百醜千拙草

何とかやっています

読書感想

2014-12-09 | Weblog
週末、久しぶりに数冊の本を借りてきて読みました。そのうちの一冊は、大津秀一さんという若手の終末医療の専門家の方が5年ほど前に書いたもので、亡くなった患者さんとのエピソードが綴られていました。

この方の文章力には感心しました。自然な文章を淡々と綴りながら、力強いメッセージが浮かび上がります。ノンフィクションのもつ力でしょうか。

私も、多少の経験を通じて、人は死んだら彼岸に渡る、死ぬとはcross overする(だけ)のことなのだと確信するようになりました。本当の意味で物質的な意味でわれわれが考えている「死」というものはないのと思っております。しかし、人それぞれです。死に直面した人が感じる不安は想像でしかわかりません。初めてバンジージャンプしたり、スカイダイビングで飛行機から飛び降りたりする時のような感じに近いのではないだろうか、と想像するぐらいです。もちろん、何百人を看取った医者であっても、その本人自身が「死」を経験したことがないのだから、いくら終末医療の専門家であっても「死」がどうにょうなものかは本当には分からないことです。

思うに、人の一生が、多かれ少なかれ、みな同じように、生まれて食べて寝て働いてというのを繰り返しているだけのように見えながら個人の視点からすれば大変多様なものであると同様に、死に行く人にとっての死や生の終わりは、われわれが思うよりもずっと多様なのだろうと想像します。

終末医療であれ、普通の医療であれ、施療者が技術的な意味でできることは限られています。死ぬ人を生き返らせることはできないし、大抵の重篤な病気に対して現代医学は無力です。多くの治る病気は医者がいなくても治るし、治らない病気はいくら手を尽くしても治りません。最終的に施療者ができることは、おそらく「寄り添うこと」ぐらいなのでしょう。それは、医学校やその後の研修で身につける医師としての知識や技術とは別のところにあります。そして、「寄り添うこと」も容易なことではありません。
そんなことを思いました。
コメント
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