世の中はすっかりクリスマス休暇モードで、一月前に投稿した論文の返事も来ませんし、誰にメールを打っても、「来年まで御機嫌よう」みたいな自動返答しか返ってきません。その間、時間だけは着実に経ち、グラントの再申請と別の論文のことなどでこちらの気持ちは焦ります。これはイカンと、こちらも気持ちを切り替えて休暇モードにしつつ大掃除でもしてスッキリしようと考えております。
論文や欲しい情報は、今や図書館に行かなくてもオンラインでいくらでも手に入るので、情報過多となり、その都度、印刷して読みとばすので、紙類が一年も経てば大量に溜まります。購読している雑誌も溜まって行きます。まずもう二度と読まないとわかっていても、それらの雑誌を捨てるのは躊躇するものです。大抵、捨てた後に必要になったりするものですから。とはいいつつも、年末にサイエンスやネーチャーや学会誌を多少はまとめて、リサイクルに捨てる時は気持ちがいいものです。何事かを成し遂げたような気になります。
年末は今年を振り返って、良かったことでも数えてみますかね。
まだ論文にはなっていませんが、今年はいろいろ面白い研究上の発見がありました。その多くが、ウチの研究室に縁あって遠くから来てくれた若い女性の医師研究者の人の成果です。一生懸命研究に取り組んで面白いデータを出し続けてくれるこの方には感謝に絶えません。安い給料しか出せず先の見通しも定かでない環境で(ま、結局、どうにかなるものですが)頑張ってくれているこの方に、是非とも何らかの形で報いたいと願っております。もう一人の人はあと数ヶ月で隣りの研究室に移ります。この三年ほどで二本の筆頭原著論文、もう一本を執筆中、二本のレビューと本の一章というまずまずの業績で移籍になるので、こちらの責任も多少果たせたかなと思います。彼女らが今年の学会で二人とも授賞口演演題に選ばれたのも大変うれしかったです。それから、私も密かにコソコソやっているプロジェクトもあと数ヶ月ぐらいで小さな話にまとまりそうです。
他に、いいことは、、、数え上げればきりがありません、、、。
悪かったこともいろいろありますが、それは終わったこととして忘れます。もう一歩進んで、悪かった中にも何か良い点を見つけようとすることが幸せの秘訣だと聞いたことがあります。
悪いといえば、アベ政権です。無理すれば見つけれないこともありませんが、アベ政権に良いことを見つけるのは困難です。しかし、私は、悪口を言うのはやめると決心したのでした。愚痴や悪口は最悪のエネルギーを持っているらしいですし。
最近、「悪」について大変興味深い考え方を聞いたので、書いておきたいと思います。世の中には「悪人」がおります。悪人、善人は相対的なものだと私は以前考えていましたが、しばらく前から絶対的な悪というものも’存在するのではないかと疑うようになりました。本当のところはわかりません。
どこかのサイトで知ったその言葉に「悪とは、光の不在である」とありました。出典をグーグルで調べてみたら、Gary Zukavという人の書いた「魂との対話」という本の中の一節のようです。そこには、こうありました。『悪は光の不在であり、光の不在によっては癒されない。もしあなたが、悪あるいは悪に手を染めた人間を憎んだとしたら、そのときあなたは、光の存在ではなく、その不在に手を貸したことになる。悪を憎んだところで悪はけっして消滅することがない。それどころか、それによって悪は強化されるのである。」
私はこの言葉に非常に感心し、私のこれまでのアベ政権への態度は間違っていたのではないかと反省しました。即ち、悪政は嫌い憎むことによって増強する可能性があるということです。神は「復讐はしてはならない」と教えましたし、「人を呪わば穴二つ」とも言います。いくら悪口に値する政権であっても悪口をいうことはトクにはならないようです。少なくとも、アベ政権の悪口を言っても自分に身には対して何もよいことはありません。むしろ、アベ政権を光の不在で闇の中をワケも分からず右往左往している気の毒な連中だと哀れんでやった方がわれわれの精神衛生にはよいかも知れません。
しかし、原発推進して国土を汚染しつづけ、辺野古を埋め立てて自然を破壊して在日米軍を恒久化して沖縄に苦痛を与え続け、消費税増税して役人の給料を上げる一方で、企業のリストラと非正規化雇用を促進しつつ、TPPで日本の農業と福祉を壊滅させ、あげくに軍隊を作ってアメリカの下働きとして遊び感覚で要らぬ戦争に首を突っ込む、そのような絶対悪を放置しておいてよいのかとも思います。
