ちょっと実験のことで質問があって、同僚を訪ねたら、グラント書きの最中で、BGMにバッハのパルティータの二番がかかっていました。グレングールドだというので笑ってしまいました。私はその直前に書き物しながら、グレングールドのパルティータの六番を聞いていたところだったからです。バッハならグールドというのは、きっと、ネクタイはエルメス、バッグはヴィトンと同じノリでなのでしょう。そう思えば、グールドのバッハをたまたま聞いていたということに別に不思議はありませんけど、書き物にはバッハのピアノ曲のBGMというのは、結構、みんなやっているのだな、と思った次第です。
さて、悪口言うのはよくないことです。言う人間に報いが返ってきます。しかし、言わざるをえないと思う場合も多いです。それで、するいですが、私は自分ではなるべく言わず、他の人が言っているのを引用させてもらうことにするかな、と思ったりしてます。
中韓の反感を呼んだアベ氏の村山談話に関する批判、それからちょっと前の東京都知事のトルコ差別発言(これに関してはちょっと揚げ足を取られたようなところがあるとは思いますが)、などなど話題になっています。東京都知事はちょっとつけ込まれるスキがあったということなのかも知れませんけど、アベ氏に至っては、それ以前のレベルのダメさだと思います。
戦前のアジアへの日本の進出は「侵略」かどうか、見方によっては確かに微妙でしょう。満州国や朝鮮半島への進出は、略奪のためではなく、新しい国を作るためだ、と高邁な理想に燃えて入植した人もいたはずです。しかし、個人がそれをどう思うかということと、現在の国際情勢の中にで諸外国がどう捉えられているかというのは別問題です。一国の政治的リーダーとしての公の場の発言は、政治行動です。アベ氏や靖国参拝した閣僚は、どうもその辺のことの認識が甘いのではないのか、と私は思います。
だから先日の雁屋哲さんは、政治家としての発言と個人の感想を区別できず、みずからの行動の一手先さえも読まずに、軽々しく個人的見解を国会という公の場で発言したアベ氏を「正気か」と言い、発言を「与太話」と批判したのです。
与太話専門のアベ氏ですが、その後も共同通信の記事によると、次のように言ったそうです。
わが国の憲法だから中韓には関係がない、というのは何とも考えの足りない発言と思います。「オレの人生だ、ほっといてくれ」ビリージョエルの反抗期のティーンエイジャーの歌を思い出しますね。憲法変えるのは日本の勝手でしょ、というなら、北朝鮮やイランの核開発を批判することもしない方がいいでしょう。憲法を改変したら、日本は正式な軍隊を持って戦前のようにアジア諸国に侵攻してくるかもしれない、と彼らは恐れているわけでしょう。アベ氏はアジアの平和を乱す危険思想の持ち主だ、とアジア諸国は警戒して来たのですから、少なくとも外国のそういう懸念を考慮した建前を言うべきであり、親に口答えするティーンエージャーのような物言いをしてはいけないと思います。
平川克美さんはより端的に下のようにツイートされています。
やはり、平川さんは表現がシャープですね。公人と私人がある以上、建前と本音があり、それは厳密に使い分けられなければなりません。アベ氏も東京都知事もそのあたりに不足があるように思います。それは政治家として必要な常識と判断力であり、「常識と判断力の欠如」という表現になったのでしょう。雁屋さんは、常識と判断力に加えて理性が欠如していると言っています。ものを理解する能力も足りないと考えられているようですが、その可能性は相当高いでしょう、判断力は理性の働きが必要ですし。
ついでに、北方領土に関しての話ですけど、いくらアベ氏が「私とプーチンが決断する」と言っても、どう考えても双方が望む形で解決するとは思えません。客観的に見て、落としどころは二島返還しかありません。でも、その現実的な落としどころから出発して交渉するということはできません。ロシアの立場からは、北方領土はロシアが実効支配しており、北方領土はシベリア開発に関しての交渉の切り札と思っているでしょうから、いくらアベ氏が力もうとも、出すものを出さない限り、前には進まないでしょう。一方、日本政府は出すものを出すメリットはないと思っており、今のところ交渉する気もないのが本音だと思います。沖縄基地問題や原発処理問題と同じ構造で、問題を延々と先送りすることが、政府にとっては得策なのでしょう。問題が無くなってもらっては彼らは逆に困るのです。それをネタに税金を回してそのおこぼれを貰うのが仕事ですから。
