百醜千拙草

何とかやっています

こっそりと核武装

2012-06-26 | Weblog

 26日の消費税増税採決、民主党から何人、反対票を入れるのか興味深いです。当初の反対票は40台との希望的観測を発表していたマスコミですが、現時点で50-70と修正。ヘタすると100人をこえる民主党員が反対票を入れることになるかも知れません。いずれにせよ、この採決を期にいろいろなことが一気に起きそうです。

 

 先週末の官邸前の4万5千人規模の原発デモ、盛り上がったようです。今回もNHKは無視。報道したところでも1万人という過小報道。4万人といえば、ロシア大統領選前の反プーチンデモよりも規模が大きく、しかも国内の問題です。ロシアのクレムリンで3万人のデモは大きく報道するくせに、日本の官邸前での4万人規模のデモは無視するのですから、マスコミが国民とは反対側に立っていることがよくわかります。

 

 週末のニュースでもう一つ、頭にきたこと。

 下の記事、ヨミウリですが、私、原子力の利用目的として「安全保障」という言葉が挿入されたこと、知りませんでした。どうして、このことが大騒ぎにならないのでしょうか。

 

 【ソウル=門間順平】参議院本会議で今月20日に可決、成立した原子力規制委員会設置法の付則に、原子力の利用目的として「安全保障」の文言が盛り込まれたことに対し、韓国各紙は22日、「日本、ついに核武装の道を開いた」(朝鮮日報)など、警戒感をあらわにした記事を掲載した。 

 

 東京新聞にはもっと詳しい記事があり、批判的です。考えたら、原発推進総本部ともいえるヨミウリがマトモな批判記事を書けるワケがありません。東京新聞の記事、ちょっと長いですが、転載します。

 

「原子力の憲法」こっそり変更

二十日に成立した原子力規制委員会設置法の付則で、「原子力の憲法」ともいわれる原子力基本法の基本方針が変更された。基本方針の変更は三十四年ぶり。法案は衆院を通過するまで国会のホームページに掲載されておらず、国民の目に触れない形で、ほとんど議論もなく重大な変更が行われていた。 

 設置法案は、民主党と自民、公明両党の修正協議を経て今月十五日、衆院環境委員長名で提出された。

 基本法の変更は、末尾にある付則の一二条に盛り込まれた。原子力の研究や利用を「平和の目的に限り、安全の確保を旨として、民主的な運営の下に」とした基本法二条に一項を追加。原子力利用の「安全確保」は「国民の生命、健康及び財産の保護、環境の保全並びに我が国の安全保障に資することを目的として」行うとした。

追加された「安全保障に資する」の部分は閣議決定された政府の法案にはなかったが、修正協議で自民党が入れるように主張。民主党が受け入れた。各党関係者によると、異論はなかったという。

 修正協議前に衆院に提出された自公案にも同様の表現があり、先月末の本会議で公明の江田康幸議員は「原子炉等規制法には、輸送時の核物質の防護に関する規定がある。核燃料の技術は軍事転用が可能で、(国際原子力機関=IAEAの)保障措置(査察)に関する規定もある。これらはわが国の安全保障にかかわるものなので、究極の目的として(基本法に)明記した」と答弁。あくまでも核防護の観点から追加したと説明している。

 一方、自公案作成の中心となった塩崎恭久衆院議員は「核の技術を持っているという安全保障上の意味はある」と指摘。「日本を守るため、原子力の技術を安全保障からも理解しないといけない。(反対は)見たくないものを見ない人たちの議論だ」と話した。

 日本初のノーベル賞受賞者となった湯川秀樹らが創設した知識人の集まり「世界平和アピール七人委員会」は十九日、「実質的な軍事利用に道を開く可能性を否定できない」「国益を損ない、禍根を残す」とする緊急アピールを発表した。

