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英知の登場は願いのままか

2021年08月30日 | 読書
 自民党総裁選などどーーーーでもいいが、その後に総選挙があり、新しい政権がこの人を文部科学大臣にするというなら、精一杯拍手喝采を送る…しかしその可能性は極めて低いことは百も承知だ。今までも著書(新書程度だが)を読んできて、間違いなく日本が誇る英知だと思うし、誰か強烈に引っ張りあげないか。


『コロナ後の教育へ』(苅谷剛彦  中公新書クラレ)



 この本では冒頭「政策提言」のあり方の違いが「帰納型の英国 演繹型の日本」という一節で記される。この論法の違いの長短は無論あろうが、教職から身を退いた者の述懐としては「そうだな」という思いがした。「改革はいつも教室の戸の前で止まっている」とかつて我が師は語った。原因の一端はそこにある。


 学校教育には何年かごとに「流行語」のようにキーワードが登場してくる。その意味の捉え方にあたふたする様相を見せつつ、「現場はそうじゃない」と憤る教員は少なくなかった。いくら理想論をぶつけられても、生身の子どもを育て、変えていく現実との距離は、簡単に縮まりはしない。初等教育ではなおさらだった。


 著者は小学校における英語やプログラミングの導入に関して、この時代のスキルとして平等原則に則ってはいるが、コストや「生み出す結果」との関係に「熟慮が及ばない」と危惧する。まさにあれもこれもと要求され、優先するべきは何かに戸惑い、極めて底の薄い総花的な現場になりつつある今を見事に言い当てた。


 思えば昨春、唐突にトップが「学校9月入学」導入を言いだした時、「社会への影響」をいち早くデータ化し突きつけたのは著者たちだった。「本来行政が行うべき作業」が行われなかった国は、理想だけを語る政治家、それを忠実にこなす官僚だけでは危うい。深い洞察力を持ち、道を照らす存在の登場は叶わぬ願いなのか。