しばらくまえ、「研究室の女性は恋する、批判すると泣く」と漏らした発言の揚げ足を取られて、Tim Hunt氏がUCL名誉教授辞任に追い込まれた事件に関して、6/25Natureが、元Hunt研究室の研究員で元Nature系雑誌のエディターの女性の記事を掲載しています。「Judge by actions, not words」というタイトルで、Tim Huntは、女性蔑視の行動をとったことはなかったとHuntの擁護記事です。
イギリスの誇る科学者のスキャンダルに関して、イギリスの誇る科学雑誌が「身内」の視点からの擁護記事を出したわけで、その辺、多少、割り引いて読むべきでしょうが、多分、実際はこの人のいう通りだろうな、と思いました。
誰でも、人や出来ごとやモノに対して、判断を下しながら生きています。それがステロタイプをつくっていくわけですが、そうした先入観や偏見はそれなりに有用なものです。ある経験に基づいて将来におこる良くないできごとを回避するための知恵とも言えるでしょう。しかし、それを公に口にするわけにはいきません。ちょっとした冗談のつもりで言ったことが冗談に取られずに、逆に悪意を持って利用されたり、全く意図したことと違うように誤解されることも起こります。聞く方は自由に解釈するわけですから。
女性蔑視的発言に関しては、Jim Watsonもやりましたし、Larry Summersもやりました。パワーポジションにある男性が、女性一般について語るときは十分な配慮が必要ということです。Tim Huntの場合は、想像するに本当に出来の悪い冗談のつもりだったのだろうと思います。本音でさえなかったのではないかと思います。
いずれにせよ、口は禍いの元です。公人が発言するという行為を、様々な受け手の立場に立って考えるという点に関して日本は大変、遅れています。己の言動を様々な立場にある第三者の目から見ることができる能力というのは、人間の成熟度と相関しています。それだけの想像力のトレーニングが必要です。その点、商売人はすぐれています。お客さんの身になって第三者的観点から自己の振る舞いを評価する能力は商売には不可欠だからでしょう。論文やグラントを「売る」研究者もこの技術がないと長期には生き残れません。ダメなのは権力を持っているとでも思っている思い上がった連中ですね。
加えて、日本の与党政治家や某作家は自由に思っていることをしゃべるのは言論と表現の自由だとでも勘違いしているようです。その自由にどれほどの責任が伴っているのか、その発言が社会のコンテクストでどのように受け止められるのか、十分に考えてから発言しているようには思えません。某作家は、会議室の中での発言で、酒場でオヤジが戯れ話をするのと同じだ、と言い訳したそうですが、それならば国民の代表や言論者というパワーポジションから降りて、酒場に行ってからヨタ話をすればよいことです。アベ氏も国の代表というポジションをやめてからなら、どんなヨタ話をしようと誰も気にしません。その酒場のオヤジのヨタ話を、政党の「勉強会」みたいなところでやったということが問題なのです。Tim Hunt事件同様、あれは冗談だよ、という言い訳が通用しないのは当然です。
更に、大西某とかいう代議士、政権に都合の悪いことを言う新聞を「懲らしめてやらなければならない」と繰り返したそうです。この人、自分は仮面ライダーか水戸黄門かとでも思っているのでしょうかね。幹事長にそのバカ発言のために、自分自身が懲らしめられたというのに、懲りない人です。権力側が、力のない一般国民に対して秘密保護法という言論統制を仕掛け、都合の悪い言論人には痴漢をでっち上げたりマスコミに圧力をかけてて干したりして言論封鎖するような卑劣なマネをしておきながら、己の放言に関しては「言論の自由」だとか言う支離滅裂さは救いがないです。
沖縄の二誌の怒りは当然で、そろって記者会見。
たしかに、謝罪するのは国民と報道機関に対してです。公明党に謝罪するというところからして、本当に反省しているようには見えません。
さらに、沖縄県議会は2日、自民党若手議員の勉強会で講師を務めた作家百田尚樹氏と出席議員による発言に抗議し、撤回と謝罪を求める決議を自民党を除く賛成多数で可決した。「県民を愚弄するもので、断じて許すわけにはいかない」と強調した、ということです。人間は軽い方がいいと私は思っておりますが、軽いのと幼稚なのは違います。権力側にいると思っているこうした連中の、自分の言動の重さを理解できない幼稚さとでもいうものが、軽々しい発言を生むのでしょう。
