先週、福島第一原発事故で、比較的損傷が軽いと当初言われていた一号基が、実はメルトダウンを起こしていたという事実をようやく東電が認めたというニュースがありました。水を入れても溜まらないという話はずっとあったわけで、普通に考えればメルトダウンを起こして圧力容器を破ったと解釈するのに、東電は「メルトダウン」という言葉を避け続けたが、ついにごまかし切れなくなって認めたということです。
日経では、
とあります。
「2号機、3号機もメルトダウンしている可能性は否定できない」という言い方に、私はまた誠意の無さを感じるのですが、もっとも被害が軽度だと考えられていた1号機でさえ、お手上げに近い状態のメルトダウンが起きているのだから、それよりも明らかにダメージの大きい3号機など、メルトダウンが起きていないと考える方がおかしいわけです。だいたいつい数日前にも3号機は黒煙を上げて爆発していたではないですか。メルトダウンの可能性は「否定できない」ではなく、「間違いない」と考えているのが現場の本音でしょう。
そして、冷却し続けなければならないのに、この状態でどうするつもりなのか、今後どういう自体が考えられるのか、例によって伝わってきません。当事者は、多分、もうお手上げだと思っているのでしょうが、住民や国民の怒りが恐くて、多分、正直に言えないのでしょう。「最大限努力したが『想定外』のことが起こって大惨事になった」と言い訳する逃げ道を残したいのでしょう。大事に至っても、責任をとって挽回しようとするのではなく、国民にどんな迷惑をかけようとも、最後まで責任から逃れようとする卑怯な態度だと思います。
因に、1 -3 号機の話しかニュースに出ませんが、宮崎学氏のサイトによると、どうも4号機も危機的状況だそうです。
地震発生時、4号機は確か点検停止中だったはずなので、使用済み燃料に何らかの異変が起きたということでしょうか?このサイト(http://fukumitsu.xii.jp/syu_f/FukushimaGenpatsu_1.html)によると、4号機の総燃料量は最も多かったようで、その冷却がうまくいっていないということなのでしょうか。
東電の「誠意のなさ」については、東京新聞が社説でさらに批判。
「誠意のなさ」といえば、空きカンと日本政府です。徳川時代から、社会を固い枠組みで仕切り、その枠に個人を閉じ込めることで、徳川の権力の安寧を図って来た国です。一旦、ワクにはめられると、いくら個人の能力が優れていようとそのワクを越えて上昇することは難しい封建社会が今だに続いています。逆に言えば、良いワクにさえ入れば、個人の能力は関係ない。だから、みんな東大に行って官僚になりたがるのでしょう。
私はささやかな零細研究者でありますが、研究は結局は実力勝負で中小零細企業のようなものですから、この「システムのワクの中に入りさえすれば安泰」という世界とは対極にあります。自転車をこぎ続け、競合者との競争の中で、研究成果を発表し、研究費を工面し続けることができないと、店を畳んで、現場から去らなければならない宿命です。中小零細企業経営者同様に、何が原因であれ失敗は100%自分の責任です。想定外のことがおきて廃業となったら、それを想定できなかった自分の責任ですし、騙されたら騙される方が悪いという世界です。
ところが、この国のエラいさんたちは、責任を逃れつつもしっかり自分の利を確保できる人間が有能だとでも思っているのでしょうか、自分の成功は自分のもの、失敗は他人の責任、という(私から見れば)「卑怯者体質」が、透け透けなのです。情けなくなります。
外国では地位が上がれば責任は増し、それだけその責任を全うするだけの能力が求められます。日本の大きな組織では、空きカンを見てもわかるように、無能でも責任をとらなくても、一旦地位を手にすれば、そこに居座って害をまき散らし続けることができるという前近代的な社会システムです。その最たるものが官僚組織というものなのでしょう。
責任転嫁することを英語では"pass the buck"と言い、Trumanが大統領だったときの机の上には"The buck stops here"と書いてあった(最終責任は自分が負う)という有名な話がありますが、空きカンと政府に全く欠けているのが、この「最終責任は自分が負う」という覚悟というか根性と言えるのではないでしょうか。もう空きカンの悪口を言うのは健康に悪いのでやめますが、この人のサバ目を見る度に、「日本人に生まれて情けない」と悲しくなるのは本当に嫌なものです。
日経では、
東京電力は14日、福島第1原子力発電所1号機の原子炉建屋地下階の半分程度が水につかっていることを確認した、と発表した。1階では2000ミリシーベルトの高放射線量も計測したという。1号機の核燃料は溶け落ち、圧力容器や格納容器は損傷している。原子炉から放射性物質を含む汚染水が建屋内に大量に漏れ出た公算が大きい。(中略)また、経済産業省原子力安全・保安院の西山英彦審議官は14日の記者会見で「2号機、3号機も1号機のように燃料棒が(圧力容器の底に)溶け落ちている可能性は否定できない」と語った。
