すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

考えて、姿を立ち上げる

2023年01月01日 | 雑記帳
 元日のブログ更新をずっと続けていることに、我が事ながら少々驚いた。最近は「紅白」ネタが多く、しかも途中で寝て、翌朝に続きを見る老人的?な視聴をしているのに、勝手に評価めいたことを書き連ねている。結局「好き」なんだね。この手のことが…。いろいろ言われても大晦日の夜は、まだ紅白が風物詩だ。


 それにしても「初めて見た人・グループ」が三分の一ぐらい。高齢者の認知度としては平均的だろう。選考基準はあるはずだが公開されてはいないし、要は「視聴率」ということか。だから「後付け」で話題性のある者や大物(笑)などを引っ張ってきて、年齢高めの視聴者にも配慮するわけだ。とっくにわかっているよ!!


 と、「人生幸朗のボヤキ漫才」のような調子になってしまった。口が滑るままに悪態をつくと、ブラボーは出過ぎだし、往年の歌手らの選曲が今一つ良くない。大トリの福山ももっと相応しいのがあったろうに…。観て良かったのは加山雄三と桑田佳祐らのバンドだな。これは好みもあるが、時代の象徴として印象に残る



 さて、2023年。どんな心掛けで臨もうかと考えているが、まだもやっとしている。起きがけに手にしたのは『「待つ」ということ』(鷲田清一)だったが、朝風呂で小さく声を出して読んだのは幾度目かの『残酷人生論』(池田晶子)の序論の一部。読んで明るくなる一節ではないけれど、この著と向き合って12年が経つ。

 生き方がわからない、死に方がわからないと思い悩む人々よ、あなたは生きることの何を、死ぬことの何を、あらかじめ信じていたというのか。


 「あらかじめ信じていた」ことなどない。求めている何かとは、きっと自分が作り上げよう、重ねようと意図したことの中にしかない。考えを整理するばかりでは見えてこないかもしれない。偶然を装って舞い込むこともあろう。しかし考えねば、その姿は立ち上がらない。一瞬を見逃さぬように、目を凝らしていく。