百醜千拙草

何とかやっています

時の早さを感じる時

2015-07-14 | Weblog
私は研究に遺伝子改変マウスを主に使ってきましたが、この数年、新しくマウスを作っていないことに気づきました。最後に自分でES細胞を培養したのは既に7-8年前だと思います。トランスジェニックマウスを最後に作ったのは3年前。その間、マウスはノックアウト コンソーシウムなどで欲しいものは買えばよいというようになってきて、わざわざ作る必要もなくなってきたのです。時代は変わったなあと思います。

しかし、久しぶりにトランスジェニックマウスを作ろうと思いついて、とりあえずコストを調べるためにコア施設に連絡をとろうとしたら、なんと驚いたことにトランスジェニック施設そのものが店じまいしていました。マウスのリソースの充実に伴って、マウスを作る人が減ったのかなと思い、やむを得ず、別の機関の施設に電話してみました。
そこの責任者の人は昔からの知り合いですが、その話を聞いて、あらためて時の流れの早さを感じてしまいました。
その施設では、通常のトランスジェニックのプロジェクトもESを使ったキメラマウスを作るプロジェクトも激減しているというのです。かといって、遺伝子改変動物をつくというプロジェクトが減っているわけではありません。つまり、従来のESを使った遺伝子改変導入技術を余り使わなくなったということなのでした。

今では、遺伝子の挿入も改変もほとんどがCrispr/Cas9を使ったワンステップの遺伝子操作でやっているという話。遺伝子導入も複数の変異の同時挿入も色々できて、その成功率も5割とか言われると、よほどの事情がない限り、ES細胞での遺伝子ターゲティングを選択しようとは思いません。しかも純系のマウスを使うのでBack crossもなし。ノックアウト、ノックインが3週間でできます。唯一の手間は、ガイドRNAをあらかじめ最適化しておく必要があるので、ガイドのデザインと合成に多少の前準備が必要なことぐらいです。私が最後に作ったノックアウトでは、ES由来の遺伝子がキメラのジャームラインに落ちずに一年以上も苦労し、時間とお金の制限の中でヒヤヒヤものの実験だったことを昨日のことのように覚えているのですが、知らぬ間に月日は流れ、世の中は変わりました。普段は、二十年前の機械を使いながら、三十年前のテクニックで解析をする日々ですから、時間が経ったという感覚に乏しいのです。実は技術の進歩はすさまじく、うっかり乗り遅れると致命的でさえあります。

小さいころ、「はだしのゲン」を読んで、子供心にも強い恐怖を感じました。そして、第二次世界大戦は信じ難いような苦しく悲しい出来ごとであったけれども、いまや日本は戦争を永久に放棄した国で、二度と戦争の悲劇は起こらないということに安心し、以来、それを当然のように思っておりました。その間も海外では、どこかで戦争が起こっていて(ほとんどアメリカが仕組んだり煽ったりしていたわけですが)、どうして他の国も戦争を永久に放棄しないのだろう、と思ったことを覚えております。子供だったので「戦争の本質」を知らなかったのです。

しかし、現在、戦争を知らない世代の内閣が、対米従属官僚に言われるがままに、アメリカの手先となって自衛隊員を戦地に送り込んで殺しあいに加担させるため、詭弁を弄して国民を騙しマスコミに圧力をかけ、大多数の憲法学者の反対を押し切って、戦争ができる国にするために憲法を修正しようとしています。「戦争の放棄」というのは覆らざる戦後日本の大義であったと疑いもしませんでした。事実それが戦争への最大の「抑止力」でした。しかし、判断力に乏しく言われたことをハイハイと聞くだけの数人が権力の要にいるだけで、盤石と思われた戦後日本の基礎でさえ(アメリカや官僚のの都合で)簡単にひっくり返りそうです。時のはやさを感じるばかりです。平和で豊かな戦後の日本は終わり、より殺伐とした世の中へとかわりつつあるのかも知れません。
コメント
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