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影を見失わず生きる

2023年01月19日 | 雑記帳
 こども園の読み聞かせで使った『うさぎをつくろう』という絵本。以前にメモは残しておいた。表紙の折込部には、谷川俊太郎の600字ばかり文章が載っている。レオ・レオニのシリーズはほとんどあるようだ。今回のタイトルは「影の意味」。二匹のうさぎが影を持ち、「ほんものだ!」と叫んで終わる展開だ。


 さすが稀代の詩人は深いことを語る。「本当に実在しているものには、影があるのだということは、私たちも実際の人生でよく経験します。」当然、ここでは物理的な影だけではなく、それ以上?の意味も持たせているようだ。「光りあるところには常に影(陰)がある」…処世訓ともいえる。まあ光が薄ければ影も薄いか。



 「影は人生を立体的に豊かにするということを、レオニは見事な技術で造形しきっている」と言われればそういう気もするが、この寓話の意味を子どもはそこまで捉えられないだろう。大人であれば「影のある男(女)」に惹かれたりするのは、暗さの中で見えない部分の神秘性ということだし、その挙句に失敗もある。


 「心の闇」という表現がある。その深度はなかなか測れない。今も闇の中でさまよっている者は多い。諸々の犯罪が語られる時まさしくそこに居ると感じることもある。括りはしないが、当てられる光が不足していた者、光の強さに耐えきれなかった者が、自分の影を意識できないので、陥ってしまうのではないか。


 人間が人間たる由縁の一つに「火を使う」ことがある。それによって出来た影こそ、生物全体を照らす自然光による影と一線を画す。いわば人工的な営みの象徴としてある「光」。自ら発しても必ずそこには影ができ、その点を明確に意識できているか。つまり等身大の自分を把握しているか。影を見失ってはならない。