労働者階級が地盤沈下して、先進国での多くの国民の生活レベルが低下してきていることを考えていた時、昔好きだったスタンダードジャズの曲、「Born to be blue」を思い出しました。やはり人生いろいろ楽しくないことが多いと悲しい曲をより思い出すのでしょう。私はこの曲をヘレンメリルのレコードで知りました。この曲は変わった和音進行を持つ曲で彼女のささやくような声とあいまって不思議なもの悲しい雰囲気が醸し出されています。スタンダードなのでエラフィッツジェラルドも含めていろんな人が録音していますが、不思議とヘレンメリル版が私には一番しっくりきます。「some folks were meant to live in clover, but they are such a chosen few」という出だしの歌詞で、私は「live in clover」という成句を覚えました。つまり最初から少数の裕福な人は決まっていると歌っていてるのです。私(つまり、大多数)はブルーになるように生まれついているという歌詞は、現在の格差社会にそのまま当てはまるようです。因みに歌そのものは1946年に発表されています。
ヘレンメリルは日本でも人気のあった白人ジャズシンガーですが、彼女の代表作といえば、天才トランぺッター、クリフォードブラウンと競演したデビューアルバムで、「Born to be blue」もこのアルバムに収められています。私も高校、大学生のころはこのレコードを愛聴していました。声量はないのですが、ちょっとハスキーな声で控えめに歌う所が、日本人の琴線に触れるのかもしれません。1954年のレコード発表当時は、サラウ゛ォーン、エラフィッツジェラルド、ビリーホリデイらの大御所の黄金期ですから、白人シンガーで声量がないヘレンメリルのこのデビューアルバムがヒットしたのは不思議に思えます。クリフォードブラウンを投入した文字通り鳴りもの入りのデビューレコードだったのでヒットしたのかもしれません。因に、このレコードがクリフォードブラウンの最終録音らしいです。クリフォードブラウンが天才トランぺッターであることには私は何の異論もありません。気に入らないのはあんなに若くして、あれほど完成度の高いソロを吹ける完全無欠の天才ぶりでしょうか。作曲の才能にも驚きます。彼のもっともよく知られている曲「Joy spring」は、後年マンハッタントランスファーの歌でも再ヒットしましたが、そのメロディー、複雑でありながら高度に構成されている和音進行(当時の作曲スタイルでの完成系と行っても良いかもしれません)、「うーん」と唸らされます。他のジャズ史に名を残す大物トランぺッターで(例えばマイルスデイビスやディジーガレスピーなんかを思い起こしてみても)彼程の無欠の天才さを誇った者がいたでしょうか?クリフォードブラウンは26歳で交通事故で亡くなってしまいました。音楽家としての活動はたった4年余りでありながら、現代にいたるまで強い影響を与え続けています。夭折が神話を促進するのはよくあることでしょうが、それにしてももうちょっと長生きしてもよかったのにと思います。バンドの相棒であったドラムのマックスローチもつい2週間前に83歳で亡くなってしまいました。クリフォードブラウンと同い年のヘレンメリルはまだ歌手活動しているみたいです。さて、クリフォードブラウンは別にしても、このヘレンメリルのアルバムはよく出来ていると思います。私はとりわけ「What’s new?」が好きでした。おそらくこの曲がヘレンメリルの代表作と言ってよいのではと思います。大阪梅田の駅前第二ビルの地下に同名のジャズ喫茶があって、高校、大学生の時には時折いきました。当時、シンセサイザーメーカーのローランドが駅前第三ビルにショールームを持っていて音楽好きの学生や社会人のたまり場になっていたのですが、そこが混んでいて遊ぶ場所がない時に、もっとも近いジャズ喫茶であった「What’s new?」に行くという感じでした。もっともその他の音楽喫茶同様、当時でさえ「What’s new?」は、一般客のために音量を絞ってあって、ジャズを聞きにいく場所という感じではありませんでした。ヘレンメリルのこのアルバムには、それ以外にも「S’ wonderful」「You’d be so nice to come home to」などの名曲が収載されています。今知りましたが、このレコードの編曲とプロデュースはクインシージョーンズでした。多くの非ジャズファンの日本人同様に、私がクインシージョーンズを知ったのは、「愛のコリーダ」がヒットした時でした。最初はポップ曲の作曲家だと勘違いしていました。(ジャズが死んだといわれてから、多くのジャズ演奏家が既存のいろんな演奏スタイルを試み、単純な8ビートを基調とするロック音楽のリズムを使うのが流行りました。当時、クロスオーバーとかフージョンとかいわれていたように思います。)ヘレンメリルのデビューは、(私の推測なので何の根拠もないですが)多分、最近のノーラジョーンズみたいなノリで、白人リスナー向けにアイドルを売り出そうとしたのでしょう。いずれにしてもレコードのできは悪くありません。そして、ヘレンメリルは日本やヨーロッパで生き残ることができました。もうレコードは手元にありません。こつこつ買い集めたジャズのレコードは、大学生の頃に中古レコードショップで小銭に替えてしまいました。さよならだけが人生だと呟きながら、元町商店街の脇道をそれたところにあった中古レコードやの狭い階段をレコードの入った段ボールを担いでのぼったことを思い出します。
