今の世の中、全て「金」を介在して回っており、人間の多くの社会的活動には経済活動が嫌でもついて回ります。そんな中での人間の社会活動の半分は「営業」「セールス」と言っても過言ではないかも知れません。研究現場でもそれは例外ではなく、むしろ、例外どころかそのセールスの能力は研究そのものの能力と同等かそれ以上に必要とされます。論文、グラント、ポジション獲得、つまり、競争のあるところでは須く、セールス技術は必須です。私は、そういうのが大嫌いなのですけど、(ま、あまり好きな人はいないと思いますが)、それが世の中の現実ですから、現実を受け入れた上で、必要に応じて対処するしかありません。
次に出そうと思っている研究費の申請をどうするか、ぼんやり考えています。できないことは書けないので、できそうなことの中で資金獲得に繋がりそうなことを書くしかないのですが、このセールス活動が最近はバカらしいと思うようになって困っています。(かといってやってて全く楽しくないというわけでもないのです。ちょうどビデオゲームみたいな感じですかね。バカらしい作業ではあるのですけど)
研究費申請の審査は、いくつかの基準に沿って点数制でなされることが多いと思いますが、近年は、研究の意義、革新性がとりわけ重視されています。加えて研究者の実績とか実現の現実性とか研究環境とかが考慮されます。その上で研究のインパクトが大きいと予測されるかどうかによって総合的な判断がなされることが多いと思います。
そういうわけで、私は、研究の意義と革新性を強調するようなセールス トークをするわけですが、この二つは高い評価を得ており、他のポイントにも問題がないのに、総合評価が低いケースがよくあります。つまり、研究の意義も高く、アイデアや技術も革新的なのに「インパクト」が低いと評価されるものです。
この話は随分前にもちょっとしたと思うのですが、二つ以上のものがぶつかり合ってエネルギーの交換が起きるのがインパクトであり、インパクトが大きいとはぶつかった時のエネルギー交換効率が高いということです。逆にいうといくらエネルギー ポテンシャルが高くてもぶつからないとインパクトは生まれません。なので、意義も革新性も高いのにインパクトが低いということは、「当たっていない」ということだと思います。
この場合でいうと、ぶつかりあうべきものは、研究分野のニーズと研究計画で、高ポテンシャルの研究計画が研究ニーズのスイートスポットにミートするということが必要になると思います。故に、ニーズに合うものは自動的に意義も高いわけですが、その逆は必ずしも正しいとは言えないということでした。
理論的にはここまではいいと思います。問題は、ニーズに合うものが、自分の手持ちの商品の中になかった場合にどうするか、ということです。ニーズがないところに商品を売り込むのは難しいです。トップグループの研究者はニーズを作り出すというところにも手を突っ込んで戦略的にやっていますけど、普通の人には難しいでしょう。
最近、こういうのがバカらしいなあ、とつい私は思ってしまうのです。そうして研究費をとってトップジャーナルに論文を出して、学会や組織で出世して、「だから何?(自分には関係のない話だし)」みたいに感じてしまって、そのしらけ気分に自分でもウンザリすることがあります。私が剃刀のように切れるバックハンドのトップスピン パッシングをダウン ザ ラインに決めたからと言って、他の人は「だから何?」と思うのと同じでしょうか。(バックのパッシングが決まったことはないですけど、、、、、だから何?)
Miles Davis Quintet "So what?"
テナーはコルトレーンですね、独特の節回し。若い時は好きでした。