すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

その程度で生きる諦観

2021年08月26日 | 絵本
 15㎝×15㎝のサイズの絵本は幼児向けの書棚に収められるが、ヨシタケの作には『もしものせかい』のように、かなり哲学的な内容の本もある。この一冊も以前「読書」として紹介した。題名のシンプルさからは想像できない結構な展開である。来月、高校生に絵本レクチャーが予定されているので使おうと思い、読み直しする。


『あつかったらぬげばいい』(ヨシタケシンスケ) 白泉社2020.08


 「~~~たら(なら)」「~~~(すれば)いい」という見開きパターンで続いていく。冒頭が上の2ページ、次は「ヘトヘトにつかれたら」「はもみがかずにそのままねればいい」で、ごく普通の対処法と思いがちだが、その次はこうなる。「ふとっちゃったら」「なかまをみつければいい」…この、ずらし方が持ち味だ。


 「太ったら」と問題を仮定すると「食べるのを減らせばいい、運動すればいい、サプリを飲めばいい」と解決に向けて動き出しを促したくなるが、それを回避して問題を見えなくしていくパターンか。もちろん、全て似た思考ではないようだ。こんな問いかけもある。「よのなかが みにくくおもえて きちゃったら



 絵にも表しているが「ひかるがめんを みなきゃいい」と答えていく。これはシンプルな絶ち方の提言とでもいえばいいだろうか。大雑把な括り方をすれば、「対処はいっぱいあるよ」と語っている。そしてその多くは「逃げ方」だ。ヨシタケには、上手に逃げられない人が増えているという感覚があるのかもしれない。


 極めつけは「せかいが かわってしまったら」である。「じぶんも かわって しまえばいい」と応える。変化に対する価値観は人様々だろう。ただ、人間なんて所詮その程度で生きているという諦観がもとになっている気もする。自然な感情のままで過ごす大切さ。この絵本は「さむかったら」「きればいい」で終わる。