Natureを取り始めた時は、いろいろ自然科学界の動向を知って多少でも研究の足しになればよいと思って購読し始めたのですけど、振り返れば、私が最も熱心に読むのは、訃報欄とゴシップ記事でした。訃報欄に関しては、それでも偉大な科学者の生涯や研究の歴史などを知る事で、インスパイアされたりと有用なこともあるですけど、ゴシップに関しては生産的な所はまず何もありません。読むだけ時間の無駄だと思います。そうわかっていても凡夫の私はマジメな科学の話より、ゴシップの方につい興味を惹かれてしまいます。周囲の人の中には、真剣な顔をしてNatureを読んでいる私を見て、勉強熱心だと勘違いしている人もいるようですけど、ゴシップ記事を読むのに忙しいので、わざわざ釈明はしていません。
ステムセルの研究の分野では、ゴシップにはこと欠きません。十数年前ぐらいから、ステムセルへの過剰な期待が高まって多額の研究資金が投入され出したころに、その金をめがけて研究者が集まり出しました。それで、この分野の研究者がふえた事と、それに伴って競争が激しくなったこと、研究内容が臨床への応用を前提に行われることが多く、金が絡んでくる事、そんな事情があって、他の分野に比べて、この分野ではよりゴシップやインチキが目立つのではないかと想像するのです。おそらく、研究者は研究分野にかかわらず、一定の割合でインチキをするのだろうと思います。ただステムセルの分野は、それが目立ちやすく、インチキの影響が他の分野よりも大きいのではないかと思います。
ステムセル分野で、もっとも有名なインチキは多分、韓国のグループからの「核移植によってリプログラムした成人の細胞からES細胞を樹立した」との2004年のサイエンスの論文でしょう。この研究はかなりの数の卵子提供者を集め、多額の政府からの研究費を使ったこともあって、論文をでっち上げた人は、おそらく絶対に成功させなければならないという強いプレッシャーがあったものと思います。それで悪魔に研究者の良心を売ってしまったということなのでしょう。論文のでっちあげが判明したのは、内部告発でした。でっち上げがわかってから、データを見直してはじめて、インチキの証拠が見つかったわけで、(ステムセルに限りませんけど)研究のデータの不正は、専門家でも簡単にわかるものではないのです。他にも、現在は「Innocent mistake」ということになっていますが、ベルギーのadult stem cellの研究者(当時はアメリカ)のグループが、図表を使い回した事件とかもありました。このグループは再現性の問題からデータそのものを疑われたのでした。
さて、今回、7/1号のNatureのゴシップ欄では、ドイツのステムセル研究者、Thomas Skutellaが2008年にNatureに発表した論文について取り上げてあります。論文は、精巣から取った細胞では、従来のiPSのようなウイルスを使った遺伝子導入を行わなくてもリプログラミングできる、という驚くべき発見でした。ところが、論文出版直後から、他のステムセル研究者から、リプログラミングの証拠が怪しい、という疑義が続出しました。そして、外部研究者からの要求もかかわらず、Skutellaがその細胞の供与を拒否、それが更に研究の信頼性についての疑いを呼んだようです。Natureは出版された論文に使用した研究材料は他の研究者の求めに応じて配布することを義務づけていますから、これは明らかに違反です。本人は細胞のドナーとの契約上の制約で配布できないのだと苦しい言い訳をしています。ステムセル研究分野の大御所、JaenischeやScholerも論文が出てから2年も経つのに細胞を配布しないというのは、いかなる理由があろうとも言語道断だ、というようなコメントをしています。
研究者の場合、出版された論文に疑義をはさまれた場合に、疑いを晴らすのは研究者の義務です。なぜなら、論文の研究結果に意図的なウソはないものとの前提で、数多くの他の研究者は研究を組み立てていくからです。ですので、ガセネタであった場合、場合によっては、結果として、科学コミュニティー、一般社会に、多大な影響を与えることもあります。しかも、多くの場合、そのインチキが容易に分かるようなものではないので、より一層、研究者の研究の良心と注意深さというものが要求されているわけです。 つまり、研究者の場合、その倫理と良心を最初から信頼するという前提のもとで科学のコミュニケーションがなされているわけで、それ故に、研究不正に対してより厳しい処置がなされるのです。これは一般社会での市民が法律違反する場合と比較してみれば、違いがわかるのではないかと思います。一般社会では、人々が高い倫理観と良心を持って活動している、という前提がありません。人々は、程度の差はあるにせよ、ウソをついたり人をだましたり規則を破ったりするのが普通である、という考えが前提にあります。だから、怪しいことがあっても、その証拠が見つかって犯罪が確定しない限りは、推定無罪として扱われます。有罪でなければ無罪です。対して、研究の場合は、研究者が良心に従って厳密な実験の結果を発表しているもの前提がありますから、それに反して、意図的にウソをついたりだましたりした場合は、一般社会でのそれよりも遥かに厳しい罪と見なされます。それで、今回のNatureのゴシップ記事でも、この疑いをかけられた人は顔写真入りで、「推定有罪」扱いで雑誌に載せられているのだと思います。
