百醜千拙草

何とかやっています

政権交代の終わった日

2012-06-29 | Weblog

火曜日の衆院消費税増税採決、民主の反対票が57、棄権、欠席を含めて全部で96という話でした。反対票57というのは、ドジョウ政権にとっては大きな数字でしょうが、私は、選挙が恐い議員がもっと反対票を入れるのではないか、という期待もあったので、もっと増えてもよかったのにと思いました。記名式ですから、特に民主党の場合は党の合意に堂々と逆らうという意思表示であったということで、議員はそれなりの覚悟をしていたということですね。

 何と言っても、情けないのは、このダンゴウ三兄弟と呼ばれるようになった、ドジョウ民主党と自民党、公民党のやり方です。私、もはやこの三つの党の見分けがつきません。前回の総選挙、消費税増税を上げたアホウ自民党に対して、国民の生活が第一、で消費税は上げないと約束した鳩山ー小沢、民主党を国民は選びました。そして、沖縄基地問題で官僚にサボタージュされ支持率の落ちた鳩山内閣が、参院選対策として辞任し、史上最低の総理、空きカンが誕生しました。このマヌケは参院選に勝つという目的のために党代表になったことが理解できず、代表になるや否や、小沢氏は静かにしていろと公言し、すぐ消費税増税を口にして自爆、参院選をボロ負けして、二大政党制を定着させようとした努力を台無しにした上、責任もとらずに代表に居座り、国民の多大な怒りを買いました。この空きカンの明らかな現状認識、判断能力、政治信念の欠如を見ると、空きカンは、大局観がなく善悪の見分けがつかない無能者のくせに自己顕示欲だけは強いただの人格異常者のように見えます。しかし、現時点で国民がおかれている状況を見ると、ひょっとしたら、これらのことは全部、芝居で、空きカンやドジョウは実は極めて悪知恵の働く邪悪な人間で、財務省のために、アホウとうつけ者を演じていただけなのではないのか、という疑念さえ湧いてきます。

 二大政党制というのは、アイデアとしては、理念、政策の異なる二つの大政党が国民の支持のもとに政策を競い、政権交代を繰り返すことで、国民にとってより有益な政策をその都度、選択していく制度(建前上は)でした。民主党は、自民党政策の消費税増税、官僚主導政治に反対して、国民の支持を得て、政権を任された党です。つまり、消費税に関しては、根本的に自民党の政策とは異なる政策を主張してきた政党です。それが、空きカンがタナボタで党首になってからいきなり自民党と同じ政策を主張しだし、(もちろん、国民はそれに反発して参院選の惨敗となったわけですが)ドジョウや昼行灯オカダ、フジイのじーさんに至っては、選挙前に言っていた事と180度、違うことをシャーシャーと言い、そもそも自民党政策である消費税増税をさせて下さいと命をかけて、自民党にお願いしたりしたという異常事態となったワケです。これが二大政党制とはほど遠い現実であることは言うまでもありません。

この空きカンとかドジョウが国民に放ったメッセージは極めて明快です。

 

国民にウソをつき、約束は破ってもかまわない。つまり、国民は政治家の言葉を真に受けてはならない。

国民がいくら反対しようと、政権をとったら、あとは好き勝手にやってよい。

二大政党、議会制民主主義というものはタダの茶番の「国会劇場」に過ぎない。なぜなら、政治家は誰がやってもいつも官僚や宗主国の利益のために働き、政治家が国民の代表というのはただの選挙用の建前にすぎないからだ。

 

 つまり、ひょっとしたら、この連中は、国民に日本の政治のどうしようもない腐敗度と政治家の救い難い無能さをワザと見せつけることで、国民の政治に対する期待を削ぎ、国民に官僚や国の組織に対する無力感を植え付け、人々を社会に対して無関心な(ゆえに扱いやすい)羊の群れにしようとしているのではないかとさえ思えてきます。だとすると、この連中は「役者」です。以前にも紹介しましたが、アイク氏の議会制民主主義の現実をもう一度、はりつけておきたいと思います。つまり、消費税増税、賛成、反対とか議論をしているのは、全てただの芝居である可能性があって、国民は、彼らの真意をよく見抜く必要があるということです。

