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『廃校先生』のページを開いて

2021年08月08日 | 読書
 先月、新潟の庭野三省先生より地元紙に連載している書評をまとめた冊子をいただいた。約5年間の集約、その継続力はいつも刺激的だ。『私の名作巡り』と題され、近代文学小説が主な対象である。縁の薄い分野であり圧倒される思いで眺めるのみだったが、中に最近の文庫本が一冊紹介されており、興味を持った。


『廃校先生』(浜口倫太郎  講談社文庫)


 私も当事者として閉校・廃校を経験してきただけに、この書名に惹かれないわけがない。楽しみにページを開いた。ただ小説としては…劇画チックというか、繊細な表現が乏しく、わりとベタな展開が多い。解説を読むと「放送作家として」との表記があり納得した。「学校エンタテインメント」として読むにはお手軽だ。


 ただ経験者として指摘できる、首を傾げる事項も多かった。地域差による事情ではないと思うが…、例えば児童数7人の学校で複式学級がない偶然、学年担任に対して別学年の副担任をさせる措置…そう設定しないと物語が動かなくなるか…いや、そんな箇所で読みが滞っては、物語として楽しめないと途中から反省した。



 前半部で「教育」「学校」について考えさせられる一節があった。「先生に向いている人の条件」だ。それが全体を貫くテーマにも見える。主人公の一人である新任女性教員が叔父に悩みをこぼしているとき、教育振興課に勤める彼が、校長から聞いた言葉として紹介する。「自分が先生に向いていないと考えている人や


 共感できる考えだ。もちろんそれが全てではない。ただ、重さや頻度は個人によって違うが、自己内部の葛藤なしに子どもに向き合うことは不遜と言える。様々なタイプの先生がいていい。子どもの前に立つ、後ろから押す、傍らで寄り添う…そして一歩離れ「目指す先生像」と対峙できなければ、務まらない仕事だ。
 つづく