すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

きっと大谷はよくみている

2021年08月02日 | 雑記帳
 五輪真っ盛り。勝負を分けるにはいくつかの要素がある。今、一番強い日本人なら、五輪には参加していないがあの大リーガーだろう。彼について伝説の勝負師はこう書いている。

 「大谷はバッターとしてはチャンスと、ピッチャーとしてはピンチと日々戦っている。これは私の勝手な推測だが、彼はチャンスよりもピンチのほうが好きなのではないか。彼はピンチを楽しんでいる。リスクを楽しんでいる」

 「雀鬼」と称される桜井章一の言葉である。大谷の構えの「力み」のなさを強調し、その活躍している姿の訳を語っている。テレビに映された場面だけで凡人は判断できないが、桜井であれば見抜けるのだろう。「勝ち続けるヤツは所作が美しい」とも記す。無駄のない所作とは、精神の在りかたの現れで間違いない。


 ふと思い出した語に「あざなう」がある。慣用句として「禍福はあざなえる縄の如し」が有名である。広辞苑によると「この世の幸不幸は、より合わせた縄のように、常に入れかわりながら変転する意」である。この「幸不幸」と「チャンス・ピンチ」も、同様のとらえ方が出来るのではないか。そしてどう向かうか。


 そのようなことはよく言われてきた。ただ、いかに心構えを作るか、勉強しなければと堅くなっては逆効果だ。桜井は「感覚」の大切さを貫いてきている。「知識」ではなく、「感覚を磨く」ことだ。それは人工物や一般常識を重視しないところから始まる。取り戻すためにまず「自然と触れ合うことが不可欠」という。



 養老孟司は一日に数分間「自然物」を見るススメをよく書く、桜井は薔薇園や公園ではなく、土手にある雑草や花をよく見に行く。そこに注ぐ眼差しが鍵になるか。一方で、満員電車の中でも乗客の様子に注視して「感覚を磨く」も可能と記す。観察は感覚を研ぎ自分自身をも俯瞰できる。きっと大谷はよくみている。