昔、稲村ジェーンという映画があったなあ、と思い出しました。サーフィンと言えば海、海といえば南国、南国といえばラテン。
ちょっと前、Nature CommunにGWASで「耳の形と関連するSNPを同定した」という論文が出ていました。うーん、この役に立たなさそうなところが好きです。イグ ノーベル賞受賞候補にあげておきましょう。
研究そのものはオーソドックスで、ラテンアメリカでのヒト多様性に関する研究の一部とのことで、5000人余りを解析しています。ただしラテン系論文でも研究グループの所属はイギリスはロンドン、Tim HuntのUCL。
耳たぶの大きさと関係しているのは4つのSNPで、中でもEDARという遺伝子近傍のSNPは耳たぶ以外の耳の形態とも関連しているということで、EDARノックアウトマウスをの耳の形を解析しています。確かに耳の形状に変化はでるのですが、マウスの場合、どこが耳たぶなのかよくわかりません。ヒトのEDAR遺伝子変異はectodermal dysplasiaという外分泌腺や歯の異常などを示すようです。ヒトの症例の写真を見ると耳の形もスポック型みたいに変形しているように見えますが、耳たぶの形に関してはよくわかりません。SNPと機能欠失変異では表現型への影響は勿論異なるでしょうから、このSNPが本当に福耳の原因となっているかどうかは、ツインスタディーなどでもっと厳密に関連性を調べるしかなさそうです。(誰もやらないでしょうけど)
もしも、将来、Crispr/Casでデザイナーベイビーを作れるようになった時には、この「福耳gene」へのSNP導入もやってみてもらいたいと思います。
こういうよく意義がわからない(?)研究に、どうも私は惹かれます。何かの役に立つことを目指してなされた研究で、実際に何かの役に立ったりすると、すごいなあと感動はするのですが、それがすぐにビジネスに直結してしまうからかギラギラした人間の欲望がチラつくような気がしてしまいます。無論、建前上は、税金を使って、国民の健康増進を最終目的に行われる研究ですから、「福耳ジーン」を同定するという研究よりも、致死性疾患の新規治療方法を開発するという研究が優先されるのは当然であろうとは思います。しかし、私はこの論文を読んで楽しませて貰いましたから、(少なくとも私の)健康増進の役には立った研究だと擁護しておきたいと思います。
また、アイスボール セオリーというものもあります。あと何十億年も経てば、太陽は燃え尽きて地球は氷の球となり人間は消滅する、そういう視点から物事を眺めたらどのような重要案件もさほど重要ではないという話です。人間の活動など宇宙の規模からみればほんの小さなものであり、研究の重要さという基準も人間が各々の立場で決めた恣意的なものだということでしょう。
研究であれ何であれ、対象を「判断する」ということ自体がある種のネティティブな要素を内包していると私は思います。「そんな研究をして何の意味があるのか」という批判を聞くと、脱力してしまいます。随分前、小さな学会で私を含めた数人の発表に関して、当時若手で大活躍していた某先生からその手のコメントをされたことがあり、その時に感じた反感のせいかもしれません。その人はその後も重要論文を発表し続けて大活躍しましたがスキャンダルに巻き込まれて失脚し、結局、研究現場から去ってしまいました。
人間は、生まれた以上そのうち必ず死にますし、人類も消滅するでしょう。終わりがある限られた人生ですから、いかに良く生きて楽しく死ぬまでの時間を過ごすかの方が「誰かに取って意義のあることをする」よりも大切ではないかと私は思います。バカげたことをした言い訳に若者が YOLO (You only live once) という言葉を使ったりしますが、そこのは深い哲学が潜んでいるように思います。結局、立派なことをするのもバカげたことをするのも、死ぬ時までのヒマつぶしで、本質的に差はないというのが私のミニ アイスボール セオリーです。ならば、楽しいことをしましょう。私個人にとっては、何かの実利的意味のある研究よりも、楽しくなるような研究や、感動を与えてくれるような研究が良い研究です。