◆手続きやり直しを

 原子力規制委員会設置法の付則で原子力基本法が変更されたことは、二つの点で大きな問題がある。

 一つは手続きの問題だ。平和主義や「公開・民主・自主」の三原則を定めた基本法二条は、原子力開発の指針となる重要な条項だ。もし正面から改めることになれば、二〇〇六年に教育基本法が改定された時のように、国民の間で議論が起きることは間違いない。

 ましてや福島原発事故の後である。

 ところが、設置法の付則という形で、より上位にある基本法があっさりと変更されてしまった。設置法案の概要や要綱のどこを読んでも、基本法の変更は記されていない。

 法案は衆院通過後の今月十八日の時点でも国会のホームページに掲載されなかった。これでは国民はチェックのしようがない

 もう一つの問題は、「安全確保」は「安全保障に資する」ことを目的とするという文言を挿入したことだ。

 ここで言う「安全保障」は、定義について明確な説明がなく、核の軍事利用につながる懸念がぬぐえない。

 この日は改正宇宙航空研究開発機構法も成立した。「平和目的」に限定された条項が変更され、防衛利用への参加を可能にした。

 これでは、どさくさに紛れ、政府が核や宇宙の軍事利用を進めようとしていると疑念を持たれるのも当然だ

 今回のような手法は公正さに欠け、許されるべきではない。政府は付則を早急に撤廃し、手続きをやり直すべきだ。(加古陽治、宮尾幹成)

<原子力基本法> 原子力の研究と開発、利用の基本方針を掲げた法律。中曽根康弘元首相らが中心となって法案を作成し、1955(昭和30)年12月、自民、社会両党の共同提案で成立した。科学者の国会といわれる日本学術会議が主張した「公開・民主・自主」の3原則が盛り込まれている。原子力船むつの放射線漏れ事故(74年)を受け、原子力安全委員会を創設した78年の改正で、基本方針に「安全の確保を旨として」の文言が追加された。

 

 さすがに日本政府はクソ(Pardon my French)ですね。やったこともデタラメなら、そのやりかたもデタラメ、そしてその言い訳(下)までデタラメです。こっそり、法律変更ですよ!この卑怯なやり方のおかげで、既に大きく国益を損ないました。韓国の反応がそうでしょう。

 韓国が批判するのはもっともです。韓国のアメリカに対する正確な立ち位置を私はちょっとよくわかりませんけど、多分、朝鮮戦争で荒らされ、民族分断された過去があり、在韓米軍に対する態度をみても、日本ほど骨抜きにはされていないでしょうから、アメリカに対する警戒感というのは少なくとも日本よりも大きいと思います。加えて、核をもつ北朝鮮をはじめ旧共産圏が背後にいるという状況があります。そして、もちろん、朝鮮人強制連行などなど、半日感情も強いでしょう。そんな歴史の痛みがまたなまなましい国が、戦後日本をどう見てきたかを想像すると、(必ずしも日本人に対するものではなく、日本国という機関に対してです)、多分、彼らは、日本のことを、アメリカの忠実な下僕で、アジア諸国を見下し、カネ儲けばかりしか頭にない軽蔑すべき国、そんな風に思っているのではないでしょうか。韓国が日本を信頼できる友人だと思ってくれる可能性は極めて低いと思わずにおれません。

