すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

啓蟄から日記

2023年03月10日 | 雑記帳
3月6日(月)
 啓蟄。今年はあまり雪が降らず、土中の虫たちも少しは早く動き出す準備をしているのだろうか。この頃やや過食気味なので、お昼はカップヌードル1個に留めた。久しぶりに食べるとこれも良し。今晩のWBC強化試合には大谷らが出場する。楽しみでならない。二打席目の片膝をついたホームランにはドデンした。



3月7日(火)
 午前中は、消防記念日のネタで図書館ブログをアップ。その後読み聞かせに向かう。今回のこども園は年少組も入るので正直少しやりづらい。語りとしては収まったにしろ、多様な反応になるので今年度最終回の出来としては不満が残るなあ。午後からは2月末より取りかかった紙芝居整理。ひとまずリストが出来た。


3月8日(水)
 今日は国際女性デーということで、関連蔵書をピックアップしてみた。その後、館内で打ち合わせ。読み聞かせの会の方へ教委から連絡が入り、春休みの放課後児童教室での読み聞かせの依頼があった。もう一回やれるなら、きちんと締め括りをしたい。ネット書店で1冊50円で10冊購入した本が届く。凄い時代だ。




3月9日(木)
 何故WBC初戦をTVで観られないのかと少しイライラする。ネット契約はしたくないし…。天気は良いが花粉警戒で外には出ず、音楽視聴などで過ごす。読書もかなりのペースで進んでいる。語呂合わせの39dayなので「ありがとう」をテーマにブログアップ。BGMはUruのカバーで「3月9日」。やはりいい曲だ。


 3月10日(金)
 この頃また早く目覚めるので、小説読みが進む(苦笑)。今朝は少しぐずついた空模様。花粉持ちにはいいか。地域文集の紹介する詩作品選びをする。それから読みたいと思わせられる絵本を一冊見つけた。再来週にできるだろうか。今日は金子みすゞ忌。山口で矢崎節夫の講演を聴いてから、もう30年近く経った。

わかったような気になるな

2023年03月08日 | 雑記帳
 「物語」という語は「散文の文学作品」が最も一般的な意味だが、「ある事柄について話す、語り伝えられてきた話」という語義から、物事全般のストーリーもしくはヒストリーという点が強調され使われている。例えば「商品を買うことは、背景にある物語を買うことなんだよ」などという言い回しをよく聞く。


 ある雑誌で文筆家千野帽子の「物語の力とは?」という文章を読み、一つ考えが深まる気がした。千野は「何かの出来事を理解しようとする時」に「時間の概念とセットして捉えないと、ちゃんと理解できない」と、ごく当たり前の論理ながら、「世界を物語としての理解」することの人間の習性について語っている。





 つまり「因果関係」を明らかにして物語を「なめらかに」すること。それによって出来事はわかる感じがする。「どうやら私たちは、出来事の意味を『わかりたい』生き物のようです」の一文は腑に落ちた。毎日報道されるニュースで繰り返される様々な「動機」「経緯」などの説明があればこそ、意味は掴めるのである。


 ところが現実には容易にはっきり掴めない出来事もある。ロシアのウクライナ侵攻や北朝鮮の国内外の動きなど、身近に感じる典型だ。我が家夫婦の「何故こんなことをする。大変な目に遭っている人たちは…」という繰り言は、その因果関係を正確に把握できない、「攻撃」する側の物語を吞み込めない象徴でもある。


 おそらく地政学の知識で語られる因果関係はあろう。しかしそう思っても正直、不条理と捉えてしまいがちだ。その心性のままでTV等で溢れる情報の都合のよい部分をつなぎ合わせ「物語」をつくっていいのかと立ち止まる。国中でそれが多勢になり充満すれば、さらに不幸な現実へ突き進む予感がする。警戒せねば。

参冊参校参稽(九)

2023年03月06日 | 読書
 先週から読み始めた三冊。併行して寝床や風呂場などでページをめくっていた。それぞれかなり異なる内容でありながら、なんだかつながってしまうのはただ自分に引き寄せているだけか。


『現代生活独習ノート』(津村記久子  講談社)