 

この(二大政党制による議会制民主主義という)政治的『選択』の幻想を与える目くらましはこの様に働く。

(1)与党はどんな時も人々を奴隷状態にするためのカバルのアジェンダを導入する。
(2)野党や野党員はそのアジェンダに反対する:これは彼らには力がないので意味が無いのだが、政治を議論しているという幻想を提供する
(3)選挙をして野党が与党になった時、選挙運動でそれに反対して選挙に勝ったにも関わらず、カバルのアジェンダを導入する。
(4)今までそのアジェンダを進めていた与党は、今、野党となり同じアジェンダを批判する。

このように、この終止符を打つべき非道行為に国民が十分気がつくまで、奴隷状態の人々に希望が叶うだろうと思わせたまま、この茶番劇は続いていく。

”英国の下院2つの政党は、お互いに向き合って政治的『議論』をするが、しかし、両方とも最終的に同じ主人達(マスター)によって支配されており、同じ政策をどちらか在籍した方が進めていくだけである。”

 

民主党が自民党の悪政を正してくれると思って国民は支持し、見事に裏切られました。情けないのは、今回の採決、かつて自民党が数の暴力で強行採決してきたというのとは事情が違うのです。そもそも民主党が消費税増税を上げた自民党に反対することで野党になれたのに、前言を180度翻し、その自民党が主張してきた政策を実現するために、与党でありながら自民党にすり寄り、国民を無視して談合するというインチキをしたということです。連立している党ならまだしも、その政策を巡って反対していた与党が、こっそり大連立(談合政治)をするというバカにした話です。そのために、衆院採決だけでも、自民党案をほとんど丸呑みしていますから、参院ではもっと悲惨なことになるでしょう。つまり、ドジョウ民主党は党是を捨て、大義を捨て、与党のプライドを捨て、全てを捨て去ってでも、官僚の利益が第一、国民の生活は切り捨ての消費税増税をやりたい、と言っているわけです。解散して、自民党に合流して、選挙で国民の意見を聞くという正当な手続きを踏めば、選挙で落とされて増税できないので、このようなインチキでやらざるを得ないのです。そこまでして、なぜ増税をやりたいのか、私は理解に苦しみます。「社会保障のため」という建前ですが、実際に全体としての税収は減り、国民の生活はますます苦しくなって社会保障費用は返って上がると予想されること、消費税を社会保障以外に使う予定であることが暴露されていること、あげればキリがありませんが、「社会保障のため」といういう言い訳がほとんどウソであることがあきらかになっているのに、そうした疑問に対してマトモに答えようとしません。考えられる可能性は、ドジョウは最初から官僚組織に使われるバカ殿を演じている役者なのか、本当に無能なので、アメにつられて財務省のTPR(増税PR)レクチャーにすっかり自ら洗脳されてしまったかでしょう。ドジョウとかフジイの爺さんとか見ると、財務省は本当に恐いところだなあ、あそこにかかわると人間が崩壊するのだなあ、と思わずにおれません。

鳩山氏、消費税増税法案に対して反対票を投じたことについて、自身のサイトで意見を表明しています。この人、育ちが良い人にありがちな鷹揚さがあって、その行動はいまいち安定感に欠けますが、言っていることそのものはマトモだと思います。(抜き書き)

 

3年前の政権交代で国民が望んだのは、これで日本の政治が変わるということではなかったのでしょうか。そして、その多くの声に応えるために、最もしなければならなかったことは既得権との戦いであったはずでした。

