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桜と絵本と豆乳と

参冊参校参稽(九)

2023年03月06日 | 読書
 先週から読み始めた三冊。併行して寝床や風呂場などでページをめくっていた。それぞれかなり異なる内容でありながら、なんだかつながってしまうのはただ自分に引き寄せているだけか。


『現代生活独習ノート』(津村記久子  講談社)

 8つの小説からなる短編集。著者の本はいくつか読み、印象深いものもあるが、どこかすっきりしない読後感も残っていた。今回、三つ目まで読み、その正体がなんとなく言葉として浮かんできた。「不機嫌」…登場する人物もそうだが、全体を覆う雰囲気がそれだ。四つ目からはほとんど飛ばし読み状態の中でもう一つ浮かび上がってくる。「不穏」…筋立てそのものより人物の動き、心持ちにそれを感じる。そもそも「現代生活独習」という熟語がそんなイメージではないか。たぶん「不機嫌」も「不穏」も小説を成り立たせる重要な要素だろうけど、好みでないものを読む必要も余裕もある齢ではないだろっ。





『老いの整理学』(外山滋比古  扶桑社文庫)

 これは再読。6年ほど前に読んでいた。きちんとした(笑)感想メモも残してある。さて、上記の単行本で欲求不満を抱えていた心に、外山先生は見事にいい「風」を吹かせてくれた。「いい気持ちで、おもしろそうな本、おもしろくはないが、ためになりそうな本を読む。わからぬところは飛ばす。気に入らないところも飛ばす。(略)本を読み切った感は格別だが、もともとたいした価値はない」…そんな考え方を「風のように読む」と称している。そして、考える。自然に重く感じる身体には逆らいようはないが、せめて心は風のように…。そのために読書を軽く考え、「共鳴」という発見を求めればいい。


『日記をつける』(荒川洋治  岩波アクティブ文庫)

 現代詩人としての名前は学生の頃から知っていたし、多少はその詩に触れた。しかし馴染みは薄く、書名に惹かれてこの新書を手にしたのだった。「共鳴」した箇所が多くある。非常に半端な形とはいえここ十数年、日記をつけている自分の立ち位置が少し見えてくるようだった。ブログも含めて「書く」行為への問いを深めてくれる気がした。幸田文のエッセイについて触れた文章は、こう記されている。「『興味をもつ』ということそのものがひとつの<ことば>に変わるのだ。ものごとだけでは、じきに沈んでしまう。<ことば>になることで、文章は羽根をつける。」小さく薄い羽根であっても、誰かのもとに届けばという願いはある。