百醜千拙草

何とかやっています

Appreciation of life

2018-10-16 | Weblog
なかなか思うように仕事も進まず、仕事以外の悩みもあってスカッとしない日々で、気分転換で、週末はいつもとちょっと違った道を通って買い物に出ました。週末の穏やかな天気の中で買い物に行く途中、久しぶりの風景を見ながら、ふと、この20年ほどのことを思い出していました。仕事は20年前からあまり進歩しているような気がしませんけど、その間、子供が生まれて、いろいろあって、無事に大きくなって、いい若者に育ちました。

思い出の小さな断片を思い浮かべている間に、強い感謝の気持ちのようなものが湧き上がってきました。感謝の気持ちというと分かりにくいですけど、これまでの人生で、いろいろ様々な経験をさせてもらったという事実に対する実感とでもいうような感じです。余計わかりにくですね。

過去を振り返ってみれば、それがどんな過去であれ、今現在があるのはその過去ゆえで、今とりあえず生きていて、そして穏やかな天気が嬉しいと思えるという事実があるのは、自分の生まれてから今までの人生が無事に続いたためなのだ、その間、飢えることもなく、住む場所を失くすこともなく、大病もせず、家族に恵まれ、と幸運の連続が途切れることなく続いたからである、ということを急に実感したのでした。その「感謝の念」は、両親、親戚、友人、仕事関係の人、すべての関わった人々、先祖、はるかアフリカの原人、現在とそれ以前の地球が与えてくれる恵み、その地球を含有する宇宙とそのすべての歴史、まで一瞬にして広がりました。

今日も当たるかどうかわからぬグラントを書き、成功するかどうかわからない実験をするのですけど、この週末の一瞬のおかげで、今日も当たるかどうかわからないグラントを書き、成功するか失敗するかわからないような実験をすることができるという事実に感謝することができました。その、妙な多幸感はその日いっぱい続きました。

実験やあるいはキャリアや私生活で、自分の思いが現実化することを「成功」と呼ぶならば、成功することは重要ではなく、成功のために誠実な努力をして、その過程から何らかを学ぶことそのものが重要なのだと感じました。結局は、人生は死ぬ時までの暇つぶし(山本夏彦)、いろいろ経験することそのものに意義があるのでしょう。
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