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ザックの中のリンゴが赤い

2017年09月11日 | 読書
 先日新幹線で読んだ車内誌の文章が今も心に残る。沢木耕太郎の連載している巻頭エッセイ、今回は「旅のリンゴ」と題されて、十六歳時の旅行の思い出と今年六月に同じ所を訪れたことを絡ませた内容だった。五十数年前に夜行列車で秋田駅に降り立ち、男鹿半島の寒風山を目指したときのエピソードが沁みてくる。


(akita benihoppe)

 おぼろげな記憶の中で覚えていることとして、寒風山へ歩いて向かっている道、そしてその帰路で、同じダンプカーに乗せてもらったと言うのだ。今年再び訪れた沢木は、ほぼ同じ時刻に昇ってみようと試み、列車、バス、歩きとその道をたどりながら、記憶を呼び起こしている。当然、今は声をかけてくれる車はない。


 沢木はこう書く。「十六歳のときの東北旅行はさまざまなところでさまざまな親切を受けた。旅先における私の性善説はこのときの東北旅行が決定的に影響している」それは、便利になったゆえに人間関係が希薄に見える世相を批判しているわけではないが、一抹の淋しさも漂う一節だ。旅の達人は全て呑み込んでいる。


 「リンゴ」とは、五十数年前に乗せてくれたダンプカーの運転手が、降りる際に一つくれたもの。東北一周する旅の間中、そのリンゴはザックの中に入れられたままだ。それは「もし何も食べる物がなくて空腹になっても、まだあのリンゴがあると思うと安心だった」からとある。リンゴの持つ赤さが印象づけられる。


 沢木はそれから長い距離を移動する際、ザックにリンゴを一つ入れておくようになったという。その習慣は自分のためと思うが、もしかしたら出逢う誰かのためになる可能性もある。そんな「リンゴ」を多くの人が持ち合わせていたら、幸せな世の中になるだろうな。間違っても「おもてなし」などと括ってはいけない。