しかし、米国の意向を忖度した官僚、財務官僚、大手メディアなど既得権側の抵抗は凄まじいものがありました。

私が目指した方向は決して間違ってはいなかったと今でも思っていますが、その後の政権が、私を反面教師にして、「官僚、米国に抵抗したからうまくいかなかったのだ、そこをうまくやればいいのだ」と180度民主党の進むべき方向が転換されました。何のために政権交代がなされたのか、という憤りを強く感じています。再稼働を含む原発問題、TPPも全く同じ発想です。
そしてこの消費税増税法案です。消費税を上げることは、官僚中の官僚組織、財務省の悲願なのです。

 社会保障と税の一体改革と嘯きながら、社会保障の部分がよく見えません。

現執行部は政権与党としての使命を忘れ、先の選挙で国民がNGを出した旧態依然の自民党の姿そのものに成り下がってしまった感すらします。原発事故の影響で今でも16万に及ぶ人たちが放射能の洗浄も行われず避難生活を不本意にも強いられているにも拘わらず、野田内閣は経済活動を優先するあまり、事故原因が究明されず国民の多くが疑問符を感じる中、原発再稼働に踏み切りました。そしてこの渦中に国民に負担を強いる消費税増税を自公民の談合政治で成し遂げようとは言語道断です。

 

二日前の東京新聞の消費税増税法案の衆院可決に関する記事をリンクします。これが良識あるメディアというものでしょう。

   消費増税 衆院可決 政権交代の終わった日 (抜き書き)

消費税率引き上げを柱とする社会保障と税の一体改革関連法案は二十六日午後の衆院本会議で民主、自民、公明三党などの賛成多数で可決、参院に送付された。

二〇〇九年の夏が、はるか昔に感じられる。一二年六月二十六日は、政権交代が終わった日だ。

 首相は党が割れるのを覚悟の上で、衆院選では約束しなかった消費税増税を実現しようとしている。そして衆院選で戦った自民、公明の両党と組む「疑似大連立」に踏み込んだ。

 民主党を押し上げたのは、霞が関と癒着して劣化した自民党政治に代わり、国民が主役の政治を実現してほしいという国民の期待だ。だが、期待はすぐに失望に変わってしまった。マニフェストの主要政策は、ほとんど結実していない。その理由について民主党は、財源確保の見通しが甘かったことを上げるが、もしそうならば、霞が関の既得権にもっと切り込む道もあったはずだ。だが野田政権はその道を取らなかった。政権を取り、自民党時代から続く「主権在官」の体質に染まってしまったのだろう。

 政権の変質は消費税増税以外でも、ひっそりと進む。原子力基本法、宇宙航空研究開発機構法を改正。原子力と宇宙は平和利用に限るとの理念を捨て、軍事利用への道を開いた。自民党と連携し、そのタカ派的な体質まで引き継ぐようになると、どれだけの国民が想像しただろうか。

 民意と無関係なところで政治が動いている。正すのは、私たちの一票しかない。そのためにも、次の衆院選まで、政権交代が終わった日のことを記憶にとどめておく必要がある。 (関口克己)

確かに、国民のできることは選挙で、空きカン、ドジョウ、マエハラ、オカダ、阿波狸ら、のうそつきクーデター政治家を落選させることぐらいしかありません。でもこの連中も政権交代のかかった選挙では、官僚政治を批判し、国民の生活が第一のスローガンを上げ、シロアリ退治する、と大きな声で約束したのです。今や連中は、アレはウソだった、騙されたお前らがバカなんだよ、と開きなおっているのです。これらのペテン師どもを落としたとしても、次の選挙で、「国民のために働く」と約束する政治家が、政権を手にした瞬間に「ウソでした」と居直らない可能性がどれほどあるのでしょうか。

 

翌日の東京新聞の社説もなかなか良いのでリンクしておきます。暇のある人はアサヒとかヨミウリの大翼賛会プロパガンダ新聞の有害ゴミ社説と読み比べてみて下さい。

  政権選択の苦い教訓 (抜き書き)

