ドジョウや大阪市長が、突然、態度を豹変させて、原発再稼働を支持し出し、ドジョウに至っては、「私の責任」で再稼働を決める、と例によって、見得を切ったという噴飯ものの話。その「責任」の内容は一切、明らかにされず。もし事故が起こった場合は、たとえドジョウが切腹したところで何の足しにもなりません。つまり責任などとりようがないのです。このドジョウの言葉と頭の軽さは耐え難いです。「マニフェストに書いてあることは命がけで守る」とエラそうに演説して政権を任されたくせに、いまや、マニフェストに書いていない消費税増税、鳩山氏が政権交代時に「やらない」といった増税を「命がけ」でやるというのです。最初の命がけの約束を破った時点で、ドジョウは死んでいないとウソでしょう。これらのデータからもっとも整合性のある結論は、ドジョウは噓つきであり、信用にたる人間ではなく、責任という言葉の意味を知らない、ただの官僚の拡声器に過ぎないということです。
昨日の内田樹の研究室では、目の前の電気が足りないというリスクと将来の放射能事故で下手すると国そのものが消滅するかも知れないというリスクを秤にかけて、目の前の電力を優先するような考え方に対して、次のように書いてあります。
グローバリストが「目の前のリスク」は「原発事故の危険性」よりも重いと判断するのは当然のことである
その判断は、彼らがビジネスというゲームをしている限りは合理的である。
だが、私たちは今ビジネスの話をしているのではない。
国の統治の話をしているのである。
国というのは「金儲け」をするためにあるのではない。
とにかく石にかじりついても、国土を保全し、ひとりでも多くの国民を「食わせる」ために存在する。
グローバル企業がより多くの収益を求めて日本を捨てて逃げ出すのは、彼らが「国より金が大事」だと思っているからである。
何度も書くが、原発再稼働の判断は「会社経営者」というスタンスで考える人にとっては合理的である。けれども、国家の統治というスタンスから考えた場合には熟慮を要する問題である。
少なくとも、今の段階でゴーサインが出せるようなことではないと私は思う。
その通りです。そして、暗示されているように、この国の政府は、国民を「食わせる」ためにあるのではなく、国民を搾取し、税金をとりたてて「金儲け」をするために存在しており、その支配者層は、いざとなったら「国より金が大事」と思っているので、日本を捨てて逃げ出すつもりにしている、というのが事実に一番近いでしょう。
こういうことを言うと、「陰謀論」だ、「証拠も無いのに言いがかりをつけてはいけない」という良識派の人がいるのですが、相手は国家権力という個人に対して非常に強い力を持っている組織であることを忘れてはいけません。
私は、平気でウソをついて、他人を利用する人間に何度か嫌な目にあわされましたが、大抵の場合、相手も心の隅には騙しているという良心の呵責のようなものが多少はあるので、こういう相手に利用されないようにするには、そこを攻撃することが最も有効だと思いました。相手が繰り返し不整合性のあることを言う場合は、それを指摘するだけでなく、こちらが相手の意図を疑っていることを示すのです。とくに相手が自分よりも力を持っている場合は、断固とした意志を示すことが大切だと私は思います。
われわれは、政府が、内閣の官房長官や首相が、平気でウソをつくのを何度も見てきました。そのウソによって大勢の国民が危険に晒され、今もその状態におかれています。それでもなおかつ、ドジョウの言葉を信じられる人間がいるとしたら、それはこの政府の異常さを直視したことがないか、あるいはマトモな判断力が何らかの理由で障害されているとしか私は思えません。強大な権力を持つ側が平気でウソをつくのですから、その事実に基づいて、日本の国の政府とはどういう組織かを判断し、批判するのは当然の権利です。そして、彼らに、我々が、日本の政府のことをどう思っているのか、率直な意見を知らせることは極めて重要だと思います。政府の行動や言論の不整合性を糾弾するだけでは不十分です。相手は力を持っており、こちらは何もできないとナメきっていますから、国民全員が政府の悪意を知っていることを強くアピールする攻撃的な抗議活動をやることが必要なのではないか、と私は思います。