どうも国際会議屋という商売があるみたいで、数年前から、怪しげな会議からの招待がしばしば届きます。中国が多いですが韓国、イタリア、イギリス、アメリカなど様々な場所でやってます。マトモな会議ならアカデミアの人が直接コンタクトしてくるはずですが、あきらかにプロのオーガナイザーらしき人が仕切っているようです。私はこの手のメール全てに「残念ながら行けません」と丁寧に返事しているのですが、まれにその返事に返事がくることがあり、この間は「それでは、別の人を紹介してもらえませんか」みたいな返事が来ました。つまり、それなりの機関や大学に所属していれば、会議でしゃべる人は誰でもいいのです。雑誌の記事と同じです(雑誌は広告料を取るための手段ですが、しかし記事がなければ誰も読みませんからね)しかし国際会議がそんなに儲かる商売になるとは思えないのですが、どういう仕組みなのでしょうか。ウチのメインの学会は、コストがかかり過ぎて、参加費は年々上がるのに内容はお粗末になっていく一方です(これは製薬会社の撤退傾向が響いているのです。二十年ほど前は、新薬も好調で学会も賑やかだったのですけど)。
学会ビジネスもどうかと思いますが、出版ビジネスも最近とくにひどいと思います。名前もきいたことのないような雑誌(本当の存在するのでしょうか)から、論文出版が今なら無料とか、編集委員しませんかとかというメールが毎日のように来ます。著者が費用を負担することの多い学術論文出版の場合、ビジネスになるのはわかります。編集もレビューアもアカデミアの人間を無料で使い回せばいいわけですし。確かにアカデミアの人間にとって研究成果を論文にして出版することは最も大切な活動ですから、それがビジネスになるのはわかります。しかし、紙媒体も使うマトモな雑誌への出版費用はバカになりません。それも限られた研究費の中から支払われるわけですし。
限られた研究費と言えば、現在、アメリカでは、グラントの採択率は1割ちょっとという悲惨な状態が続いているわけですが、6/18/15のCellのフロントページでは、珍しく7ページにもわたって、アメリカのNIH研究費の問題点についての議論がありました。グラントは研究計画をを提出してそれを評価するのですが、研究計画ではなく研究者を評価して決めるべきだという話です。私もその通りだと思いますが、実は、現在のシステムでも研究者が誰かということは、グラントの評価にかなり重要な因子となっています。現在のシステムだと、第一に研究意義、第二に研究者、第三に具体的な研究計画、そして研究環境、という感じで評価されると思います。第一の点「研究意義」が不十分であれば、あとの項目がいくら良くても原則的にはダメだと思います。一方、「研究意義」などというものは実際の研究結果を伴って初めて意味があるのであり、計画段階で評価しても仕方がない、それよりも研究者自身の過去の実績から今後を予測して資金を配分する方が実利的だという意見はもっともです。私もそう思います。しかし、研究計画書というのは、大学でいえば入学試験みたいなものだと思います。いくら内申書が良くても、試験の点が悪ければ不合格にせざるを得ないと私は思います。また、若手で実績の少ない人は研究者の過去の業績(内申書)もあまり当てにできないわけですから、研究計画の評価に重点を置かないということになると、若手はその点不利になります。今でも若手への優遇処置はあります。初めての通常サイズのNIHグラント応募者は特典があって、採点にゲタを履かせてもらえます。そのゲタも近年は高くなる傾向にあるようで、5年前にはあるNIH機関での採択率15%ぐらいのときは、2%ほどでしたが、最近では同じ機関で一般採択率が12%と減少した分、若手へのゲタは5%となり、若手の場合トップ17%が採用ラインとなっています。それだけ、若手の確保に気を配っているのでしょう。
