(1/11)

2018年12月07日 | 歴史探訪他ウォーキング

 毎年12月はウォーキングしないことにしているのですが、県外の史跡を巡ってみようとの話が出ました。そして今回、九州の大分県,熊本県,そして福岡県の史跡(ついでに観光地も)を巡ることになりました。毎月のウォーキングは平均10km位歩きますが、今回のウォーキングは平均6km位のゆったりした歩きとなりました。各史跡間は車で移動しました。

           薄い霧に包まれた宇佐神宮下宮を参拝


 さて、田布施町を出発すると熊毛インターから高速道路に入りました。美東SAで休憩を取り、九州に入ると上毛PAで休憩を取りました。高速を降りると、最初の史跡として宇佐神宮に向かいました。平日のため、宇佐神宮はとても静かで駐車場も空いていました。車を降りると、参拝する前に昼食を取りました。私は、そのお店お勧めの定食を食べました。

  美東SAでトイレ休憩  九州に入り上毛PAで休憩   お昼頃宇佐神宮到着
  

 昼食を取ると、さっそく宇佐神宮を参拝しました。宇佐神宮は特別の思いがあります。それは、田布施町のほとんどの神社が、宇佐神宮から勧請されて建立されているからです。古代から田布施町は九州と関わりがあることが分かっています。たとえば、弥生時代の遺物として姫島産の石器材料(チャート)が見つかっています。はるか古代、海を通じて九州と交流があったのです。

     お食事処で昼食休憩         朱色に塗られた神橋を渡る
 

 表参道を抜けて大きな鳥居の下をくぐり、朱色に塗られた神橋を渡りました。たくさんの人が、橋の下を見ていました。下を見ると、たくさんの鯉が群がっていました。橋の上から餌をばらまいていたのです。どの鯉も大きく、まるまると太っていました。

   宇佐神宮宝物館     宇佐神宮儀式館      宇佐神宮下宮
  

 橋を渡ってしばらく歩くと、宇佐神宮宝物館がありました。さらに進むと、宇佐神宮儀式館がありました。その儀式館から少し歩くと道が左右に分かれていました。どの道も階段が上の方に向かっていました。どちらに行けばよいか分からなかったたため、下宮のある右の階段を登りました。しばらく歩くと宇佐神宮下宮に到着しました。

        今回巡った、北九州域 史跡巡りウォーキングのコース

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小麦畑に肥料をまく

2018年12月06日 | 麦,穀類,雑穀

 畑の栄養分は雨などと共に地下に落ちて無くなっていきます。そのため、畑は肥えた土作りや施肥が欠かせません。以前、麦作の施肥の効果を調査したことがあります。施肥の効果は絶大でした。水稲と違って「麦が肥料で取る。」との言われです。ただし、施肥し過ぎると倒れやすくなるなどの逆効果も分かりました。今の季節は麦が分げつする大切な時期です。今回、麦畑に肥料を施しました。

             肥料を麦に沿って筋状にばらまく

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小豆の刈り取りと天日干し

2018年12月05日 | 野菜:豆類ほか

 霜が降りたためか、小豆の葉がいっせいに枯れ始めました。これ以上成熟を待つ必要がないため、小豆の刈り取りをしました。実際には、根こそぎ抜いて天日乾燥しました。お盆頃に種まきしたため、それほど収穫量を期待できません。ぜんざい1回分か、小さな羊羹を作るか、あんこを楽しむ程度の収穫量になりそうです。

          根こそぎ抜いた小豆を、天日乾燥のため吊るす


 小豆の鞘を見ると、1割程度が青いままでほとんどの小豆は成熟しているようです。試しに一つの鞘を開いてみると、美味しそうな小豆が顔を出しました。一週間程度天日乾燥した後、くるり棒で小豆を取り出し、唐箕でゴミと豆を選別しようと思います。今年も美味しいぜんざいか羊羹を作ることができるでしょうか。

    成熟した小豆の鞘          美味しそうな小豆が顔を出す
 

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古い耕耘機のエンジンオイル交換

2018年12月04日 | 農機具,工具

 一番多く使っている農業機械は耕耘機です。管理機とも言われます。今使っている耕耘機は父親が使っていたもので、父親が亡くなって以降は私が使っています。30年以上使っている古い耕耘機です。この耕運機、エンジンオイルを交換したとの話を父親から聞いたことがありませんでした。つまり30年間一度もエンジンオイル交換をしていなかったことになります。まだまだ調子が良い耕耘機ですが、今回初めてエンジンオイル交換をしました。

