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平成一顧、その前に昭和

2019年04月27日 | 教育ノート
 昨日メモした本のこともあり、自分にとっての「昭和」が何だったのか、少し気になった。31年間の平成を振り返るなら、ほぼ同量の時間を生きた昭和を抜きに語ることはできない。そんな殊勝な(笑)考えで、頭を巡らしてみて出た結論は「生きる方向が決まった時代」という、言ってみればごく単純なことだった。


 ポイントは、故郷で教職に就いたことと結婚したことである。職業結婚、この二つが幸福の大きな要素だとかの国分康孝先生も書いておられた。昭和の時代、それは普通のことだった。そしてほとんど疑問を持たずに、その後の平成を邁進、維持できたのだから幸せ(ある意味お目出たい)と言っていいのだろう。


 高校を出て教員養成の大学に入り、地元で教師になった。そのあたりは三年前に退職した時、回顧録的にここに載せてある(下掲)。平成への改元を区切りと考えた時、その前に民間教育運動、そして野口芳宏先生を初めとした実践者と出逢えたことがその後を決定づけたと言っていい。不勉強な学生時代から脱却できた。


 もう一つあることが浮かぶ。中味はともかく今もこんなふうに日常的に書くことの素地があったことだ。日記は三日坊主(ただ近頃は少しだけマシだが)だったが、書くことは苦でなかったと思い起こせる。時代を感じさせるがラブレター代筆、演劇脚本執筆など中学でこなした。高校入試の作文の点数も良かった。


 高校では学級ノートの笑話書きに熱中したこともある。大学入試も論文がある学校を受験した。ゼミは「詩と音楽」だった。フォークロックブームのなかで詞を書き続けていた。職についてからは、子供の日記への返事、学級通信書きを無我夢中でこなした。今思えば一本の棒のような存在になっているのかもしれない。


 言うまでもないが、自分の基盤は昭和で作られた。しかし「昭和の男」と呼べば一見格好良くても、その質はどうなのだ。右肩上がりの時代意識から完全に脱せないのは仕方ないにしても、その時代が育ててくれた良き習慣や感性等が今どう在るのか。平成を振り返るにあたって、心の隅に留めながら観ていきたい。


 ◇三年過ぎたら、もはや書いたことさえ懐かしい。回顧録たち。


カミナリ先生
 https://blog.goo.ne.jp/spring25-4/e/c85187bef780f2b0f4928d0bb94686c2

無能教師、春を待つ
 https://blog.goo.ne.jp/spring25-4/e/3d7485775a40376e178bee681437adfb

学級会への取り組み
 https://blog.goo.ne.jp/spring25-4/e/bf3b374d184228c604f73a9bf2d898df

ハリネズミ教師、かなり小さめ
 https://blog.goo.ne.jp/spring25-4/e/344d6b6119fdb4740d3abbfc3eb8bfbd

イノシシ教師、うまく回れず
 https://blog.goo.ne.jp/spring25-4/e/61b4823d47fcffde2e3c7f3fb290f8ab

ウナギ教師、上れたか
 https://blog.goo.ne.jp/spring25-4/e/1fb37ad71377356a3de1f16f08bfb5f7

ウナギ教師、蠢いている
 https://blog.goo.ne.jp/spring25-4/e/04e0ac90e13be88a2ff9e2eacca8bda9

長い時間が過ぎても
 https://blog.goo.ne.jp/spring25-4/e/6534f2827fc131ce346025229c1a5f0b