百醜千拙草

何とかやっています

恐怖が生む視野狭窄と思考停止

2015-07-28 | Weblog
柳田先生のブログで、佐藤優氏の辺野古への米軍飛行場移設についての新聞の意見に関して、次のように述べられています。

いっぽうで、しかしながらわたくしは虫の良いことも考えたくなり、現存の沖縄にある飛行場というか空港は未来的には民間空港にも使えるようになると期待しているのです。どれも沖縄にとって貴重な社会的財産にある。そうなると、辺野古に空港ができれば将来的には沖縄本島の北部の振興にはものすごく役にたつ。嘉手納も返還される事を期待すれば、普天間にある空港は危険プラス無駄だが、辺野古が民間空港に転換されれば沖縄にとって大変なメリットでは無いか、などとかんがえてしまうのです。


沖縄返還から50年近くたっても、米軍基地はなくなるどころか、大多数の地元県民と県知事の反対にもかかわらず、辺野古の自然を破壊してバージョンアップして移転しようとしているのです。将来的に米軍のための飛行場が民間空港に転用されるかどうか、未来のことはわかりませんから「ない」とは言えませんが、その時は、おそらくアメリカの世界覇権が終わっているということであり、あるいは、アメリカの代わりに中国軍かロシア軍が現米軍基地を使用していることになっているかもしれません。グアムへと一歩引こうとしていた米軍を出て行かないでくれとすがっているのは、政府官僚の方で、沖縄の米軍基地恒久化が官僚の利益とアメリカの利益の双方のプラスである以上、新飛行場からそう簡単に米軍が出て行くとは思えないです。一方、日本政府が出て行けと交渉すれば、アメリカは出ていかざるを得ない。鳩山政権時代にアメリカはグアム、テニアン案をかなり真剣に検討していたはずですから。沖縄基地問題に唯一正面から対峙したその鳩山政権は基地利権官僚のサボタージュとメディアを使ったバッシングで半年で退陣に追い込まれたのですから、闇は深いです。

関連して、今回、アベ政権が安保法案を通そうと無理を通そうとしているわけですが、これを支持する人々もおります。そういう人々の意見をネットで見てみると、論理は通っているのです。ただ、気づいたことは、彼ら支持者と私たち反対者は、どうも異なる前提から出発しているらしいということです。彼らは、安保法案が、日本の国防のための法案である、という点から出発しており、それが私たちとは違うのです。公開された密約文書などから、安保は日本の国防という建前であるが、実質はアメリカの世界軍事戦略の一環にしか過ぎず、日本の安全を保障したりする意図はないというのが私には明らかに思えるのですが、安保法案支持者の人の意見には、そのアメリカから見た安保という視点があまり感じられないのです。もう一つは、彼らには「恐怖感」があるようです。

フリーアナウンサーの長谷川さんは、次にように書いています。

例えば、フジテレビの「みんなのニュース」に出演したときの安部さんの「火事の例え話」は結構残念な説明でした。むしろ分からなくなるというか…。そうですねぇ…。僕なら、「暴力団」で例えるかなぁ…。

安保賛成派ってのは、お父様に「オマエ、女なんだからケンカなんかしちゃいけねぇべ!」って強く言われて我が家の家訓にもなってるんだけれど、うるせーよ!山口組、超怖いんだよ!と、老害のオヤジを無視して…工藤君が転校生のアフガン太郎くんをボコボコにしているのを助けに行く、という選択肢です。その代わり、工藤君の「いい女」になれます。これで、歌舞伎町を歩いてても、工藤君と腕を組んでいるので、山口組は手を出してこないことでしょう。良かった良かった♪
逆に反対派は、工藤君がアフガン太郎君をボコっているのを見て、「工藤君を助けるのはケンカに参加することになるわ!」と言って工藤君を無視します。お父様はその姿勢を評価してくれるわ♪家訓も守れたわ♪ウフ♪ そう言ってる女の子だと思ってください。
 ちなみに、その子は、その後の歌舞伎町を歩いていたとして、90%くらいの確率で、山口組の3人に拉致られてレイプされてマワされますが、それは将来のことなので気にしないでおけるタイプです。大事なポイントはアメリカも中国もヤクザですよってこと。で、その中間で挟まれた腕力もない女の子ですよってこと。

