下のようなツイートを見つけましたので、ちょっと一言。
Ken(犬)exコン@テニュアトラック予定 Retweeted umedam
留学時、「比較的時間にゆとりがあるように見える欧州ラボが競争でなぜ勝てるのか」と質問したことがあるが、あっちの教授から「そもそも研究が競争だという認識が間違ってる。世界中の研究者は全員仲間なんだから」と言われて、いつの間にか日本の競争に曝されて本質を見失っていたことに気付かされた。
このコメントは、コップ半分の水をまだ半分と見るかもう半分と見るか、と多少似たものだと思います。研究が競争だというのは本質ではないのは確かです。研究は何らかの未知の疑問に答えていくために行う活動ですから。
しかし、研究を支え、研究者を支えるためには、資金を工面していく必要があり、そのためには人よりも早く、新しい発見を世に出してクレジットを得る必要があります。フルタイムの研究者が資金を得るためのほぼ唯一の手段は金を出してくれるところに申し込むことですが、使える資金の額よりも圧倒的に資金を欲しい人の方が多いわけですから、ここは激しい競争となります。だから、研究に競争はつきものです。
欧米がなぜ勝てるのか、はヘンな例えですが、なぜアベが首相ができるのか、と多少、似た理由と思います。アベが長期政権にいるのは、自民党だからであり、世襲議員だからであり、担ぎたい連中がいるからです。つまりそうしたシステムの内部にいて守られているからです。
科学は18世紀に西洋で生まれ、最初はヨーロッパ、それからアメリカが先導してきました。そもそも分野を切り開いてきた研究室、研究機関は欧米のPIであり、その分野を継いでいくのは彼らの弟子なわけです。そうした分野の中心にいる人々が論文や研究資金の配分の審査に直接的、間接的に関わることが多いので、自然と彼らの身内は優遇され、そうでないものは苦労するということになると思います。そして、優秀な人はそうした力のあるところに集まりますから、自然と欧米の有力研究室に金とリソースと人材が集まるわけで、そういうアドバンテージのないところは、必死に働いてその差を埋めるしかないと思います。欧米の研究室にゆとりがあるというのはそういう理由もあるのではないでしょうか。
何度か某ノーベル賞受賞者のラボや同じフロアの別の有名ラボに用事で訪れたことがありますが、平日の昼間でも閑散としていることが多かったです。働いている大学院生も他の施設の人と比べてそう違っては見えませんでした。そうした研究室にはユニークな研究システムやリソースがあり、それを活用することによってアドバンテージを維持できているように思います。
世界中の研究者は仲間であるというのは、その通りだと思います。人類はみな兄弟です。しかし、仲間であり兄弟であることと、競争や殺し合いをすることは別の話でしょう。研究論文の出版と研究費の獲得は限られた雑誌のスペースと金を奪い合う競争です。しかし、それは研究の本質ではない、この教授はそう言いたいのでしょう。研究者は仲間であり人類はみな兄弟であるということを根本の認識とした上で、研究活動の継続のためには競争がついてまわるという事実を受け入れねばならない、ということだと思います。それはそれ、これはこれ。ビーフステーキを食べながら、動物愛護について語っても、別に矛盾しているわけではないと思います。
しかし、競争で負けた立場の人間からすれば、競争で勝った側に「研究者はみな仲間」と言わてもなあ、と思うでしょうね。
Ken(犬)exコン@テニュアトラック予定 Retweeted umedam
留学時、「比較的時間にゆとりがあるように見える欧州ラボが競争でなぜ勝てるのか」と質問したことがあるが、あっちの教授から「そもそも研究が競争だという認識が間違ってる。世界中の研究者は全員仲間なんだから」と言われて、いつの間にか日本の競争に曝されて本質を見失っていたことに気付かされた。
このコメントは、コップ半分の水をまだ半分と見るかもう半分と見るか、と多少似たものだと思います。研究が競争だというのは本質ではないのは確かです。研究は何らかの未知の疑問に答えていくために行う活動ですから。
しかし、研究を支え、研究者を支えるためには、資金を工面していく必要があり、そのためには人よりも早く、新しい発見を世に出してクレジットを得る必要があります。フルタイムの研究者が資金を得るためのほぼ唯一の手段は金を出してくれるところに申し込むことですが、使える資金の額よりも圧倒的に資金を欲しい人の方が多いわけですから、ここは激しい競争となります。だから、研究に競争はつきものです。
欧米がなぜ勝てるのか、はヘンな例えですが、なぜアベが首相ができるのか、と多少、似た理由と思います。アベが長期政権にいるのは、自民党だからであり、世襲議員だからであり、担ぎたい連中がいるからです。つまりそうしたシステムの内部にいて守られているからです。
科学は18世紀に西洋で生まれ、最初はヨーロッパ、それからアメリカが先導してきました。そもそも分野を切り開いてきた研究室、研究機関は欧米のPIであり、その分野を継いでいくのは彼らの弟子なわけです。そうした分野の中心にいる人々が論文や研究資金の配分の審査に直接的、間接的に関わることが多いので、自然と彼らの身内は優遇され、そうでないものは苦労するということになると思います。そして、優秀な人はそうした力のあるところに集まりますから、自然と欧米の有力研究室に金とリソースと人材が集まるわけで、そういうアドバンテージのないところは、必死に働いてその差を埋めるしかないと思います。欧米の研究室にゆとりがあるというのはそういう理由もあるのではないでしょうか。
何度か某ノーベル賞受賞者のラボや同じフロアの別の有名ラボに用事で訪れたことがありますが、平日の昼間でも閑散としていることが多かったです。働いている大学院生も他の施設の人と比べてそう違っては見えませんでした。そうした研究室にはユニークな研究システムやリソースがあり、それを活用することによってアドバンテージを維持できているように思います。
世界中の研究者は仲間であるというのは、その通りだと思います。人類はみな兄弟です。しかし、仲間であり兄弟であることと、競争や殺し合いをすることは別の話でしょう。研究論文の出版と研究費の獲得は限られた雑誌のスペースと金を奪い合う競争です。しかし、それは研究の本質ではない、この教授はそう言いたいのでしょう。研究者は仲間であり人類はみな兄弟であるということを根本の認識とした上で、研究活動の継続のためには競争がついてまわるという事実を受け入れねばならない、ということだと思います。それはそれ、これはこれ。ビーフステーキを食べながら、動物愛護について語っても、別に矛盾しているわけではないと思います。
しかし、競争で負けた立場の人間からすれば、競争で勝った側に「研究者はみな仲間」と言わてもなあ、と思うでしょうね。