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コミュニケーションとは持ち合うこと

2017年09月16日 | 読書
 コミュニケーションという言葉を、教育の仕事上の文章に使うことを少しためらってきた。それは、あまりに「ビックワード」であり、個々の受けとめ方に差があったり、またもし問われた時明確に説明できるかと迷いがあったりしたからだと思う。先週届いたある冊子の記事を読み、少し目が開かれた思いがした。


(兼六園)

Volume76
 「『コミュニケーション』を日本語に訳すのが難しいのは、言葉をやりとりするだけでなく、『やりとりの結果、何かを共有する』という概念まで含んでいるから。単に会話しただけでは、コミュニケーションは成り立ちません」

 お笑いコンビパックンマックンの一人、パトリック・ハーランが語ったことである。
 語源がコミューンであることを考えれば、日本語の「共」という概念を含むといっていい。つまり、何を「伝え合う」だけではなく、「持ち合う」という意味がある。

 とすれば、よく「コミュニケーション能力」と口にするけれど、それは積極性や伝達能力や豊富な話題提供力などを示しているわけはないことに気づく。
 相手や対象と一緒に何を「持ち合う」こと。
 そう考えると共感、説得、折り合い…などの言葉が浮かんでくる。

 「会話のキャッチボール」が、形式的なものから実質的なやりとりに向かう筋道は大事だなと思う。
 つまり話の中に共有できたり、認めあったりできる感覚が芽生えるといい。

 苦手意識の強い私たち日本人の多くに、パックンはいいアドバイスをしている。
 下記のようなことだ。漫才やトーク番組を見て学べることも多い。

 誰かに何か質問されたら、答えを一言で返すのではなく、「答えに何かをプラスして返す」という練習