この喩えもひどいと思いますが、つまり、この方は、ヤクザ同士に挟まれているのだから、長い方に巻かれて、その「女」になれ、そして命令されたら、アフガン君のような弱いものいじめに加担しろ、ヤクザ相手には力のない女は強い方の言いなりになるしかない、とでも言っているようです。それはあまりに情けない見方ではないでしょうか。アメリカも中国もヤクザかも知れませんが、アメリカ人、中国の大多数は堅気の普通の人々なのです。いくらヤクザの親分でも子分がついてこなければ無茶はできないのです。この方は、ヤクザは素人の女と見ればとにかく問答無用で害を加えにくるとででも思っているようです。しかし、ヤクザは誰彼構わずケンカを売るのが仕事ではなく、彼らも最小努力で自らの利益を最大化したいと思っているのです。武力行使や恫喝というのは、もっとも効率が悪くかつダメージの大きい方法ですから、彼らにしてもそれは簡単には出せないカードです。

一方、戦争を放棄している日本は武力以外での交渉を粘り強くして、身の安全を図る努力を怠ってきたのではないかと思います。戦後の安保というのは「飲む」しか選択肢がなかったが、日本人はそこで名を捨て身をとって急激な産業化と経済発展を成し遂げました。その間、対米従属はアプリオリに課せられた日本の義務であって、交渉の余地のないものという刷り込みができてしまったのではないかと思います。つまり、無条件でアメリカに貢ぐのではなく、アメリカヤクザと中国ヤクザの機嫌をとりつつ、お互いが得になるように交渉をするという努力を怠ってきたように思います。そして、日中国交正常化でアメリカからの自立を図ろうとした田中角榮がロッキードで嵌められて見せしめにされてから、日本は、ますますアメリカ隷属主義を徹底してしまったので、アメリカヤクザに更につけいる隙を与えてしまったということではないかと思います。

安保賛成派は、「戦争は人命を犠牲にした金儲けの手段であり、戦争は絶対悪である」という事実を軽くみすぎているのではないでしょうか。自分の身の安全のためなら、ヤクザの女になって、無実のアフガン人の無差別殺人に加担するのはやむを得ないと思っているのでしょうか?それ以外のもっと良い方法を考えようという努力をどうしてそこで放棄してしまうのでしょう。どうして立憲主義と大多数の国民の意見を踏みにじって、政府の独裁政権が戦争法案を通してしまうという事実の方を恐れないのでしょうか。戦争とは、まず、自国の政府がその国民に対して仕掛けるものです。アベ政権がやろうとしていることは、親が娘をヤクザに売り渡そうとするのと同じことです。

これらの愚かな行いを正当化するのは「恐怖」から来ていると思います。ヤクザに囲まれているからヤられるという恐怖です。冷静にヤクザの立場とその動機を見てみれば、その恐怖にはあまり根拠はないのです。ヤクザに囲まれたから即、拉致られるというのも、中国もアメリカもガチガチ一枚岩の凶暴なヤクザと見做すのも極端な視野狭窄に陥っているからではないでしょうか。恐怖で視野狭窄して、ヤクザの女になって言いなりになるしかない、という極論に飛ぶのは、思考が停止していると言わざるを得ません。

加えて、「恐怖」を利用して、人々を扇動し都合のよいように操るのは、権力者の常套手段です。

岩下おじさんの最近のエントリーの中の引用から。

我々はナチスのヘルマン・ゲーリングのあの言葉を思い出さざるを得ない。
「戦争を望まない国民を政治指導者が望むようにするのは簡単だ。国民に向かって、われわれは攻撃されかかっているのだと煽り、平和主義者に対しては愛国心が欠けていると非難すればよいのである」。
コメント
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