数学者、森毅さん死去のニュース。ついこの間、画家の安野光雅さんとの対談集、「数学大明神」を読んだところでした。夏休みに読もうと思って古い日本の本を五冊借りて来ているのですが、そのうちの一冊です。因みに残りは、ノモンハンの夏(半藤一利)、介子推(宮城谷昌光)、事実からの発想(柳田邦男)、わしの眼は十年先が見える(城山三郎)です。数学大明神では、数字の1から9をテーマに様々に語り合うというものです。
私、中学校のころもっとも好きな教科は幾何学でしたが、その頃のことを思い出しました。数学とはすっかり疎遠になって長く経ちます。高校で物理ではなく生物を選択したのも一つの理由かと思います。大学卒業してしばらく経ってから、物理を覚えようと思い、「医学、生物学のための基礎物理学」という本を買ってきたのですが、いきなり最初の方から、多次元微分方程式とかが出て来て、全く歯が立たず、こんなことであれば大学時代にもっと数学をやっておくべきであった、と深く後悔した覚えがあります。
黄金比がフィナボッチ数列の隣り合う数字の比で近似できるという話は、数年前「ダビンチコード」を読んだときに知りました。フィナボッチ数列は、1, 2, 3, 5, 8, 13, 21,,,,と隣り合う整数を足して出来る数列です。その隣り合う数字の比が黄金比に収束するという証明はWikipediaのフィナボッチ数の項目にあります(が、その証明も私には理解不能です)。ダビンチコードを読んでいた頃、私はグラント危機にあり、その頃は、ちょうど数日以内にグラントのスコアが出て、そのスコアによっては研究者廃業になるかもしれないという瀬戸際だったのです。ダビンチコードの黄金比の部分を読んだときに、その1.61...という数字がなぜか気にかかりました。グラントのスコアもこれ位だったらいいなあ、とふと心の中で思ったのでした。そしてこういう時によく起こるシンクロニシティー、翌日に出たグラントのスコアは、やっぱり、161だったのでした。スコアは元の数字を100倍していますから、元の数字、つまり、三人のレフリーの評価の平均は、黄金比の近似値、1.61であったということになります。それで私はとりあえず研究者として生き残ることができたのでした。「数学大明神」の「5」の章では、黄金比が五芒星(ペンタグラム)の図形の中に繰り返し現れるという話が出てきます。黄金比は、1と5の平方根の和を2で割って求めることができますので、ここに出てくる数字の5が多分ペンタグラム図形の中に黄金比を忍び込ませているのでしょう。この5は多分2と3の和という意味だと思います。
森さん、敗血症性ショックで死亡ということですから、おそらく、何らかの基礎疾患があったのでしょう。ニュースでは昨年2月に大火傷を負ったということが触れてありますが、時期的に火傷が原因とは考えにくいように思います。82歳ということでしたので1928年生まれです。このころに生まれたと聞くと、私はつい、マイルスデイビスと比べてしまいます。マイルスが生まれたのが1926年、死んだのは1991年なので、ああ、森さんはマイルスより20年弱、長生きしたのだなあ、もしマイルスが生きていたら84歳か、などと思うのです。
私が若かったころに輝いていた人が一人一人、去って行き、私も最近は昔のことをよく思い出すようになりました。つかこうへいさんの遺書に「恥の多い人生でした」とあったそうです。遠藤周作さんが著書の中で、過去の恥を思い出して自己嫌悪のあまり、布団を頭から被って「ああああ、、」と叫んだ経験のないような人間とは共に語るに足らぬ、と言ったように記憶しています。昔を振り返り、反省すればするほど、恥の数が増えるのではないでしょうか。私も昔を思い出すと、後悔することばかりです。今朝も、昔に出会った素晴らしい人々のことを思い出していました。あの人々の素晴らしさを若かった私は理解できませんでした。思いやりにも欠けていました。私は傲慢で周囲が見えなかったのです。恥ずかしいと思いますがどうしようもありません。私はその頃よりも年を取りましたし、恥ずかしい過去の私の行いが多少は理解できるようにはなりましたが、果たして少しでもマシな人間になったのかどうかわかりません。未だに日々、反省することの多い毎日です。