 かつて日本は、欧米の植民地主義を猿真似し、脱亜入欧の恥ずかしいスローガンのもとアジア諸国に侵攻し、帝国主義に邁進し、文化的に大きな恩恵を受けた国々に対し、恩を仇で返すようなマネをしました。その挙げ句、第二次世界大戦でコテンパンに負けた後は、昔のことはすっかり忘れてカネもうけに邁進し、アメリカの言いなりになってきました。「技術やカネはあるのに、何を考えているかわからない不気味な国」それが、近隣アジア諸国の日本を見る目ではないでしょうか。戦後日本人にしてみれば、そういう評価を受けることに戸惑いを感じているかも知れません。戦後の日本人はGHQに徹底的に骨抜きにされて、戦争をやった日本が間違いでしたと教え込まれ、戦争前のことはすっかり忘れてしまいました。日本に酷い目に合わされた中国、朝鮮、台湾やフィリピンの人々は、水に流すにも簡単には流せない痛々しい過去があるのです。その加害者たる日本に「日本は敗戦して過去のことは忘れたから、これから仲良くやろう、ハッハッハ」と肩を叩かれても、はい、そうですか、とは普通、言えないでしょう。まずは、土下座して謝れ、話はそれからだ、という気分の人も多いのではないかと思います。一方、日本人の方は、そのアジアの他の国の人の気持ちが十分わかっていないような気がします。なぜ中国や韓国が大昔の話を持ち出して怒るのか理解できないという人々が少なくないでしょう。私も、若い頃、フィリピン人の老人に「オレは日本人を憎んでいる」と面と向かって言われた時に、どう反応してよいのかわかりませんでした。それは、私が生まれる前に日本が犯した酷い罪のことは、私の責任ではない、と軽々しく考えていたからだろう、と思います。このこと、即ち、日本人の過去の行動に対する認識の欠如、あるいは無責任さが、アジア諸国の人々の日本に対する警戒感の源泉ではないでしょうか。何を考えているのかわからない国という日本の印象はなぜか、端的には、多くの日本人が過去の日本の行いに関して、事実「何も考えていない」からではないでしょうか。戦前の日本帝国主義のアジア諸国に対する侵攻に関してどう考えるか、それをふまえてどのように建設的な将来のパートナーシップを築くべきか、と問われて意見を言える一般日本人は少ないでしょう。(私も即答できません)日本人は過ちを犯しても、過ちを忘れ、過ちから学ぶことをしない、原発事故後に再稼働を強引に進めようとしたり、日立がどこかの国の原発建設を請け負うとかいう話を聞くと、そう思われても仕方ありません。(因みに、私は日立製品は今後、一切、買いません)

 話がずれました。密約問題が明るみに出て、日本の核武装はコッソリ、佐藤A作のころからなされていたことがわかりました。バカ曽根(と私は子供の時に呼んでいましたが)やヨミウリの正力らは、米軍の下請け核兵器製造工場を兼ねて日本の原発を推進してきました。安倍政権ぐらいからは、憲法9条を変更して、堂々と戦争ができる国にして、アメリカの極東軍事戦略の下請け実行部隊にしようとする動きが露骨になってきました。

 普通の知能のある人が、日本のこれまでの姿勢や状況、つまり、対米従属で世界最大の国外米軍基地を持ち、50基以上のプルトニウム満載の原発施設が林立し、非核三原則とかいいながら、遥か昔から密約で日本には核兵器が存在しており、戦争放棄の憲法を変えようとする動きが盛んになってきている、という事実を知っていて、「原子力」と「安全保障」が同一文章内で使われたと聞けば、日本の意図は誤解のしようがないほど明らかです。アジア諸国の人々は無論、警戒するでしょう。アジアの若い世代の人は、何を考えているかわからない日本という国が核武装する動きを「キチガイに刃物」と思っているのではないでしょうか。あるいはアメリカに下請けとして使われる日本を「バカとハサミは使いよう」のバカと見ているのではないでしょうか。そして、過去の日本帝国主義を知る人々にとっては、もちろん非常に差し迫った脅威に見えるでしょう。その過去の総括もろくろくしなかった国がまるで何もなかったかのように再び戦争に意欲を燃やしていると見ていると思います。彼らから見る日本の不気味さは、唯一の被爆国で、チェルノブイリを超えると考えられる史上最悪の原子力事故をおこしたばかりなのに、ろくな安全設備もない大飯原発を強引に再稼働させようとし、あまつさえ原子力を安全保障につかうと言う、どう考えても判断能力がゼロ(か狂っている)としかおもえない行動をとるところでしょう。つまり、もう理屈の通じない国、何をするか分からないキチガイの国、そう考えていると思います。