 8つの小説からなる短編集。著者の本はいくつか読み、印象深いものもあるが、どこかすっきりしない読後感も残っていた。今回、三つ目まで読み、その正体がなんとなく言葉として浮かんできた。「不機嫌」…登場する人物もそうだが、全体を覆う雰囲気がそれだ。四つ目からはほとんど飛ばし読み状態の中でもう一つ浮かび上がってくる。「不穏」…筋立てそのものより人物の動き、心持ちにそれを感じる。そもそも「現代生活独習」という熟語がそんなイメージではないか。たぶん「不機嫌」も「不穏」も小説を成り立たせる重要な要素だろうけど、好みでないものを読む必要も余裕もある齢ではないだろっ。





『老いの整理学』(外山滋比古  扶桑社文庫)

 これは再読。6年ほど前に読んでいた。きちんとした(笑)感想メモも残してある。さて、上記の単行本で欲求不満を抱えていた心に、外山先生は見事にいい「風」を吹かせてくれた。「いい気持ちで、おもしろそうな本、おもしろくはないが、ためになりそうな本を読む。わからぬところは飛ばす。気に入らないところも飛ばす。(略)本を読み切った感は格別だが、もともとたいした価値はない」…そんな考え方を「風のように読む」と称している。そして、考える。自然に重く感じる身体には逆らいようはないが、せめて心は風のように…。そのために読書を軽く考え、「共鳴」という発見を求めればいい。


『日記をつける』(荒川洋治  岩波アクティブ文庫)

 現代詩人としての名前は学生の頃から知っていたし、多少はその詩に触れた。しかし馴染みは薄く、書名に惹かれてこの新書を手にしたのだった。「共鳴」した箇所が多くある。非常に半端な形とはいえここ十数年、日記をつけている自分の立ち位置が少し見えてくるようだった。ブログも含めて「書く」行為への問いを深めてくれる気がした。幸田文のエッセイについて触れた文章は、こう記されている。「『興味をもつ』ということそのものがひとつの<ことば>に変わるのだ。ものごとだけでは、じきに沈んでしまう。<ことば>になることで、文章は羽根をつける。」小さく薄い羽根であっても、誰かのもとに届けばという願いはある。

心折れないで、Birthday

2023年03月05日 | 雑記帳
 いつだったか雑談中に「今年は百歳の三分の二の年だ」と口にしたら、周りに笑われた。もちろん百歳まで生きられる保証もないし、検査数値からみれば到底無理な話だし、そして強く願いもしないが(そう言いつつ微かな望みも持っていたりして)、そんなふうに数的な区切りを求める心ってなんだろうなと自問する。


 朝の寝床で、昨日から読み出した『諦念後~男の老後の大問題』(亜紀書房)を読了する。コラムニスト小田嶋隆の文章である。彼の斬り口が冴えまくる一冊。「死ぬことに関しての特段の心構えはいらない。生きてさえいれば必ず死ねる。心配は無用だ」となんと痛快なことよ。私より一歳年下の切れ者は昨年亡くなった。


 実は先週生まれて初めて「数独(ナンバープレイス)」に挑戦してみた。家人が新聞を見てやっていたのでオレならもっと…というゲスな考えが湧いたのだ。結果、順調に見えて終盤で困難するパターン、3問中1問だけのクリアに留まった。敗戦処理をしてみると、「詰めの甘さ」という我が欠点が見事にあぶり出された。





 今日はよく晴れた。日曜だが仕事があるということで孫が朝から来ている。「こんな空なら堅雪だな」と、近所の学校のグラウンドに誘い出したはいいが、冷えが足りなく足が嵌る苦労をしつつ、戯れ遊びに付き合った。帰り道は久しぶりに神社に寄って生き延びられている感謝、そして一同の健康のため手を合わせた。


 花粉が怖いのであまり無理せず録画視聴する。ドラマが主だが音楽番組も多い。NHK「桑田佳祐特集」をつけてみた。全くの思い込みだがこの同齢のスターとは、ずっとつかず離れず接してきた。今日は、数年前発表した「SMILE〜晴れ渡る空のように〜」がなかなか沁みる。軽さを纏う桑田の真骨頂を感じる一曲だ。