ちょっと前、Nature CommunにGWASで「耳の形と関連するSNPを同定した」という論文が出ていました。うーん、この役に立たなさそうなところが好きです。イグ ノーベル賞受賞候補にあげておきましょう。
研究そのものはオーソドックスで、ラテンアメリカでのヒト多様性に関する研究の一部とのことで、5000人余りを解析しています。ただしラテン系論文でも研究グループの所属はイギリスはロンドン、Tim HuntのUCL。
耳たぶの大きさと関係しているのは4つのSNPで、中でもEDARという遺伝子近傍のSNPは耳たぶ以外の耳の形態とも関連しているということで、EDARノックアウトマウスをの耳の形を解析しています。確かに耳の形状に変化はでるのですが、マウスの場合、どこが耳たぶなのかよくわかりません。ヒトのEDAR遺伝子変異はectodermal dysplasiaという外分泌腺や歯の異常などを示すようです。ヒトの症例の写真を見ると耳の形もスポック型みたいに変形しているように見えますが、耳たぶの形に関してはよくわかりません。SNPと機能欠失変異では表現型への影響は勿論異なるでしょうから、このSNPが本当に福耳の原因となっているかどうかは、ツインスタディーなどでもっと厳密に関連性を調べるしかなさそうです。(誰もやらないでしょうけど)
もしも、将来、Crispr/Casでデザイナーベイビーを作れるようになった時には、この「福耳gene」へのSNP導入もやってみてもらいたいと思います。
こういうよく意義がわからない(?)研究に、どうも私は惹かれます。何かの役に立つことを目指してなされた研究で、実際に何かの役に立ったりすると、すごいなあと感動はするのですが、それがすぐにビジネスに直結してしまうからかギラギラした人間の欲望がチラつくような気がしてしまいます。無論、建前上は、税金を使って、国民の健康増進を最終目的に行われる研究ですから、「福耳ジーン」を同定するという研究よりも、致死性疾患の新規治療方法を開発するという研究が優先されるのは当然であろうとは思います。しかし、私はこの論文を読んで楽しませて貰いましたから、(少なくとも私の)健康増進の役には立った研究だと擁護しておきたいと思います。
また、アイスボール セオリーというものもあります。あと何十億年も経てば、太陽は燃え尽きて地球は氷の球となり人間は消滅する、そういう視点から物事を眺めたらどのような重要案件もさほど重要ではないという話です。人間の活動など宇宙の規模からみればほんの小さなものであり、研究の重要さという基準も人間が各々の立場で決めた恣意的なものだということでしょう。
研究であれ何であれ、対象を「判断する」ということ自体がある種のネティティブな要素を内包していると私は思います。「そんな研究をして何の意味があるのか」という批判を聞くと、脱力してしまいます。随分前、小さな学会で私を含めた数人の発表に関して、当時若手で大活躍していた某先生からその手のコメントをされたことがあり、その時に感じた反感のせいかもしれません。その人はその後も重要論文を発表し続けて大活躍しましたがスキャンダルに巻き込まれて失脚し、結局、研究現場から去ってしまいました。
人間は、生まれた以上そのうち必ず死にますし、人類も消滅するでしょう。終わりがある限られた人生ですから、いかに良く生きて楽しく死ぬまでの時間を過ごすかの方が「誰かに取って意義のあることをする」よりも大切ではないかと私は思います。バカげたことをした言い訳に若者が YOLO (You only live once) という言葉を使ったりしますが、そこのは深い哲学が潜んでいるように思います。結局、立派なことをするのもバカげたことをするのも、死ぬ時までのヒマつぶしで、本質的に差はないというのが私のミニ アイスボール セオリーです。ならば、楽しいことをしましょう。私個人にとっては、何かの実利的意味のある研究よりも、楽しくなるような研究や、感動を与えてくれるような研究が良い研究です。