そして自分がこの世を去って行く時のことを想像します。きっと、マラソンを走り終えて、ゴールテープを切ったときのような気分になるだろうと想像しているのですけど。あるいは、試験で問題が半分も解けていないのに終わりのベルがなってしまった時のような気分でしょうか。
私、中学校のころもっとも好きな教科は幾何学でしたが、その頃のことを思い出しました。数学とはすっかり疎遠になって長く経ちます。高校で物理ではなく生物を選択したのも一つの理由かと思います。大学卒業してしばらく経ってから、物理を覚えようと思い、「医学、生物学のための基礎物理学」という本を買ってきたのですが、いきなり最初の方から、多次元微分方程式とかが出て来て、全く歯が立たず、こんなことであれば大学時代にもっと数学をやっておくべきであった、と深く後悔した覚えがあります。
黄金比がフィナボッチ数列の隣り合う数字の比で近似できるという話は、数年前「ダビンチコード」を読んだときに知りました。フィナボッチ数列は、1, 2, 3, 5, 8, 13, 21,,,,と隣り合う整数を足して出来る数列です。その隣り合う数字の比が黄金比に収束するという証明はWikipediaのフィナボッチ数の項目にあります(が、その証明も私には理解不能です)。ダビンチコードを読んでいた頃、私はグラント危機にあり、その頃は、ちょうど数日以内にグラントのスコアが出て、そのスコアによっては研究者廃業になるかもしれないという瀬戸際だったのです。ダビンチコードの黄金比の部分を読んだときに、その1.61...という数字がなぜか気にかかりました。グラントのスコアもこれ位だったらいいなあ、とふと心の中で思ったのでした。そしてこういう時によく起こるシンクロニシティー、翌日に出たグラントのスコアは、やっぱり、161だったのでした。スコアは元の数字を100倍していますから、元の数字、つまり、三人のレフリーの評価の平均は、黄金比の近似値、1.61であったということになります。それで私はとりあえず研究者として生き残ることができたのでした。「数学大明神」の「5」の章では、黄金比が五芒星(ペンタグラム)の図形の中に繰り返し現れるという話が出てきます。黄金比は、1と5の平方根の和を2で割って求めることができますので、ここに出てくる数字の5が多分ペンタグラム図形の中に黄金比を忍び込ませているのでしょう。この5は多分2と3の和という意味だと思います。
森さん、敗血症性ショックで死亡ということですから、おそらく、何らかの基礎疾患があったのでしょう。ニュースでは昨年2月に大火傷を負ったということが触れてありますが、時期的に火傷が原因とは考えにくいように思います。82歳ということでしたので1928年生まれです。このころに生まれたと聞くと、私はつい、マイルスデイビスと比べてしまいます。マイルスが生まれたのが1926年、死んだのは1991年なので、ああ、森さんはマイルスより20年弱、長生きしたのだなあ、もしマイルスが生きていたら84歳か、などと思うのです。
私が若かったころに輝いていた人が一人一人、去って行き、私も最近は昔のことをよく思い出すようになりました。つかこうへいさんの遺書に「恥の多い人生でした」とあったそうです。遠藤周作さんが著書の中で、過去の恥を思い出して自己嫌悪のあまり、布団を頭から被って「ああああ、、」と叫んだ経験のないような人間とは共に語るに足らぬ、と言ったように記憶しています。昔を振り返り、反省すればするほど、恥の数が増えるのではないでしょうか。私も昔を思い出すと、後悔することばかりです。今朝も、昔に出会った素晴らしい人々のことを思い出していました。あの人々の素晴らしさを若かった私は理解できませんでした。思いやりにも欠けていました。私は傲慢で周囲が見えなかったのです。恥ずかしいと思いますがどうしようもありません。私はその頃よりも年を取りましたし、恥ずかしい過去の私の行いが多少は理解できるようにはなりましたが、果たして少しでもマシな人間になったのかどうかわかりません。未だに日々、反省することの多い毎日です。
そして自分がこの世を去って行く時のことを想像します。きっと、マラソンを走り終えて、ゴールテープを切ったときのような気分になるだろうと想像しているのですけど。あるいは、試験で問題が半分も解けていないのに終わりのベルがなってしまった時のような気分でしょうか。