すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

内向き五輪の甘い罠

2021年08月05日 | 雑記帳
 火曜日朝刊の「解読 オリンピック」に、森達也が次のように書いた記事が目に付いた。

「57年前の東京五輪。菅義偉首相が国会でいきなり思い出を滔々と語り始めたアベベ選手やヘーシンク選手だけでなく、女子体操のチャスラフスカ選手など、多くの外国人選手が話題になった。でも今回の五輪で、これほどに注目される外国人選手はいるだろうか。あなたは名前を挙げることができるだろうか。」



 1964年その時、小学校3年生だった自分も視聴覚室の白黒テレビ(観音開きの戸付)を見た記憶があるし、上記選手だけでなく水泳のドン・ショランダーも強く印象づけられた。しかし今回は何だか日本人の活躍(そして不振)ばかりが気になる。外国のスター選手がいないわけではない。…森は、続けてこう書いている。

「明らかに日本人の関心がドメスティック(内向き)になっている。」


 日本人が日本選手に関心を持つことはけして悪くはない。しかし、五輪精神にのっとれば、どこか行き過ぎていて、おかしな流れになっていることに気づかされる。メダル数を連日話題にしたり、個人にスポットを当てて「物語」を強調したり…テレビが視聴率を上げるための演出に、みんなどっと乗っかっている。


 今回の五輪は様々な視点から語ることができる。個人として今の世界をどう見るかの踏み絵にもなっていると感じる。いずれにしろ、森の指摘にあるような傾向の強い自分や社会を、客観視できることは大切だ。それを巧く利用する輩に支配されないために…そいつらは「多様性」「夢」「希望」と甘い言葉で近づいてくる。