11/12号のNature でゲノム編集技術のヒトへの応用について記事がありました (A path through the thicket - D.J.H. Matherws et al Nature 527 , 159-)。9月にはHinton Groupと呼ばれる研究者、倫理学者、議員、雑誌編集者や資金提供者らが集まり、イギリスのマンチェスターで、ヒトへのゲノム編集応用における倫理、政策的問題について議論がありました。CRIPR/Cas9が技術的に確立して、多少の知識があれば誰でも簡単にゲノムを弄ることができるようになった今、今後の規制や倫理的問題などについて十分に議論して、慎重にことを勧める必要があると私も思います。
早速、この記事について、11/26号のNature Front page、Correspondenceに二件の興味深い投稿がありました。
ゲノム編集技術は、癌や免疫疾患などに応用され(実際、臨床で試験的に応用されていますが)有効な治療法となることが期待されておりますが、一方で、遺伝性慢性疾患にへの応用に関しては、障害者側の立場からは少し異なった意見があるようです。
「Ability expectation」と「Ableism」という言葉の概念を私ははっきり把握しているわけではないので、訳がおかしいかも知れませんが、言わんとしていることは、障害者(患者)からの視点からも十分に考える必要がある、ということなのでしょう。障害者差別、人種差別、性差別、すべてが一方的な視点を弱者に押し付けるところから来ているような気がします。遺伝子の「おかしい」ところを「なおしてやる」という考え方が根本にあるのだとしたら、当事者にとっては余計なお世話だと思うのも無理ない話です。我々はそうした傲慢さに意識的でなければならないと思った次第です。
それから、12/1-4には、前述のヒトのゲノム編集に関してのサミット、the National Academy of Sciences international summit on the safety and ethics of human gene editingがワシントンで開かれました。それに関してのこの記事によると、議長のDavid Baltimore は 「妊娠につながる可能性があるときに、精子、卵子、胎児のゲノムを弄ることは無責任である」と述べました。Klaus Rajewsky(定年でアメリカに来たのに、知らない間にまたドイツに帰っていたのですね)は「我々は遺伝子操作が巧みになってきたが、まだまだ遺伝子の機能や相互作用の理解は極めて限られている」と言い、Broad Institute director のEric Landerは、遺伝子のシステムは非常に複雑であり、意図しない結果を生まずに、部品を交換するかのように操作するわけにはいかない、と言いました。さらにLanderはCRISPRによる遺伝子操作が有効な疾患はいくつか思いつくが、本当に遺伝子操作をすることが良いのかどうかよく考えるべきだ、なぜなら「自然」は何百万年とかけて同じような実験をしてきて、それはまだ終わってはいないからだ、もし遺伝子操作がそんなにいいアイデアならば、どうして「進化」はその方法を取らなかったのだろう、と不思議に思う。われわれは限定された知識しか持っていないのだ、と述べました。
ゲノムプロジェクトのCraig Venterは1998年、ゲノム科学について、「この技術の理性的な応用は一、二世紀先になるだろう」と言ったそうです。
当然ながら、ほとんどの多くの科学者は、CRIPRのヒトへの応用に関して、非常に慎重な態度を示しています。私も、将来へ深刻な影響が考えられる技術の使用はその前に十分すぎる議論が必要であると思います。破壊するのは簡単でも元に戻すのは多くの場合、簡単ではないし、しばしば不可能です。地球の環境破壊、処理方法もないのに増え続ける核廃棄物、年間300種というペースで絶滅していく生物種、すでに人間は取り返しのつかないことをやってきました。そのツケは遠からぬ将来の人類が払うことになります。いまやCRIPRで下手をすると「人類」という生物種そのものに手を加えようとしています。賢い人が技術を開発しても、使うのは愚かな人々です。なんとかに刃物、アベ政権に権力、みたいになりかねません。
早速、この記事について、11/26号のNature Front page、Correspondenceに二件の興味深い投稿がありました。
ゲノム編集技術は、癌や免疫疾患などに応用され(実際、臨床で試験的に応用されていますが)有効な治療法となることが期待されておりますが、一方で、遺伝性慢性疾患にへの応用に関しては、障害者側の立場からは少し異なった意見があるようです。
遺伝子編集:身障者の視点に注意が必要
CRISPR-Cas9は多大なポテンシャルを持つゲノム編集技術であるが、身障者の権利という視点からは、必ずしもそうではない。
身障者の人々が遺伝子編集技術に列をなすとは考えにくい。なぜならば、彼らの優先することは偏見や差別と闘うことであるからだ。
稀な疾患を起こす遺伝子の変化を「なおす」ことは明らかに利益のあることのように思われる。しかし、そのような治療は、「正常範囲内でのばらつき」と「障害(異常)」との境界線に関して明らかなコンセンサスがあるという推論に基づいている。広く信じられていることとは逆に、障害を持つほとんどの人々は、彼らのQuality of lifeは、非障害者の人々と同等であると報告している。イギリスNuffield Council on BioethicsはCRISPRの倫理的、社会的側面について議論を重ねている。国際的なガイドラインは直ちに必要であるが、加えて疾病や障害を持って生活している人々の意見を聞いていく必要がある。 Tom Shakespare (University of East Angla)
遺伝子編集:健常期待(ability expectation)をコントロールせよ。