とあります。
「2号機、3号機もメルトダウンしている可能性は否定できない」という言い方に、私はまた誠意の無さを感じるのですが、もっとも被害が軽度だと考えられていた1号機でさえ、お手上げに近い状態のメルトダウンが起きているのだから、それよりも明らかにダメージの大きい3号機など、メルトダウンが起きていないと考える方がおかしいわけです。だいたいつい数日前にも3号機は黒煙を上げて爆発していたではないですか。メルトダウンの可能性は「否定できない」ではなく、「間違いない」と考えているのが現場の本音でしょう。
そして、冷却し続けなければならないのに、この状態でどうするつもりなのか、今後どういう自体が考えられるのか、例によって伝わってきません。当事者は、多分、もうお手上げだと思っているのでしょうが、住民や国民の怒りが恐くて、多分、正直に言えないのでしょう。「最大限努力したが『想定外』のことが起こって大惨事になった」と言い訳する逃げ道を残したいのでしょう。大事に至っても、責任をとって挽回しようとするのではなく、国民にどんな迷惑をかけようとも、最後まで責任から逃れようとする卑怯な態度だと思います。
因に、1 -3 号機の話しかニュースに出ませんが、宮崎学氏のサイトによると、どうも4号機も危機的状況だそうです。
報道されない4号機の危機的状況について http://miyazakimanabu.com/2011/05/15/1054/
地震発生時、4号機は確か点検停止中だったはずなので、使用済み燃料に何らかの異変が起きたということでしょうか?このサイト(http://fukumitsu.xii.jp/syu_f/FukushimaGenpatsu_1.html)によると、4号機の総燃料量は最も多かったようで、その冷却がうまくいっていないということなのでしょうか。
東電の「誠意のなさ」については、東京新聞が社説でさらに批判。
夏の節電 見逃せぬ東電の不誠実 2011年5月14日 東京新聞
東日本大震災で東京電力の福島第一原発をはじめ、発電能力が大きく損なわれた。
節電は今夏の国民的課題だ。
しかし、その前提となる電力の供給能力など、東電の情報公開は誠実さを欠いている。(中略)供給確保の情報を表に出さず、電力不足を大々的にキャンペーンすることで、脱原発を牽制(けんせい)したと受け取られても仕方がない。(後略)
東日本大震災で東京電力の福島第一原発をはじめ、発電能力が大きく損なわれた。
節電は今夏の国民的課題だ。
しかし、その前提となる電力の供給能力など、東電の情報公開は誠実さを欠いている。(中略)供給確保の情報を表に出さず、電力不足を大々的にキャンペーンすることで、脱原発を牽制(けんせい)したと受け取られても仕方がない。(後略)
「誠意のなさ」といえば、空きカンと日本政府です。徳川時代から、社会を固い枠組みで仕切り、その枠に個人を閉じ込めることで、徳川の権力の安寧を図って来た国です。一旦、ワクにはめられると、いくら個人の能力が優れていようとそのワクを越えて上昇することは難しい封建社会が今だに続いています。逆に言えば、良いワクにさえ入れば、個人の能力は関係ない。だから、みんな東大に行って官僚になりたがるのでしょう。
私はささやかな零細研究者でありますが、研究は結局は実力勝負で中小零細企業のようなものですから、この「システムのワクの中に入りさえすれば安泰」という世界とは対極にあります。自転車をこぎ続け、競合者との競争の中で、研究成果を発表し、研究費を工面し続けることができないと、店を畳んで、現場から去らなければならない宿命です。中小零細企業経営者同様に、何が原因であれ失敗は100%自分の責任です。想定外のことがおきて廃業となったら、それを想定できなかった自分の責任ですし、騙されたら騙される方が悪いという世界です。
ところが、この国のエラいさんたちは、責任を逃れつつもしっかり自分の利を確保できる人間が有能だとでも思っているのでしょうか、自分の成功は自分のもの、失敗は他人の責任、という(私から見れば)「卑怯者体質」が、透け透けなのです。情けなくなります。
外国では地位が上がれば責任は増し、それだけその責任を全うするだけの能力が求められます。日本の大きな組織では、空きカンを見てもわかるように、無能でも責任をとらなくても、一旦地位を手にすれば、そこに居座って害をまき散らし続けることができるという前近代的な社会システムです。その最たるものが官僚組織というものなのでしょう。
責任転嫁することを英語では"pass the buck"と言い、Trumanが大統領だったときの机の上には"The buck stops here"と書いてあった(最終責任は自分が負う)という有名な話がありますが、空きカンと政府に全く欠けているのが、この「最終責任は自分が負う」という覚悟というか根性と言えるのではないでしょうか。もう空きカンの悪口を言うのは健康に悪いのでやめますが、この人のサバ目を見る度に、「日本人に生まれて情けない」と悲しくなるのは本当に嫌なものです。