相変わらず、まだトンネルの先の出口が見えない状況ですが、時間だけは容赦なく過ぎていきます。一週間があっという間にビュンビュンと去って行き、今年もあっという間に半年以上が過ぎており、一体、この間、何があったのかもロクに覚えていないような状況です。そんな感じなもので、ゆっくり休みをとるか、という気分にもならず、週末はウダウダと悩んでは堂々巡りして終わります。
ネットで音楽を聞いたりするのが気晴らしですが、長らくテレビも見ないしラジオも聞かないので、最近の音楽はダメで、昔のものかクラッシックか民謡なんかを聞いています。
日本の音楽も、日本車と同じく、よくできているのですけど、やはり西洋のものを日本的に焼き直したという感が強くて今ひとつ。3コードの四畳半フォークはそれなりに味わいがあるとは思いますが。
日本人は勤勉で器用なので、日本の流行歌などの編曲などは確かに感心するのですけども、結局、オリジナルは西洋音楽。しかし、オーセンティシティーには欠けるけれども、その高性能ゆえに広く受け入れられる曲も昔はありました。例えば、元祖和製ポップス、ザ ピーナッツはアメリカンポップスのコピーでしたが、オリジナル曲は作曲、編曲、演奏とすべての点で、高いレベルであったと思います。最近でもカバーされていますね。昔の歌謡番組はビッグバンドとストリングスのゴージャスな伴奏がついていましたから、その点でも聞き応えがありました。
振り返れば、第一の敗戦で、江戸が終わり、日本はチョンマゲをやめて、西洋の服を着、西洋の食事、習慣を取り入れ、英語を学ばされ、西洋モドキとして、生きていくことになりました。戦争に負けてからはよりその傾向は強まり、もはや、方便として西洋文明をイヤイヤ利用はしているが、中身は大和魂、和魂洋才、なのだというような負け惜しみをいう人もなくなり、西洋モドキであることは無意識化されています。西洋人の外観ににせて化粧をし、偽物の牧師に礼拝所モドキの結婚式場で結婚式をあげても、誰も不思議に思いません。
なのに、外国人が来たら、フジヤマ、サクラ、キモノにテンプラと、すでに土産物屋やぐらいにしかないものを日本的と言って見せようとします。むしろ、私は、日本的とは「西洋モドキ」そのものだろうと思っており、多分、それが私の「西洋モドキ」臭のするものを好まない原因となっていると思います。日本のポップ カルチャーというのはそんな西洋モドキ臭に満ちているのです。だから、私は一部を除いて、あまり日本の歌謡曲やポップスを聞きません。それはその出来が悪いからというわけではなく、(実際、日本のものは大抵、非常に高品質です)、西洋モドキ臭がダメです。歌詞に変な横文字を入れるのはやめてほしい。そのせいか、最近はオリジナルのアメリカのものもダメになってきました。
世界には興味深いユニークな音楽が多くあります。ここしばらくはバルカン半島の民謡をよく聞いていました。このあたりの曲は、7拍子のリズムが多いのが特徴のようです。最近、気に入っているのはStelutaちゃんが子供の時に歌っているルーマニアの曲、Geampraleleです。Geamparaleはルーマニアのダンス音楽のようです。この曲のオリジナルは
Elena Roizen - Geamparaleleのようですが、Barcelona Gipsy balKan Orchestraのカバーも秀逸。Geamparalele (Romania) - Barcelona Gipsy balKan Orchestra
多分、バルカン半島はヨーロッパの中で経済的にはもっとも恵まれていない地域でしょう。むしろそれゆえにユニークさを保ち続けているのかもしれません。