身障者の権利という視点から、ヒトの遺伝子編集の関する議論につきまとう問題は、US National Academies of Sciences, Engineering and Medicine 会議の開幕から充満している。「専門家」からの「英智」を受動的に「受け取る」のが一般大衆だとする著者ら (前出のNatureの特集記事 ) の捉え方は、責任ある研究とその制御に関しての健全な議論に逆行している。身障者の権利を考えるコミュニティーは、身障者の捉え方に関して、当局、科学者、医者らを含む「専門家」と意見を異にしてきた歴史がある。このことは、障害をヒトの多様性(のあらわれ)と見なさずに、「異常」であると考える「ableism(健常者からの差別)」に集約される。それは、誤った「解決」に導き、当事者を無力化することになる。
「どのような世界に生きたいのかは、みんなで決定すべき時にきている」とMathewsらは書いたが、この議論は健常期待といかにそれをコントロールするかという問題を含んでいないければならない。
CRISPR-Cas9は多大なポテンシャルを持つゲノム編集技術であるが、身障者の権利という視点からは、必ずしもそうではない。
身障者の人々が遺伝子編集技術に列をなすとは考えにくい。なぜならば、彼らの優先することは偏見や差別と闘うことであるからだ。
稀な疾患を起こす遺伝子の変化を「なおす」ことは明らかに利益のあることのように思われる。しかし、そのような治療は、「正常範囲内でのばらつき」と「障害(異常)」との境界線に関して明らかなコンセンサスがあるという推論に基づいている。広く信じられていることとは逆に、障害を持つほとんどの人々は、彼らのQuality of lifeは、非障害者の人々と同等であると報告している。イギリスNuffield Council on BioethicsはCRISPRの倫理的、社会的側面について議論を重ねている。国際的なガイドラインは直ちに必要であるが、加えて疾病や障害を持って生活している人々の意見を聞いていく必要がある。 Tom Shakespare (University of East Angla)
遺伝子編集:健常期待(ability expectation)をコントロールせよ。
身障者の権利という視点から、ヒトの遺伝子編集の関する議論につきまとう問題は、US National Academies of Sciences, Engineering and Medicine 会議の開幕から充満している。「専門家」からの「英智」を受動的に「受け取る」のが一般大衆だとする著者ら (前出のNatureの特集記事 ) の捉え方は、責任ある研究とその制御に関しての健全な議論に逆行している。身障者の権利を考えるコミュニティーは、身障者の捉え方に関して、当局、科学者、医者らを含む「専門家」と意見を異にしてきた歴史がある。このことは、障害をヒトの多様性(のあらわれ)と見なさずに、「異常」であると考える「ableism(健常者からの差別)」に集約される。それは、誤った「解決」に導き、当事者を無力化することになる。
「どのような世界に生きたいのかは、みんなで決定すべき時にきている」とMathewsらは書いたが、この議論は健常期待といかにそれをコントロールするかという問題を含んでいないければならない。
「Ability expectation」と「Ableism」という言葉の概念を私ははっきり把握しているわけではないので、訳がおかしいかも知れませんが、言わんとしていることは、障害者(患者)からの視点からも十分に考える必要がある、ということなのでしょう。障害者差別、人種差別、性差別、すべてが一方的な視点を弱者に押し付けるところから来ているような気がします。遺伝子の「おかしい」ところを「なおしてやる」という考え方が根本にあるのだとしたら、当事者にとっては余計なお世話だと思うのも無理ない話です。我々はそうした傲慢さに意識的でなければならないと思った次第です。
それから、12/1-4には、前述のヒトのゲノム編集に関してのサミット、the National Academy of Sciences international summit on the safety and ethics of human gene editingがワシントンで開かれました。それに関してのこの記事によると、議長のDavid Baltimore は 「妊娠につながる可能性があるときに、精子、卵子、胎児のゲノムを弄ることは無責任である」と述べました。Klaus Rajewsky(定年でアメリカに来たのに、知らない間にまたドイツに帰っていたのですね)は「我々は遺伝子操作が巧みになってきたが、まだまだ遺伝子の機能や相互作用の理解は極めて限られている」と言い、Broad Institute director のEric Landerは、遺伝子のシステムは非常に複雑であり、意図しない結果を生まずに、部品を交換するかのように操作するわけにはいかない、と言いました。さらにLanderはCRISPRによる遺伝子操作が有効な疾患はいくつか思いつくが、本当に遺伝子操作をすることが良いのかどうかよく考えるべきだ、なぜなら「自然」は何百万年とかけて同じような実験をしてきて、それはまだ終わってはいないからだ、もし遺伝子操作がそんなにいいアイデアならば、どうして「進化」はその方法を取らなかったのだろう、と不思議に思う。われわれは限定された知識しか持っていないのだ、と述べました。
ゲノムプロジェクトのCraig Venterは1998年、ゲノム科学について、「この技術の理性的な応用は一、二世紀先になるだろう」と言ったそうです。
当然ながら、ほとんどの多くの科学者は、CRIPRのヒトへの応用に関して、非常に慎重な態度を示しています。私も、将来へ深刻な影響が考えられる技術の使用はその前に十分すぎる議論が必要であると思います。破壊するのは簡単でも元に戻すのは多くの場合、簡単ではないし、しばしば不可能です。地球の環境破壊、処理方法もないのに増え続ける核廃棄物、年間300種というペースで絶滅していく生物種、すでに人間は取り返しのつかないことをやってきました。そのツケは遠からぬ将来の人類が払うことになります。いまやCRIPRで下手をすると「人類」という生物種そのものに手を加えようとしています。賢い人が技術を開発しても、使うのは愚かな人々です。なんとかに刃物、アベ政権に権力、みたいになりかねません。