しかしながら、こうした努力は、よくある喩えで言えば、「タイタニック号の甲板の椅子を並べ替える」ようなもので、根本的な解決ではありません。問題は、グラントの採択率が1割程度しかないという絶対的なカネと研究活動のアンバランスにあるわけで、根本的な解決は、採択率を少なくとも2倍以上に上げるしかありません。そのためにはとりあえずは国の研究予算を増やすしかありません。
どうやって予算を増やすのかということですが、管理通貨制の現代、カネはそもそも実在しているものではなく、無からつくられているのですから、必要ならもっと無からつくればよい、と私は思います。それができないのは人々がカネには価値があると信じていて、その信念を利用する人間がいるからです。そういう連中が、無からFRBに作らせたカネを政府に貸し付けて利息をとるようなことをするので、アメリカは累積赤字がどうにもならないレベルに達してしまっているわけです。実は、無から作ったものですから、これを解決するのも実は簡単です。FRBではなくアメリカ政府自身が通貨を発行すればよいのです。日本も借金がどうとか言って増税してますが、同じことで、政府自らが日銀券でない別の通貨を発行して、「日本政府券」を公式通貨にしてその無からつくった新しい通貨で過去の「日銀券」の借金を相殺してしまえばよいのです。(もちろん政府と日銀は同じ穴のナントカですから、本当に民主的な政府ができない限りこれを実現するのは不可能なのですが)
私は、現代の管理通貨制のカネというのは、カネが価値のあるものだという人々の信念を利用したある種の詐欺のようなものではないかと思います。極端な喩えで言えば、国の借金というのは、タダ同然の「壷」を高額で国民に売りつけた上で、それを体で返させる(増税)ようなヤクザの追い込みのようなものではないのかと思います。
ギリシャ危機は、うまくすれば、このスキームを暴くことになるのではないかな、とふと思いました。ギリシャは一応、債務縮減の努力をしたわけですが、アベノミクスと同様、いくら政府が成長計画などという絵に描いた餅を掲げても、できないものはできないのです。金貸し側が、「カネを返せないのなら、体で払ってもらうしかない(社会保障の削減etc)」と脅しだしたので、結局、国民は「ない袖は振れない、貸した方にも責任がある」と開き直ったというところでしょう。貸す方は勿論、ビジネスで貸しており、ボランティアでやっているわけではありません。例えばユーロの中央銀行を牛耳るドイツが、ギリシャをユーロ圏に留めることで、ギリシャに借金させたカネでドイツの兵器を買わせたりしているわけです。悪意のある言い方をすれば、麻薬中毒にしておいて借金漬けにしてカタに嵌めるようなものです。この話はまたギリシャ危機の帰趨をみてからやりたいと思います。
学会ビジネスもどうかと思いますが、出版ビジネスも最近とくにひどいと思います。名前もきいたことのないような雑誌(本当の存在するのでしょうか)から、論文出版が今なら無料とか、編集委員しませんかとかというメールが毎日のように来ます。著者が費用を負担することの多い学術論文出版の場合、ビジネスになるのはわかります。編集もレビューアもアカデミアの人間を無料で使い回せばいいわけですし。確かにアカデミアの人間にとって研究成果を論文にして出版することは最も大切な活動ですから、それがビジネスになるのはわかります。しかし、紙媒体も使うマトモな雑誌への出版費用はバカになりません。それも限られた研究費の中から支払われるわけですし。
限られた研究費と言えば、現在、アメリカでは、グラントの採択率は1割ちょっとという悲惨な状態が続いているわけですが、6/18/15のCellのフロントページでは、珍しく7ページにもわたって、アメリカのNIH研究費の問題点についての議論がありました。グラントは研究計画をを提出してそれを評価するのですが、研究計画ではなく研究者を評価して決めるべきだという話です。私もその通りだと思いますが、実は、現在のシステムでも研究者が誰かということは、グラントの評価にかなり重要な因子となっています。現在のシステムだと、第一に研究意義、第二に研究者、第三に具体的な研究計画、そして研究環境、という感じで評価されると思います。