百醜千拙草

何とかやっています

他人の法則は自分の法則ではないの法則

2021-04-30 | Weblog

立命館アジア太平洋大学(APU)学長、出口治明氏の心に響く言葉より…
《質問:出口さんの経歴を一通り聞かせていただき、巡り合わせが大事だとわかりました。では、いい巡り合わせを自分のほうに引き寄せるために、できることはありますか?》
「まずイエス」ですね。 
例えば、APUの学長になったケースでは、「インタビューを受けますか?」と声をかけられたときが、「イエス」「ノー」のわかれ目でした。
ドクターであり、英語もペラペラで、大学の管理運営経験があるという3つの条件に僕は該当せず、しかもそれほど大学に行きたいと思ってもいなかったので、「ノー」という選択肢もあったわけです。
でも、「ノー」と答えていれば、今ここで話している僕はいなかった。
人生の大きな巡り合わせです。
だから、できることは何でも「まずイエス」で飛び込むことだと思います。
 、、、、
 
こういう「いわば成功した人」が語るエピソードにユニバーサルに適用できる教訓が含まれていると我々は思いがちです。わたしもかつての偉人たちのエピソードや名言集などを読んで、なるほどと思ったり、真似してみたりしてみたわけですが、別にそれで人生が好転したとかよいことがおこったとかということはあまり記憶にありません。思うに、こうした「成功の秘訣」みたいな話はその個人に特有なもので、必ずしも広く適用可能なものではないのではないでしょうか。

「秘訣」というほどではなくても、ごく当たり前の常識的な話、たとえば、人にはやさしくしましょう(そうすれば人もやさしく接してくれるから)とかの直接的な因果応報系の法則であっても、例外の方が多いように感じます。

実際、自分自身や回りを振り返って見ると、普通におこっていることは、やさしくすれば利用され、ヘタに褒めるとつけ上がり、下手にでるとナメられて、意地を通せばハブられる、とかくに人の世は住みにくい、というような感じです。昔の友人はよく、「信じる者は騙される」と言っていました。(これは、他人の論文を安易に信用するな、という話なのですけど)

このようなインスパイアリングな話として語られる成功者が語る成功の秘訣を真似た場合に、期待するような結果が起こることは現実には稀なのではないかと思っています。(そうでなければ、世の中は成功者で溢れかえっているでしょう)研究や怪しい健康食品の宣伝と同じで、うまくいった例は話題になって目立つが、無数のうまくいかなかった例は表にでることはなく埋もれてしまうのではないだろうかなどと想像します。

上の例だと、積極的にイエスの選択を選んで、それが良い結果に繋がった例ももちろんあるでしょうけど、うっかりイエスといって詐欺集団に丸裸にされた例も実は同数ぐらいあるのではないかと思います。そして、多分、イエスと言ってもノーと言ってもなにも大したことは起こらないというのが9割以上ではないだろうかと思ったりするのですけど、どうでしょう。

昨日、たまたま、ある経営アドバイザーの人の言葉(誰か忘れました)を知りました。企業経営には危機がつきもので、アメリカ式の「ポジティブ思考」で乗り切ろうとして失敗する場合が多いらしいです。その人がいうには、ピンチはピンチであってチャンスではないということです。人は希望的に物事を見がちです。危機においては、そのプレッシャーから、ポジティブ思考による不適切な楽観論や体育会的筋肉性思考停止に陥ったり、あるいは成功者の語る成功の秘訣などに希望を見出そうとしますけど、たぶん危機を乗り切るのに大切なのは、現実を正しく見て、正しく解釈し、論理的に思考して、感情を切り離す「理性の働き」ではないかと思います。仏教では正見、諦観というらしいです。(なかなか実践は困難ですけどね)

重大な決断ほど、感情を排して理詰めで考えることが大切だと、私は思います。ちょうど、ブルース リーのアドバイス("Don't think, feel")の逆ですね。そうすると、うまくいかなかった時に自分自身を納得させやすく、後悔が少なくて済むのではないでしょうか。
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