五分フランス語はまだ続いていますが、最近、ちょっと内容が難しくなって、五分では毎日の課題が終わらず、だんだん負担になってきました。比較的簡単という理由で始めたのに、英語に比べると語形変化が複雑で、とても使えるようになるような気がしません。
名詞の性や称や数によって、形容詞や動詞などが変化するのを覚えるのは面倒で、しかも例外がいろいろあります。発音においても英語にない音(とくにRの音)はやっかいですし、またリエゾンの必要のために文法の方が曲げられることもあるようです。例えば、「私の(my)」はフランス語では、続く名詞が複数だとmes、単数男性だとmon、単数女性だとmaと変化しますが、続く単数女性名詞が母音で始まる場合はmaではなくmonとなるということを先日習って、その面倒くささにイライラしました。例をあげると、男友達は「mon ami」で、女友達は本来「ma amie」となるはずですが、発音がしにくいので「mon amie (モナミ)」となります。一方、「ガールフレンド(petite amie)」だと母音が被らないので「ma petite amie (マ プティタミ)」とmaのままです。フランス語から性別が撤廃されれば、これらの例外も面倒臭い変化もスッキリしてフランス語を学ぶ人も増えるのではないだろうかと思うのですけど。
先日、国会中継の録画の一部を見ていました。自由党の森ゆうこ議員の質疑で、委員長が発言を許可する際に「森ゆうこさん」と呼んでいるのに気づきました。ひと昔だと、「森ゆうこ君」と呼ばれていたはずです。いつから変わったのか気がつきませんでした。たぶん、「君」づけで呼ぶのは、かつては男性がほとんどだった議会での慣例が女性議員にもそのまま適用されたのだろうと思いますが、それが女性軽視にあたると異を唱えた人がいたのではないだろうかと想像しています。とすると、議会では女性が女性として扱われていないから「君」ではなく「さん」で呼ぶことになったと思われるわけで、女性の平等性のためにあえて女性と男性の呼称を区別するようになったと考えられます。つまり、平等性のために男女の区別をなくすのではなく、不平等を解消するために男女を区別して女性を「さん」づけするようになったいうことだと思います。一方、「さん」は男女ともにつかうニュートラルな敬称なので、これを男女ともにつかえば、区別は撤廃されるわけですが、全員「さん」づけとすると、長年の慣習の「君」づけをなくす必要があり、それはそれで難しいかも知れません。
それで、フランス語に性別があるもあるいは似たような理由もあるのではないだろうか、と思いついた次第です。ひょっとしたらフランス語の先祖の先祖の言葉には男性名詞しかなく、女性名詞は女性の権利の向上とともに作られたのかも知れません。ま、ただの妄想ですけど。(ちなみにフランス語の先祖と思われるラテン語では、中性名詞があります。古代は男でも女でもない人の権利もすでに尊重されていたのかも知れません)