イギリスの誇る科学者のスキャンダルに関して、イギリスの誇る科学雑誌が「身内」の視点からの擁護記事を出したわけで、その辺、多少、割り引いて読むべきでしょうが、多分、実際はこの人のいう通りだろうな、と思いました。
誰でも、人や出来ごとやモノに対して、判断を下しながら生きています。それがステロタイプをつくっていくわけですが、そうした先入観や偏見はそれなりに有用なものです。ある経験に基づいて将来におこる良くないできごとを回避するための知恵とも言えるでしょう。しかし、それを公に口にするわけにはいきません。ちょっとした冗談のつもりで言ったことが冗談に取られずに、逆に悪意を持って利用されたり、全く意図したことと違うように誤解されることも起こります。聞く方は自由に解釈するわけですから。
女性蔑視的発言に関しては、Jim Watsonもやりましたし、Larry Summersもやりました。パワーポジションにある男性が、女性一般について語るときは十分な配慮が必要ということです。Tim Huntの場合は、想像するに本当に出来の悪い冗談のつもりだったのだろうと思います。本音でさえなかったのではないかと思います。
いずれにせよ、口は禍いの元です。公人が発言するという行為を、様々な受け手の立場に立って考えるという点に関して日本は大変、遅れています。己の言動を様々な立場にある第三者の目から見ることができる能力というのは、人間の成熟度と相関しています。それだけの想像力のトレーニングが必要です。その点、商売人はすぐれています。お客さんの身になって第三者的観点から自己の振る舞いを評価する能力は商売には不可欠だからでしょう。論文やグラントを「売る」研究者もこの技術がないと長期には生き残れません。ダメなのは権力を持っているとでも思っている思い上がった連中ですね。
加えて、日本の与党政治家や某作家は自由に思っていることをしゃべるのは言論と表現の自由だとでも勘違いしているようです。その自由にどれほどの責任が伴っているのか、その発言が社会のコンテクストでどのように受け止められるのか、十分に考えてから発言しているようには思えません。某作家は、会議室の中での発言で、酒場でオヤジが戯れ話をするのと同じだ、と言い訳したそうですが、それならば国民の代表や言論者というパワーポジションから降りて、酒場に行ってからヨタ話をすればよいことです。アベ氏も国の代表というポジションをやめてからなら、どんなヨタ話をしようと誰も気にしません。その酒場のオヤジのヨタ話を、政党の「勉強会」みたいなところでやったということが問題なのです。Tim Hunt事件同様、あれは冗談だよ、という言い訳が通用しないのは当然です。
更に、大西某とかいう代議士、政権に都合の悪いことを言う新聞を「懲らしめてやらなければならない」と繰り返したそうです。この人、自分は仮面ライダーか水戸黄門かとでも思っているのでしょうかね。幹事長にそのバカ発言のために、自分自身が懲らしめられたというのに、懲りない人です。権力側が、力のない一般国民に対して秘密保護法という言論統制を仕掛け、都合の悪い言論人には痴漢をでっち上げたりマスコミに圧力をかけてて干したりして言論封鎖するような卑劣なマネをしておきながら、己の放言に関しては「言論の自由」だとか言う支離滅裂さは救いがないです。
沖縄の二誌の怒りは当然で、そろって記者会見。
自民党若手議員の勉強会で沖縄2紙への圧力発言が出たことを受け、琉球新報の潮平芳和編集局長と、沖縄タイムスの武富和彦編集局長が2日、日本記者クラブで記者会見し、いずれも「事実に基づかない暴論で断じて許せない」と批判した。
潮平氏は、安倍晋三首相が公明党の山口那津男代表に陳謝したことを報じた2日付自社紙面を掲げ「謝罪の時期と場所が間違っている。問題発覚直後に国会や国民の前ですべきだ」と強調した。
潮平氏は、安倍晋三首相が公明党の山口那津男代表に陳謝したことを報じた2日付自社紙面を掲げ「謝罪の時期と場所が間違っている。問題発覚直後に国会や国民の前ですべきだ」と強調した。
たしかに、謝罪するのは国民と報道機関に対してです。公明党に謝罪するというところからして、本当に反省しているようには見えません。
さらに、沖縄県議会は2日、自民党若手議員の勉強会で講師を務めた作家百田尚樹氏と出席議員による発言に抗議し、撤回と謝罪を求める決議を自民党を除く賛成多数で可決した。「県民を愚弄するもので、断じて許すわけにはいかない」と強調した、ということです。人間は軽い方がいいと私は思っておりますが、軽いのと幼稚なのは違います。権力側にいると思っているこうした連中の、自分の言動の重さを理解できない幼稚さとでもいうものが、軽々しい発言を生むのでしょう。