 ♪心折れないで でなきゃ勝利は無いジャン 
  素晴らしき哉 Your Smile♪


その選手の姿は利用される

2023年03月03日 | 雑記帳
 図書館ブログの蔵書紹介のネタ探しで、「今日は何の日」というサイトをよく検索する。3月2日分をみていて、面白いなあと思ったことがある。3と2の語呂合わせで「ミニ」はごく普通だが、さらに探したら「野球用語の日本語化」が決められた日とあり思わず読み込み、WBCと合わせ野球本紹介の導入にした


 戦時下でそういう出来事があったことは有名だし、ストライクを「よし」と審判が叫ぶのも間抜けな感じがして記憶に残っている。簡単に競技を禁止できないほど野球人気が高かったことも頷ける。戦前からの脈々とした歴史が戦後の大人気につながり、多少陰りが出てきたとはいえ、スター選手の輝きは失われない。





 さて、用語の日本語化だけでなく、実に興味深いルール改正もあったことを知った。「打者は球をよけてはいけない」「選手の途中交代禁止」「Xエックスゲームの廃止(後攻チームの勝ちが確定していても9回裏の攻撃を行う)」「コールドゲーム、サヨナラゲームの廃止」である。これは、実に日本人的と言えはしまいか。


 つまり、戦時下における「逃げない精神」「最後まで戦い抜く精神」「敵を徹底的に打ちのめす精神」が強く意識されているので、合理的な考えとかけ離れた、非常識と言っていいルールが出来上がった。研究者は「その心持ちを選手の姿を通して野球ファンに浸透させる狙いがあった」と考察している。一種の洗脳か。


 今昔問わずスポーツ選手の姿は利用されやすい。純粋に競技を追求する者は当然多いが、プロ選手に限らずそれは観客、視聴者にどんなふうに映り、どんな精神に作用するのか、プレーヤー自身考えざるを得なくなっている。もちろん観る側も注意深くあらねばならない。楽しみの裏側の要素に目配りを怠らないことだ。

参冊参校参稽(八)

2023年03月02日 | 読書
 2月下旬に読了したのは次の三冊。ますます娯楽的だがメモを残すことは悪くない。


『本の読み方 スローリーディングの実践』(平野啓一郎 PHP新書)

 この新書は再読。もう書棚にはないはずなので古本屋でまた買い求めた。4年前にここに感想メモを残している。最近、ますます読み方が雑になっている気がするが、再読自体はスローリーディングと言っていいし、その意味では教えを守っている(笑)か。「とにかく、大切なのは、立ち止まって、『どうして?』と考えてみることだ」…この一節は芯の一つ。読者の立場からいうと、そうならざるを得ない本との出逢いを求めているのだが…。それは受動的と言えるかもしれない。価値あるものを見逃さないためにゆっくり歩く習慣こそ肝要、と書いてしまうと生活全般に通ずると合点する。





『矜持 警察小説傑作集』(今野敏、佐々木譲、他  PHP文芸文庫)

 小説であってもふだんは筋を追う読み方をしてしまう自分。そうなれば警察モノが合うのは当然だ。かと言ってあまり多く読んでいるわけではなく、「隠蔽捜査シリーズ」以外はこうしたアンソロジーに手を出す程度だ。上掲の新書の学びを生かすとすれば、このジャンルの魅力の一端は、主人公や登場人物のキャラが立ちやすいこと。それは警察組織という背景が明快であり内部格差が大きいからだ。典型的な上意下達の存在、建前と本音がせめぎ合うなかで、事件等の解決に奮闘する人物が描かれる。そこに放たれる個性は多種だが、それほど複雑な要素がなく、わかりやすく人生を見せてくれるというところか。



『本が紡いだ五つの奇跡』(森沢明夫  講談社)

 初めて読む作家。五章仕立てで人物をつなぐ構成だ。始まりから妙に読みやすく、するするっと入ってくる。少し物足りないほどにスムーズ。ありがちと言えばそれまでだが、ハートウォーミング的な話とはさりげなさが下地になるだろう。台詞づくりの巧者かもしれないと感じた。キーとなって人物たちの心を動かす「小説」の中の一節「人生は雨宿りをする場所じゃない。・・・・」はもちろん、これなんかもいい。「人生の選択肢には正解なんてないけど、でも、いつか、その選択が正解だったって、胸を張って生きること。そういう生き方こそが、きっと正解なんだってさ」。映像化されやすい雰囲気が伝わる。