ここ数日も同じように教育ビデオを数本見て、一本オンラインワークショップに参加し、来月の内輪でのオンラインセミナーのスライドを作り、ちょっとだけ実験データを見直して先々の計画をぼんやり考えて、という調子です。アウトプットが出ないので、だんだん精神的に辛くなってきました。この状態で希望を保ち続けるのは難しいです。精神の疲れに効くのは運動、ということで毎日合計1時間ほどは歩くようにしています。それでも起きている時間の大半はコンピュータのスクリーンを眺めて過ごしており、よくないなあという気がして、なんとか瞑想を習慣にしようとしていますが、5分ー10分じっとなにもしないということがなかなかできないです。
仕事関係では、遠方の共同研究者の人からメール。あちらは臨床遺伝学、こちらは基礎生物、お互いの利害がうまく一致すれば素晴らしいのですけど、あちら側は新しい病気が見つかって原因が同定できればそれが一応のゴールですけど、こちらとしてはそこから何か新しいBiologicalな発見がなければ論文になりません。しかし新たな生物学的発見というのは容易なものではないし、それにコミットするだけの資金と労力はバカになりませんので、簡単に何でもやりますよ、と言えないのが辛いところです。それでも時折、こうして話を持ってきてくれるのがありがたいです。
雑誌の特集号の編集下請けの仕事。総説原稿を適当な人に依頼してチェックするのですけど、担当分の半分ほどは終わりました。昨日受け取った原稿は、楽でした。構成も内容もバランスよく、中国系の名前の人がファーストでしたが文章も問題ありません。スラスラ、フムフムと読んで、突っ込みどころもなく、一つだけマイナーコメントをしておしまい。1時間ちょっとで終わりました。こんな原稿をみんなが書いてくれたらレビューも苦にならないのですが。
別の共同研究者の人からメールで、一緒に出した研究費申請が採用されなかったとの通知。不採用のコメントは妥当なもので、しかたがないな、と思いましたが、ガッカリした様子だったので、今日は一杯飲んで酔っぱらって寝ましょう、目覚めたら別の日になっているから、と慰めの返事を送りました。実は、同じセリフを私はずっと寝る前に自分自身に言ってきたのでしたが。
巷で言うように研究費は当てものだと思います。採用される研究はほとんどランダムに見えます。しかし、採用されない申請には普通落とされる理由が見つかります。私はその弱点が比較的よく見える方です。しかし、多くの場合、弱点が見えても補強が困難な場合が多いので、役に立ちません。今回の申請書もそうでした。申請前に二つの弱点が明らかでしたが、時間の関係で補強できず、やむをえず霞ヶ関修辞法で乗り切ろうとしましたが、科学者にそんなものが効くわけもなく、コメントではキッチリその弱点を指摘されていました。しかし、そんな弱点がある申請書でもマグレで通ることは結構な頻度であるので、とにかく出すことが大切だと思います。たぶんそういう事情で、採用された研究申請書を色々研究しても、採用される申請書に共通の成功の法則性を見出すことが困難なのだと思います。だれでも絶対採用されるような強力な申請書を書きたいと思っていますし、たいていの場合、それがどのようなものかについて大体わかってはいると思います。しかし、種々の現実的な事情でそんな強力な申請書を書けることは稀です。だから一本の申請書を100点で出すことを目指して時間と労力を費やすぐらいなら、その時間は節約して60ー70点ぐらいの出来のものを複数出して、申請書で100点以上に到達できる可能性を議論する方が効率がよいのではないかと思います。 とはいうものの、実際には、私はそれがなかなかできず、一つの申請書を書くのに何ヶ月もかけた挙句に不採用ということが多いので、この時間のロスがバカにならないのですが。今年は、私も書かないといけないですけど、今の予備データでは50点にも足りません。研究再開できてデータがでるまでは、考えたくないです。