百醜千拙草

何とかやっています

研究技術員

2018-10-26 | Weblog
研究技術補助員を雇う必要あり、告知を出したところ20名ほど応募がありました。条件に合わない半数の人を除き、残りの半数弱の人にコンタクトして仕事の内容を説明したところ、五人が興味があるということで面接することになりました。

私の世代と違う若者ですから、アレっと思うこともありますが、感じたことは、履歴書での学業のパフォーマンスと面接での印象はだいたい相関するということでした。大学をランクで判断するのはどうかと思いますが、ま、パッとしない大学行った人は面接でもパッとしない人でした。メールでのやりとりでの印象ともよく合致します。
世の中、わかりやすくできているなあ、と思った次第です。

だだ、過去の経験から、よい大学に行っているから優秀とは限らないというのは事実です。でも、パッとしない大学にいっていた人が優秀だったことは残念ながらあまりありません。コレ、何かの商品を買うときもそうですね。高いものがダメなことは結構ありますけど、安物なのに品位が良いというのは稀です。

私自身は一流とはいえない地方大の出身で、その大学を選んだのは自宅に一番ちかいからという理由でしたが、やはり、そういう理由で大学を選ぶような人はそういうレベルの人なのです。向学心に燃えて勉強したいと思ったのではなく、みんなが大学に行く中、とりあえず大学に入って数年のモラトリアムを楽しもうと思っただけだったのが、われながら情けない。振り返れば、学費を出してくれた親に申し訳ない気持ちでいっぱいです。それがたたっていまだに鳴かず飛ばず、親不孝の業を深めている次第です。

ま、すでによい大学に行ってよい企業に就職して定年まで安定して勤める、という人生プランは破綻していますから、これからは優秀な人は大学に行かない時代になるかもしれません。しかし、研究とかの分野では、長年に渡る教育と経験が必要ですから、良い大学をよい成績ででているというのは重要です。そういう人は遊びたい盛りに勉強を真面目にやって目的を達成するという自己訓練ができる人ですから、研究のような地道でコツコツとした活動をやり遂げられる可能性が高いと思われます。

この数年、一緒に働いてくれた数人を思い起こしてつくづく実感したのは、他人は変えることはできない、ということです。優秀な人は自分で自分に教えて勝手にやってくれますし、ダメな人はいくら懇切丁寧に指導してもダメです。

それで、私のポスドク時代の指導者のやり方が多少理解できました。彼は基本的に放置するのです。それで生き残る人には「よかったね」といい、ダメだった人には「残念だったね」と言っておしまいです。個人の実力と才覚で生き延びるのがこの世の中の現実で、ヘタによかれと思っていろいろやっても本人のためにも自分のためにもならないのだ、と私も最近思うことが増えました。

あいにく、私にはダメな人を雇うような余裕はありません。一緒に働く人がダメだった場合のダメージはかなりのものがあることをこの数年で身をもって知り、いまだにそのダメージから巻き返せていません。幸い、優秀そうな人が来てくれることになりそうです。
コメント
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