とにかく、自分にできる対処はして、悪は憎まず、心の平和をまず第一に考えるところから始めたいと思います。
論文や欲しい情報は、今や図書館に行かなくてもオンラインでいくらでも手に入るので、情報過多となり、その都度、印刷して読みとばすので、紙類が一年も経てば大量に溜まります。購読している雑誌も溜まって行きます。まずもう二度と読まないとわかっていても、それらの雑誌を捨てるのは躊躇するものです。大抵、捨てた後に必要になったりするものですから。とはいいつつも、年末にサイエンスやネーチャーや学会誌を多少はまとめて、リサイクルに捨てる時は気持ちがいいものです。何事かを成し遂げたような気になります。
年末は今年を振り返って、良かったことでも数えてみますかね。
まだ論文にはなっていませんが、今年はいろいろ面白い研究上の発見がありました。その多くが、ウチの研究室に縁あって遠くから来てくれた若い女性の医師研究者の人の成果です。一生懸命研究に取り組んで面白いデータを出し続けてくれるこの方には感謝に絶えません。安い給料しか出せず先の見通しも定かでない環境で(ま、結局、どうにかなるものですが)頑張ってくれているこの方に、是非とも何らかの形で報いたいと願っております。もう一人の人はあと数ヶ月で隣りの研究室に移ります。この三年ほどで二本の筆頭原著論文、もう一本を執筆中、二本のレビューと本の一章というまずまずの業績で移籍になるので、こちらの責任も多少果たせたかなと思います。彼女らが今年の学会で二人とも授賞口演演題に選ばれたのも大変うれしかったです。それから、私も密かにコソコソやっているプロジェクトもあと数ヶ月ぐらいで小さな話にまとまりそうです。
他に、いいことは、、、数え上げればきりがありません、、、。
悪かったこともいろいろありますが、それは終わったこととして忘れます。もう一歩進んで、悪かった中にも何か良い点を見つけようとすることが幸せの秘訣だと聞いたことがあります。
悪いといえば、アベ政権です。無理すれば見つけれないこともありませんが、アベ政権に良いことを見つけるのは困難です。しかし、私は、悪口を言うのはやめると決心したのでした。愚痴や悪口は最悪のエネルギーを持っているらしいですし。
最近、「悪」について大変興味深い考え方を聞いたので、書いておきたいと思います。世の中には「悪人」がおります。悪人、善人は相対的なものだと私は以前考えていましたが、しばらく前から絶対的な悪というものも’存在するのではないかと疑うようになりました。本当のところはわかりません。
どこかのサイトで知ったその言葉に「悪とは、光の不在である」とありました。出典をグーグルで調べてみたら、Gary Zukavという人の書いた「魂との対話」という本の中の一節のようです。そこには、こうありました。『悪は光の不在であり、光の不在によっては癒されない。もしあなたが、悪あるいは悪に手を染めた人間を憎んだとしたら、そのときあなたは、光の存在ではなく、その不在に手を貸したことになる。悪を憎んだところで悪はけっして消滅することがない。それどころか、それによって悪は強化されるのである。」
私はこの言葉に非常に感心し、私のこれまでのアベ政権への態度は間違っていたのではないかと反省しました。即ち、悪政は嫌い憎むことによって増強する可能性があるということです。神は「復讐はしてはならない」と教えましたし、「人を呪わば穴二つ」とも言います。いくら悪口に値する政権であっても悪口をいうことはトクにはならないようです。少なくとも、アベ政権の悪口を言っても自分に身には対して何もよいことはありません。むしろ、アベ政権を光の不在で闇の中をワケも分からず右往左往している気の毒な連中だと哀れんでやった方がわれわれの精神衛生にはよいかも知れません。
しかし、原発推進して国土を汚染しつづけ、辺野古を埋め立てて自然を破壊して在日米軍を恒久化して沖縄に苦痛を与え続け、消費税増税して役人の給料を上げる一方で、企業のリストラと非正規化雇用を促進しつつ、TPPで日本の農業と福祉を壊滅させ、あげくに軍隊を作ってアメリカの下働きとして遊び感覚で要らぬ戦争に首を突っ込む、そのような絶対悪を放置しておいてよいのかとも思います。
とにかく、自分にできる対処はして、悪は憎まず、心の平和をまず第一に考えるところから始めたいと思います。