第一の点「研究意義」が不十分であれば、あとの項目がいくら良くても原則的にはダメだと思います。一方、「研究意義」などというものは実際の研究結果を伴って初めて意味があるのであり、計画段階で評価しても仕方がない、それよりも研究者自身の過去の実績から今後を予測して資金を配分する方が実利的だという意見はもっともです。私もそう思います。しかし、研究計画書というのは、大学でいえば入学試験みたいなものだと思います。いくら内申書が良くても、試験の点が悪ければ不合格にせざるを得ないと私は思います。また、若手で実績の少ない人は研究者の過去の業績(内申書)もあまり当てにできないわけですから、研究計画の評価に重点を置かないということになると、若手はその点不利になります。今でも若手への優遇処置はあります。初めての通常サイズのNIHグラント応募者は特典があって、採点にゲタを履かせてもらえます。そのゲタも近年は高くなる傾向にあるようで、5年前にはあるNIH機関での採択率15%ぐらいのときは、2%ほどでしたが、最近では同じ機関で一般採択率が12%と減少した分、若手へのゲタは5%となり、若手の場合トップ17%が採用ラインとなっています。それだけ、若手の確保に気を配っているのでしょう。
しかしながら、こうした努力は、よくある喩えで言えば、「タイタニック号の甲板の椅子を並べ替える」ようなもので、根本的な解決ではありません。問題は、グラントの採択率が1割程度しかないという絶対的なカネと研究活動のアンバランスにあるわけで、根本的な解決は、採択率を少なくとも2倍以上に上げるしかありません。そのためにはとりあえずは国の研究予算を増やすしかありません。
どうやって予算を増やすのかということですが、管理通貨制の現代、カネはそもそも実在しているものではなく、無からつくられているのですから、必要ならもっと無からつくればよい、と私は思います。それができないのは人々がカネには価値があると信じていて、その信念を利用する人間がいるからです。そういう連中が、無からFRBに作らせたカネを政府に貸し付けて利息をとるようなことをするので、アメリカは累積赤字がどうにもならないレベルに達してしまっているわけです。実は、無から作ったものですから、これを解決するのも実は簡単です。FRBではなくアメリカ政府自身が通貨を発行すればよいのです。日本も借金がどうとか言って増税してますが、同じことで、政府自らが日銀券でない別の通貨を発行して、「日本政府券」を公式通貨にしてその無からつくった新しい通貨で過去の「日銀券」の借金を相殺してしまえばよいのです。(もちろん政府と日銀は同じ穴のナントカですから、本当に民主的な政府ができない限りこれを実現するのは不可能なのですが)
私は、現代の管理通貨制のカネというのは、カネが価値のあるものだという人々の信念を利用したある種の詐欺のようなものではないかと思います。極端な喩えで言えば、国の借金というのは、タダ同然の「壷」を高額で国民に売りつけた上で、それを体で返させる(増税)ようなヤクザの追い込みのようなものではないのかと思います。
ギリシャ危機は、うまくすれば、このスキームを暴くことになるのではないかな、とふと思いました。ギリシャは一応、債務縮減の努力をしたわけですが、アベノミクスと同様、いくら政府が成長計画などという絵に描いた餅を掲げても、できないものはできないのです。金貸し側が、「カネを返せないのなら、体で払ってもらうしかない(社会保障の削減etc)」と脅しだしたので、結局、国民は「ない袖は振れない、貸した方にも責任がある」と開き直ったというところでしょう。貸す方は勿論、ビジネスで貸しており、ボランティアでやっているわけではありません。例えばユーロの中央銀行を牛耳るドイツが、ギリシャをユーロ圏に留めることで、ギリシャに借金させたカネでドイツの兵器を買わせたりしているわけです。悪意のある言い方をすれば、麻薬中毒にしておいて借金漬けにしてカタに嵌めるようなものです。この話はまたギリシャ危機の帰趨をみてからやりたいと思います。