しかし、狭いアカデミアの研究の世界でこれだけ評判を落としてしまうと、今後は、余程ツラの皮が厚くないと、研究者でやっていくのはつらいでしょうね。正直は最良のポリシーであるというのは、どんな世界でも当てはまると思います。
ステムセルの研究の分野では、ゴシップにはこと欠きません。十数年前ぐらいから、ステムセルへの過剰な期待が高まって多額の研究資金が投入され出したころに、その金をめがけて研究者が集まり出しました。それで、この分野の研究者がふえた事と、それに伴って競争が激しくなったこと、研究内容が臨床への応用を前提に行われることが多く、金が絡んでくる事、そんな事情があって、他の分野に比べて、この分野ではよりゴシップやインチキが目立つのではないかと想像するのです。おそらく、研究者は研究分野にかかわらず、一定の割合でインチキをするのだろうと思います。ただステムセルの分野は、それが目立ちやすく、インチキの影響が他の分野よりも大きいのではないかと思います。
ステムセル分野で、もっとも有名なインチキは多分、韓国のグループからの「核移植によってリプログラムした成人の細胞からES細胞を樹立した」との2004年のサイエンスの論文でしょう。この研究はかなりの数の卵子提供者を集め、多額の政府からの研究費を使ったこともあって、論文をでっち上げた人は、おそらく絶対に成功させなければならないという強いプレッシャーがあったものと思います。それで悪魔に研究者の良心を売ってしまったということなのでしょう。論文のでっちあげが判明したのは、内部告発でした。でっち上げがわかってから、データを見直してはじめて、インチキの証拠が見つかったわけで、(ステムセルに限りませんけど)研究のデータの不正は、専門家でも簡単にわかるものではないのです。他にも、現在は「Innocent mistake」ということになっていますが、ベルギーのadult stem cellの研究者(当時はアメリカ)のグループが、図表を使い回した事件とかもありました。このグループは再現性の問題からデータそのものを疑われたのでした。
さて、今回、7/1号のNatureのゴシップ欄では、ドイツのステムセル研究者、Thomas Skutellaが2008年にNatureに発表した論文について取り上げてあります。論文は、精巣から取った細胞では、従来のiPSのようなウイルスを使った遺伝子導入を行わなくてもリプログラミングできる、という驚くべき発見でした。ところが、論文出版直後から、他のステムセル研究者から、リプログラミングの証拠が怪しい、という疑義が続出しました。そして、外部研究者からの要求もかかわらず、Skutellaがその細胞の供与を拒否、それが更に研究の信頼性についての疑いを呼んだようです。Natureは出版された論文に使用した研究材料は他の研究者の求めに応じて配布することを義務づけていますから、これは明らかに違反です。本人は細胞のドナーとの契約上の制約で配布できないのだと苦しい言い訳をしています。ステムセル研究分野の大御所、JaenischeやScholerも論文が出てから2年も経つのに細胞を配布しないというのは、いかなる理由があろうとも言語道断だ、というようなコメントをしています。
研究者の場合、出版された論文に疑義をはさまれた場合に、疑いを晴らすのは研究者の義務です。なぜなら、論文の研究結果に意図的なウソはないものとの前提で、数多くの他の研究者は研究を組み立てていくからです。ですので、ガセネタであった場合、場合によっては、結果として、科学コミュニティー、一般社会に、多大な影響を与えることもあります。しかも、多くの場合、そのインチキが容易に分かるようなものではないので、より一層、研究者の研究の良心と注意深さというものが要求されているわけです。 つまり、研究者の場合、その倫理と良心を最初から信頼するという前提のもとで科学のコミュニケーションがなされているわけで、それ故に、研究不正に対してより厳しい処置がなされるのです。これは一般社会での市民が法律違反する場合と比較してみれば、違いがわかるのではないかと思います。一般社会では、人々が高い倫理観と良心を持って活動している、という前提がありません。人々は、程度の差はあるにせよ、ウソをついたり人をだましたり規則を破ったりするのが普通である、という考えが前提にあります。だから、怪しいことがあっても、その証拠が見つかって犯罪が確定しない限りは、推定無罪として扱われます。有罪でなければ無罪です。対して、研究の場合は、研究者が良心に従って厳密な実験の結果を発表しているもの前提がありますから、それに反して、意図的にウソをついたりだましたりした場合は、一般社会でのそれよりも遥かに厳しい罪と見なされます。それで、今回のNatureのゴシップ記事でも、この疑いをかけられた人は顔写真入りで、「推定有罪」扱いで雑誌に載せられているのだと思います。
しかし、狭いアカデミアの研究の世界でこれだけ評判を落としてしまうと、今後は、余程ツラの皮が厚くないと、研究者でやっていくのはつらいでしょうね。正直は最良のポリシーであるというのは、どんな世界でも当てはまると思います。