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参参参(十二)生きる日常

2023年03月23日 | 読書
 いい陽気になったが、花粉症の超ベテランは外出制限中で、読書ははかどる。


『無人島のふたり』(山本文緒  新潮社)

 著者の『自転しながら公転する』は印象深い一冊だった。しかしその後は読者にはならず、今回は角田光代の書評を目にして手に取ってみたくなった。小説ではなく日記。余命4ヶ月と告げられた作家が喘ぐような毎日を送っている。先日、夫婦で誰かの言葉に頼って「がんで死ぬことは案外幸せかもしれない」と話したばかりだったが、所詮当事者ではなければ深刻さも生まれない。その意味では相変わらず軽薄な口を恥ずかしく思う。「逃げても逃げても、やがて追いつかれることは知っているけど、自分から病の中に入っていこうとは決して思わない」…これが現実だ。「闘病記ではなく逃病記」を淡々と読んだ。





『コトづくりのちから』(常盤文克  日経BP社)

 ビジネス書の分類になるだろうが、生産系の企業経営だけではなく様々な例を引きながら、「モノづくり」と「コトづくり」の関係性を紐解いているイメージだ。単に物体と出来事のように単純化できない。自分で文章を書くとき時々迷う一つに、「もの」と「こと」の使い方がある。「物事」が「すべてのもの、一切の事物」を表わすことから考えて、切り離して考えにくい語だ。しかしあえて分析的に考察している箇所が興味深かった。「コトはモノをモノたらしめる基礎」「コトは『言』と『事』の二つ」「モノは原理・法則・不変で、コトは非原理・一回性・可変」という著者なりのまとめは、非常に刺激的である。



『人生のお福分け』(清川 妙  集英社文庫)

 著者の名は初めて知った。文筆家とでも言えばいいのだろうか。古典評論や映画解説、エッセイ等の出版物があるようだ。洒落た題名だなと感じて手に取った。「お裾分け」という語はよく使うが、「お福分け」は一般的ではないだろう。しかし意味はよく分かる。著者自身もある愛読者からの手紙で知った語であり、それから積極的に使い始めたと記してある。「古典を親友に」「ひとりは愉しい」「ていねいに生きる」…この三つの章で構成されていて、著者が様々な人と関わるなかで、常に他者の動きを誘っていることに気づく。自分が分けられる「福」とは何だろうと思わされる読後感があった。