 

 その翌日のニュースでは、海外、国内からの批判に対して、またゴマカしの言い訳したという話が載っていて、恥の上塗り。その前に、もう一度、その文章を見てみましょう。

 

原子力利用の「安全確保」は「国民の生命、健康及び財産の保護、環境の保全並びに我が国の安全保障に資することを目的として」行う。

 

主語は、「原子力利用の安全確保 」です。それが「我が国の安全保障に資することを目的とする」とあります。正直、この主語も一見意味不明ですが、普通に考えれば、原子力利用を安全に確保する、即ち、「原子力が利用できる状態を安定して維持すること」という意味以外に読めません。それが「我が国の安全保障に資する」と書いてあるのだから、これは、原子力の安定維持を国防に利用すると言っていると解釈するのが普通でしょう。一方、主語にすぐ続く言葉は、「国民の生命、健康および財産の反故、環境の保全」です。普通に考えれば、原子力利用の「安全確保」のあとにこれが続けば、原子力利用を安全に確保するのではなく、原子力の「安全性」を確保するという言う意味にとれます。しかし、そうとると、原子力の安全性を確保することが、どうして我が国の安全保障(即ち、国防)に資するのか、普通の頭ではわかりません。そこで、例の三百代言、次の発言。

 

枝野経済産業相は「政府は(核テロを防止する)核セキュリティーや(核物質の軍事転用を防ぐ)保障措置や核不拡散の取り組みを原子力規制委員会に一元化するという観点から(『安全保障に資する』という文言が)加えられたと理解している」と語った。

 

この理解が正しいとすると、原子力利用の「安全確保」とは、「原子力の平和利用における安全性を確保する」という意味のようです。しかし、本当にそういいたいのならば、このような悪文をわざわざ書かないでしょう。そういう意味なら、「国家の安全保障」という誤解を招く言葉を入れる必要はないのであって、上の説明にあるように、「核の軍事転用を防ぐことを目的とする」、と書けばよいのです。そうしなかった理由、わざわざ両義の解釈ができるような悪文を書いた理由は、言わずもがなでしょう。

 

法案を提出した自民党の吉野正芳議員は22日、本紙の電話インタビューに対し「安全保障条項は、日本の核兵器開発を防ごうという趣旨から入れたもので、監督官庁を独立法人化してもう少し透明性を持たせようということ。しかし、問題視されるのなら、これから話し合って法案を再び改めることもできる」と語った。

 

このヒトは、核兵器開発を防ぐことが「安全保障」だという支離滅裂ぶりです。あげくに、「これから話し合って法案を再び改めることもできる」、つまり、言葉の問題ではなく、「法案の問題」だと認めたということです。語るに落ちたとはこのことでしょう。言葉の問題であれば、誤解のないように言葉を改めると言えばよい。この法案の普通に読めば、日本の国防に核を利用する、という意味以外には取れないので、こんどは「こっそり」ではなく、話し合って、法案を改めることもできる(が、多分、その気はない)とその場しのぎの言い訳をしているワケです。梨を盗んだと咎められて、いや、冠を直していただけだ、(梨はこれから盗むのだ)と言い訳をして通ると思っているのでしょうか。そのような誠意のない態度だからこそ、余計、疑われるのではないですかね。

 

 アメリカの力が弱まり、中露が再び覇権に意欲を燃やし出した時、真っ先に戦場になるのは日本ではないでしょうか。それは安全保障が十分でないからではなく、アジア諸国から見て、何を考えているかわからないアメリカに言いなりの日本国が核武装しようとしているからです。危険なものを管理できる能力のないキチガイが隣で刃物を振り回そうとしているという状況に置かれれば、近隣アジア諸国はどういう対応に出るだろうか、と想像すると、不安に思わずにおれません。

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