約1ヶ月前、台風19号接近のために、JAL便がキャンセルになり、私もそれに巻き込まれ、東京駅での強烈な新幹線の混雑にハマって、ひさびさの厄落としができたわけですが、あらためて、この台風で日本のシステムの脆弱性を実感しました。思うにキャパ目一杯で設計されているのでしょう。ちょっと揺さぶられると耐えられないのですね。
私も零細研究室なのでわかります。限りある資金で、できることを目一杯やろうとするのです。うまくいけば問題ないのですが、うまくいかないのにやらねばならないこと(例えば、リバイスで高額な実験を要求された場合)が起これば、カタストロフィックになります。資金や人的リソースに遊びや余裕がないと、ちょっとしたことで、すべてが立ち往生してしまいます。
同じように、日本のシステムももうちょっと余裕を持てないものだろうかと思うのです。ちょっと台風が近づいただけで、新幹線は奴隷船のような状況になります。飛行場でちょっとゆっくりするか、と思うと、昼飯時はどの店も行列ができています。街中は人がいっぱいで休憩する場所を探すのも大変です。一方で、地方の古い商店街は閑古鳥。効率を求めて一極集中するせいでしょう。
今回の記録的な台風被害。被害を被った人々の胸中は察するに余りあります。ほぼ、毎年のように結構なレベル自然災害が起こります。米山元新潟知事が書いているように、これは、年々自然災害の規模が大きくなってきているのに、気候の変動に余裕をもって対応するということを怠ってきたためであり、予想された被害であったと言えるでしょう。なんでも効率重視でギリギリで対応し、長期的なリスクヘッッジの計画を立てないから、後手後手に回るのでしょう。振り返れば、今回の台風被害の多くも、八年前の福島原発事故も防げたものだったと言えます。
福島原発にしても津波も電源喪失もずっと前から想定されていて国会でも議題にのぼったのに、放置されました。万が一の備えに資源を割くのは経営効率を悪くする、長期の安全よりも目先のカネだ、との近視的発想からでしょう。結果、とんでもない被害がでました。そもそも、原発そのものが恒久的な危険を生み出し、その危険は増大していく一方なのに、金と利権のために止められないのですから、このままいくと、遠くない未来に福島原発事故以上の事故が起きるのは間違いないと思います。
利権と目先のカネのために、必要もないプロジェクトを後先考えずにやりっぱなしにするのは日本のお家芸。オリンピックしかり、万博しかり、入試改革しかり。「萩生田大臣「身の丈」発言を聞いて「教育格差」の研究者が考えたこと」という記事のパラグラフ、読んで深く頷きました。
、、、日本の伝統芸「改革のやりっ放し」。私が最も気になるのは、制度を変更する前に、きちんとした「データ取得計画」が作られていないことです。これは「改革を実行する」こと自体が目的であって、そもそも効果を検証するつもりがないことを意味します。、、、
長期的視野で物事を深く考えられないのが日本。後先考えずに無計画に勢いだけで突っ走り、勝算は神風頼り、失敗すれば玉砕だ、というのではただのバカです。
三十〜四十年前、日本人はエコノミック アニマルと呼ばれ、ひたすら経済活動に邁進していました。「24時間、働けますか、ジャパニーズ ビジネスマン」という異常なコマーシャルがヒットしました。そして、「karoshi」という新しい英単語ができるほど死ぬぐらい働いて、世界第2位の経済大国となりました。しかし、それは金儲けだけに集中したからであり、生活一般のレベルは世界のトップクラスとはとても言えない状況でした。労働者を兎小屋に住まわせ、24時間働かせて、金儲けだけに集中させれば、効率はよいでしょう。しかし、それは人間らしさを犠牲にするものであり、だからこそエコノミック アニマルと呼んだのでしょう。
それでも、その時に長期的視野に立って計画的にその後の三十年を国家レベルで考えていれば、現在のような急激な転落を防げたかも知れません。今の日本はその高度成長期の残った資産を使い果たし、少子化と消費税増税、国際競争力の低下によって、さらなる凋落への途上にあります。個人個人の日本人の知能レベルが低いとは思えませんが、日本政府や与党の長期的視野に立って考えるという能力の圧倒的な欠如は驚くべきレベルです。むしろ、能力の欠如というよりは、彼らは自己利益のために意図的に思考停止しているとしか思えません。将来の国民や国の不自由の心配より、今の自分の利益の方が大切だと思うのでしょう。
一方で、今回の台風被害や交通マヒの非常時での日本人の辛抱強さと礼儀正しさは驚嘆します。日本人の辛抱強さと礼儀正しさは美徳ではありますが、もうちょっと「どうしたら辛抱せずにすむのか」というあたりに、意識を向けてもいいのではないでしょうか。
消費税が上がり、年金の支給年齢は引き上げ支給額は引き下げられ、金のないやつは大学に行くな、という国です。どうしたら、余裕のある生活が送れ、老後に安心して暮らせて、全ての国民に教育の機会が与えられるようにできるだろう、という議論があってしかるべきでしょう。
思うに、政権にその本来の能力が決定的に欠如しているがために、先進国からいち早く転落したのですから、国民がすべきことは政府をマトモな形に変えることであって、みんなで我慢しよう、贅沢は敵だ、欲しがりません勝つまでは、という方向に行くのは筋違いであろうと思います。
こういうことは言いたくないですけど、政治家のレベルは国民のレベルを表すと言われます。日本はずっと、政治は三流と国際社会で言われ続けてきました。現政権に至っては、三流どころではありません。この自己利益と保身しか考えない戦後最悪の政権が、破壊し、無駄に浪費した戦後日本のシステムと富は気が遠くなるレベルです。しかし、こんな連中が好き勝手にやっているのを許しているのは国民なわけで、日本の凋落も日本人の生活がどんどん苦しくなっていくのも、結局は自業自得です。
ひょっとしたら、日本人は、好きで、我慢して、辛い目にあいたがっているのではないかと思うこともあります。清貧の思想などという本も昔、流行りましたし。子供のころの漫画は「根性もの」で主人公は貧乏や理不尽ないじめに耐えて頑張るのがパターンでした。しかし貧富と清濁は無関係です。貧乏は不便であり、余裕を無くします。しかるに、日本では、どうも、みんなで豊かになろう、という発想にはならず、どちらかといえば、自分さえ豊かならよい、そしてもし自分が豊かになれないのなら、みんなが貧乏するべきだとでもいう方向に発想が向いているような気がするのですけど。