           エンジンオイル交換中の耕耘機


 エンジンオイル交換する前に耕耘機を水平の位置に置きました。そして、エンジン底部のオイルを抜くネジを外しました。すると、30年間分のエンジンオイルがどばっと出ました。新しいエンジンオイルは薄透明ですが、不純物などが混じった真っ黒な廃オイルが出てきました。車もそうですが、今後も快調に使うためにもエンジンオイル交換は必要です。

 オイルを抜くネジ    真っ黒い廃オイルを排出  新しいエンジンオイル
  

 廃オイルを吸収した箱は、まだ廃オイルを吸収できる余裕がありそうです。もう一台の耕耘機のエンジンオイルも近々交換するつもりですので、その時に使用しようと思います。さて、新しいエンジンオイルを規定量入れた後、エンジンを動かして畑を除草耕耘してみました。心なしか元気になったように思います。この耕耘機、あと30年は使えたらと思います。この耕耘機と私、どちらが長生きするでしょうか。

   新しいエンジンオイルを挿入    規定量のオイルを入れたことを確認
 

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田布施町 麻郷 高塔ふれあいサロン会で歴史のお話など

2018年12月03日 | ふるさと

 10月は城南の生きがい教室で、城南の古代からの歴史をお話しました。今回は、麻郷高塔地区のふれあいサロンで高塔地区の成り立ちについて、古代から現代までの歴史についてお話をしました。なお、私は高塔地区の福祉委員でもあるため高塔公会堂で会場作りもしました。朝9時に公会堂に着くと、机や椅子を運んだりしました。

    大海仁子先生による「体調改善運動 頑張らない運動」の講習


 ところで、歴史のお話をする前の一時間、大海仁子先生による「体調改善の運動 頑張らない運動」の講習がありました。大海先生のお父さんは上関八島出身の画家川口健治氏です。2年前に八島の史跡巡りウォーキングした時に、生家近くを歩いたり小学校跡地近くにある絵画を鑑賞したことがあります。その時、大海先生のことを八島ふれあいセンターで聞きました。大海先生指導の元、がんばらない運動に私も参加しました。

  高塔公会堂に集合      会場の準備        大海先生の紹介
  

 大海仁子先生による講習が終わった11時頃、私は高塔地区の成り立ちについて歴史のお話をしました。終わったのが12時半頃でした。予定では幻燈機による「狼と七匹の山羊」を上演するつもりでしたができませんでした。声優の準備をしていただいた方々すみませんでした。その他、フィルム映画なども予定していましたが、やはりできませんでした。次回機会がありましたらやろうと思います。その後お弁当を食べてから、楽しいビンゴゲームをしてお開きとなりました。楽しいふれあいサロンありがとうございました。

  ふれあいサロンに参加された方々    お弁当後は楽しいビンゴゲーム
 

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田布施町郷土館 歴史展示会片付けと展示品配置替え

2018年12月02日 | ふるさと

 10月~11月に開催していた「田布施町の150年のあゆみ」展示会が終了しました。11月最後の日、この展示会の後片付けをしました。第二奇兵隊、富永有燐、加徳丸事件など幕末の展示物を片付け、その写真をなどを撤去しました。さらに、数十mの長さの年表を片付けました。そして最後に、パネルを片付けました。

           昔の道具の配置を変更、職業別に再編成


 なお、同時に昔の道具を展示している民俗資料室の展示を変更しました。今の展示は、倉庫のように置いてあるだけで一貫性がありません。来館された方々から展示室が倉庫みたいだとの指摘があるようです。それを改善するため、ここ数ヶ月をかけて少しずつ配置変えしています。最初にしたことは、同じ道具は選別して一つだけを展示することにしました。続いて、米作に関わる道具、大工に関わる道具、家庭用の道具など、なるべく職業別にまとめるようにしています。配置変えが終わると、説明板を取り付けようかと思っています。

  だいがらを農機具置場に配置変え    田布施町150年の歴史展案内を撤去
 

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