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桜と絵本と豆乳と

面倒くささを参考にする

2023年01月14日 | 読書
 雑誌リサイクルコーナーに残った『文藝春秋』を数冊持ち帰った。まず開いたのは2011年4月特別号。発売は、あの3.11の前だった。この号の特集として「これが私たちの望んだ日本なのか」という企画がある。各界から125名が原稿を寄せている。政権交代から一年半が過ぎ、進まない改革に様々な考えが示された。


 特集の問いに真正面から答えている鹿島茂(フランス文学者)の文章が小気味いい。「『その通り、これが私たちの望んだ日本なのだ』と答えるほかありません。犯人は自分なのです」と、理由として次のように記す。「戦後日本が上から下まで、全員で『面倒くさいことは嫌いだ』と考え、それを国是としてきたからです。



 これは12年後の今にも多く当てはまる。政治の動きについては置くとして、経済はその努力が「面倒くさいことの省略」に注がれてきたことは確かだ。便利さを追求するから当然だという向きもあるが、そうした「代行業」の拡大が、一人一人の精神に強く影響を及ぼした。精神の弱体化による現象は留まる様子がない。


 教育は「効率的な受験勉強と顧客満足度の高い教育のことばかり」が主流になって久しい。社会も学校もそして家庭も、「叱る」という面倒くさいことを避けてきて、その結果様々な問題が可視化されてきたと同時に、ネット社会の進行は、逆に闇を深くし複雑化させた。個と個との向き合い方も明らかに変質している。


 恋愛や結婚、出産、子育て等…面倒くささだけが強調される社会状況は、裏で発展した諸産業と結びついている。既に少子化は問題ではなく、たどりついた「」となって常態化した。「今は私たちが望んだ日本」なのだという認識なしに、これからを生きる人々が真に望む国の姿を後押しはできない。面倒くさく生きる。