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四半世紀後に見る『大地の子』

2021年08月27日 | 雑記帳
 NHKBSPで7月中旬から再放送していた『大地の子』全11回(10時間50分)を見終わった。放送当時の平成7年は正直あまりドラマなど観る余裕もなかった。確かに中国の残留孤児問題は大きく報道されたが、関心が強かったとも言い難い。25年も経った今見ても理解しがたいことは残っているが、見応えはあった。



 ドラマの始まりである敗戦時の満州を描いた作品は結構あった。しかし、逃げ場所を求め、開拓団ごとに移動していく経緯のリアルさは印象的だった。また国同士の戦争が終わっても、個人の戦争はずっと残っていくわけで、大陸では多くの人たちが不幸を背負ったまま、生涯を歩む事実を見せつけられた気がする。


 典型的なのは、主人公の妹だった。生き残ったのはいいが、どこまでも貧しく悲しい連鎖を解き放つことはできなかった。あの大国の人民の暮らしの格差は今も時々話題になったりする。描かれた時期(70~80年代)であれば相当に大きかったはずだ。死期が近い重病人への接し方は、ある面で「土」との同化に思えた。


 びっくりしたのはその妹役が永井真理子だったこと。配役クレジットなど気に留めず見ていて、途中で「あれ、どこかで見た顔だ」と気づき、確かめてみた。調べて今も少し(笑)現役なことにも驚いた。上川達也は若くても達者だし、仲代達也はいつも変わらず、田中好子には戦争ドラマが似合う…そんなことを思った。


 原作の山崎豊子にとって『大地の子』執筆はずいぶん思い入れが強かったようだ。他作品もドラマぐらいしか馴染みがないが、共通して感じるのは「犠牲者への眼差し」か。誰かの犠牲の上に成り立つ成功や繁栄に対して、強い批判を持っている。それは今の我々に対しても向けられる。時々思い返してみたいことだ。