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平成一顧、10年~20年

2019年04月29日 | 雑記帳
 平成10年春、教頭を拝命し初任で勤務した学校へ。それから5年間を過ごした。ここも山間部小規模校。穏やかな同僚や住民に囲まれて楽しかった。ただ自分が管理職になったこととは関係なしに、教育や地方行政への風当たりが特段に厳しくなったのもこの頃だ。秋田では県庁の接待、交際費問題が浮上した。


 綱紀粛正を掲げた現場への締め付けは、多くの点で波動的に押し寄せてきた。ある意味でのんびりしていた学校に緊張感を持たせたと言ってもいいのだが、人を育てる環境として、寛容性や多様性が下がり、目標志向・効率優先がしみ込んできたと言ってよい。それは社会全体の成果主義に間違いなくリンクしていた。


 その時流に自分自身巻き込まれたことは認めざるを得ないし、費用対効果とか投資とかそんな言葉を使い学校を追い込むことに加担したかもしれない。反面、小規模校ならではの融通を効かして全校規模の活動や一人一人を生かすことに焦点化した活動など、結構好きにふるまった。今思うとどこか裏腹な気がする。


 教科実践に関しては依然ストックがあり、担任外ではあっても授業をそれなりにこなしてきた。ただ目の前の子どもたちを見据えて学びを創り出す、骨格が明確な実践を作りだした感は弱い。授業手法も徐々に新しい流れが出てきていた。それにすぐ馴染めない感覚も出てきて、吸収力の衰えを自覚するようになった。


 管外も含め三校8年の教頭生活を終え、平成18年に隣市の小学校に校長として着任した。そこに3年間勤め、実に楽しく充実した生活を送ることができた。十分に意思疎通ができる職場環境や地域の支えが懐かしい。書くことの発信は続けていたし、公私ともにネットを使った展開に手ごたえを持つようになった。