  「一体」改革法案が衆院を通過した。消費税は増税しないと衆院選で公約した民主党による約束違反は明白だ。

 二〇〇九年衆院選で、消費税は増税しないと公約して政権交代を実現した民主党議員が、敵対していた自民、公明両党と結託して消費税率引き上げ法案に賛成する。

 自民党とは違う脱官僚や政治主導、税金の無駄遣いを徹底的になくすことで「コンクリートから人へ」の政治実現を期待した有権者の民意は完全に踏みにじられた。

 引き上げることはないと公約した消費税の増税法案を、衆院選を経ずに成立させてしまうことは、民主主義の明白なルール違反にほかならず、納得がいかない。

 政策の具体的な数値目標や達成時期、財源を明示して政権選択肢を示すのがマニフェスト政治だ。

 首相が〇九年衆院選時に公言したように「書いてあることは命懸けで実行する。書いてないことはやらない」というのは大前提だ。

 英国を本家とするマニフェストは日本では〇三年衆院選以降、各党が導入した。国民が政策によって政権を選ぶという、定着しつつあった流れを断ち切った野田首相の責任は極めて重い。

 民主主義では結論とともに手続きも重要である。国民の理解を得るための手順を欠いた政策は、それがたとえ国民に必要だとしても理解や同意は得られないだろう。「信なくば立たず」である。

 首相がもし消費税増税が日本の将来に必要だと思うのなら、自公両党と組んで中央突破を図るのではなく、面倒でも手続きをやり直す労苦を惜しんではならない。

 首相が今すべきは小沢一郎元代表ら民主党内造反議員の処分ではなく、「国民会議」で一年以内に結論を得る社会保障改革の全体像が決まるまで消費税増税法案を棚上げするか、衆院を解散して国民に信を問うことだ。

 三年前の暑い夏、高い期待を担って誕生した民主党政権が今、国民の眼前にさらすのは、自民党に同化していく無残な姿である。

 首相はそれを「決められない政治」からの脱却というが、指弾されているのは、既得権益や官僚支配など「変えるべきことを決められない政治」だ。公約違反の消費税増税など決めない方がましだ。

 

今日も長くなってしまいましたが、最後にまた、怒りのニュース。東京地検が、調書報告書の捏造にかかわった田代、佐久間、木村、再党、岩村、といった地検特捜の犯罪者集団を、不起訴にしたという話。腐った組織が腐った組織自身を治すことができないことがはっきりしました。これで、地検は法律をenforceする機関ではなく、体制の利益のために法律を都合の良いように破り、それを権力を持たない人間に対して悪用する犯罪組織であることを公に宣言したようなものです。陸山会事件、西松献金事件を見てきた人なら、国家権力やマスコミを利用して小沢一郎という一個人を徹底的に攻撃してきた既得権側の汚らしいやり口から、「法治に基づく民主主義国家」という日本の建前が全くのデタラメであったことが理解できるでしょう。今回は、いわば検察が信頼を回復できる最後のチャンスでした。検察内部の良識派は、刑事告発されたこれらのでっち上げ検事を起訴し、自浄作用を示すべきだと思っていたでしょう。しかし、結局、検察はやはりバカでした。最後のチャンスを自ら潰しました。思うに、この事件がこれだけの市民からの刑事告発にもかかわらず、もみ消されようとしているのは、官僚組織を含む既得権が、自分の利益を守るためならば、日本の社会の根幹を揺るがし、検察やひいては社会を崩壊させることさえ厭わないと思っていたからでしょう。なぜなら、起訴になって裁判になれば、検察だけではすまなくなるからです。この事件をでっち上げ、小沢起訴の絵を描いた、最高裁や自民党の大陰謀がずるずると明るみに晒される可能性があるからです。結局、トカゲの尻尾きりさえできなかった、というのが実情でしょう。八木さんが言うように、これは特捜崩壊の序曲そのものに他ならないと思います。

 

東京新聞 社説をどうぞ

検事不起訴 身内に甘すぎる処分だ

コメント
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