ヘレンメリルは日本でも人気のあった白人ジャズシンガーですが、彼女の代表作といえば、天才トランぺッター、クリフォードブラウンと競演したデビューアルバムで、「Born to be blue」もこのアルバムに収められています。私も高校、大学生のころはこのレコードを愛聴していました。声量はないのですが、ちょっとハスキーな声で控えめに歌う所が、日本人の琴線に触れるのかもしれません。1954年のレコード発表当時は、サラウ゛ォーン、エラフィッツジェラルド、ビリーホリデイらの大御所の黄金期ですから、白人シンガーで声量がないヘレンメリルのこのデビューアルバムがヒットしたのは不思議に思えます。クリフォードブラウンを投入した文字通り鳴りもの入りのデビューレコードだったのでヒットしたのかもしれません。因に、このレコードがクリフォードブラウンの最終録音らしいです。クリフォードブラウンが天才トランぺッターであることには私は何の異論もありません。気に入らないのはあんなに若くして、あれほど完成度の高いソロを吹ける完全無欠の天才ぶりでしょうか。作曲の才能にも驚きます。彼のもっともよく知られている曲「Joy spring」は、後年マンハッタントランスファーの歌でも再ヒットしましたが、そのメロディー、複雑でありながら高度に構成されている和音進行(当時の作曲スタイルでの完成系と行っても良いかもしれません)、「うーん」と唸らされます。他のジャズ史に名を残す大物トランぺッターで(例えばマイルスデイビスやディジーガレスピーなんかを思い起こしてみても)彼程の無欠の天才さを誇った者がいたでしょうか?クリフォードブラウンは26歳で交通事故で亡くなってしまいました。音楽家としての活動はたった4年余りでありながら、現代にいたるまで強い影響を与え続けています。夭折が神話を促進するのはよくあることでしょうが、それにしてももうちょっと長生きしてもよかったのにと思います。バンドの相棒であったドラムのマックスローチもつい2週間前に83歳で亡くなってしまいました。クリフォードブラウンと同い年のヘレンメリルはまだ歌手活動しているみたいです。さて、クリフォードブラウンは別にしても、このヘレンメリルのアルバムはよく出来ていると思います。私はとりわけ「What’s new?」が好きでした。おそらくこの曲がヘレンメリルの代表作と言ってよいのではと思います。大阪梅田の駅前第二ビルの地下に同名のジャズ喫茶があって、高校、大学生の時には時折いきました。当時、シンセサイザーメーカーのローランドが駅前第三ビルにショールームを持っていて音楽好きの学生や社会人のたまり場になっていたのですが、そこが混んでいて遊ぶ場所がない時に、もっとも近いジャズ喫茶であった「What’s new?」に行くという感じでした。もっともその他の音楽喫茶同様、当時でさえ「What’s new?」は、一般客のために音量を絞ってあって、ジャズを聞きにいく場所という感じではありませんでした。ヘレンメリルのこのアルバムには、それ以外にも「S’ wonderful」「You’d be so nice to come home to」などの名曲が収載されています。今知りましたが、このレコードの編曲とプロデュースはクインシージョーンズでした。多くの非ジャズファンの日本人同様に、私がクインシージョーンズを知ったのは、「愛のコリーダ」がヒットした時でした。最初はポップ曲の作曲家だと勘違いしていました。(ジャズが死んだといわれてから、多くのジャズ演奏家が既存のいろんな演奏スタイルを試み、単純な8ビートを基調とするロック音楽のリズムを使うのが流行りました。当時、クロスオーバーとかフージョンとかいわれていたように思います。)ヘレンメリルのデビューは、(私の推測なので何の根拠もないですが)多分、最近のノーラジョーンズみたいなノリで、白人リスナー向けにアイドルを売り出そうとしたのでしょう。いずれにしてもレコードのできは悪くありません。そして、ヘレンメリルは日本やヨーロッパで生き残ることができました。もうレコードは手元にありません。こつこつ買い集めたジャズのレコードは、大学生の頃に中古レコードショップで小銭に替えてしまいました。さよならだけが人生だと呟きながら、元町商店街の脇道をそれたところにあった中古レコードやの狭い階段をレコードの入った段ボールを担いでのぼったことを思い出します。