さて、悪口言うのはよくないことです。言う人間に報いが返ってきます。しかし、言わざるをえないと思う場合も多いです。それで、するいですが、私は自分ではなるべく言わず、他の人が言っているのを引用させてもらうことにするかな、と思ったりしてます。
中韓の反感を呼んだアベ氏の村山談話に関する批判、それからちょっと前の東京都知事のトルコ差別発言(これに関してはちょっと揚げ足を取られたようなところがあるとは思いますが)、などなど話題になっています。東京都知事はちょっとつけ込まれるスキがあったということなのかも知れませんけど、アベ氏に至っては、それ以前のレベルのダメさだと思います。
戦前のアジアへの日本の進出は「侵略」かどうか、見方によっては確かに微妙でしょう。満州国や朝鮮半島への進出は、略奪のためではなく、新しい国を作るためだ、と高邁な理想に燃えて入植した人もいたはずです。しかし、個人がそれをどう思うかということと、現在の国際情勢の中にで諸外国がどう捉えられているかというのは別問題です。一国の政治的リーダーとしての公の場の発言は、政治行動です。アベ氏や靖国参拝した閣僚は、どうもその辺のことの認識が甘いのではないのか、と私は思います。
だから先日の雁屋哲さんは、政治家としての発言と個人の感想を区別できず、みずからの行動の一手先さえも読まずに、軽々しく個人的見解を国会という公の場で発言したアベ氏を「正気か」と言い、発言を「与太話」と批判したのです。
与太話専門のアベ氏ですが、その後も共同通信の記事によると、次のように言ったそうです。
【ジッダ共同】中東歴訪中の安倍晋三首相は1日、サウジアラビア西部ジッダで同行記者団と懇談し、自身が目指す憲法改正方針を中国や韓国に説明するかについて「わが国の憲法だから、いちいち説明していく課題ではない」と述べた。
ロシアとの北方領土問題に関し「私とプーチン大統領が決断しないと解決しない」と強調。プーチン氏がモスクワでの日ロ首脳会談の際、面積等分方式に言及したとされる点をめぐっては「4島の帰属を解決し、平和条約を締結する方針に変わりはない」と語った。
連立相手の公明党に憲法改正への慎重論があることについて「誠意を持って議論を進めていきたい」と指摘した。
ロシアとの北方領土問題に関し「私とプーチン大統領が決断しないと解決しない」と強調。プーチン氏がモスクワでの日ロ首脳会談の際、面積等分方式に言及したとされる点をめぐっては「4島の帰属を解決し、平和条約を締結する方針に変わりはない」と語った。
連立相手の公明党に憲法改正への慎重論があることについて「誠意を持って議論を進めていきたい」と指摘した。
わが国の憲法だから中韓には関係がない、というのは何とも考えの足りない発言と思います。「オレの人生だ、ほっといてくれ」ビリージョエルの反抗期のティーンエイジャーの歌を思い出しますね。憲法変えるのは日本の勝手でしょ、というなら、北朝鮮やイランの核開発を批判することもしない方がいいでしょう。憲法を改変したら、日本は正式な軍隊を持って戦前のようにアジア諸国に侵攻してくるかもしれない、と彼らは恐れているわけでしょう。アベ氏はアジアの平和を乱す危険思想の持ち主だ、とアジア諸国は警戒して来たのですから、少なくとも外国のそういう懸念を考慮した建前を言うべきであり、親に口答えするティーンエージャーのような物言いをしてはいけないと思います。
平川克美さんはより端的に下のようにツイートされています。
猪瀬発言も、麻生発言(CSISでの「衝撃と畏怖」発言)も、安倍の歴史認識発言も基本的な常識と判断力の欠如によるというのが、俺の見解です。常識や判断力を曇らせる強いバイアスの存在を感じますね。
安倍の歴史認識発言に対してのWP紙の批判に対して、菅は「真意と違う」といい、猪瀬も「真意は違う」ということを言っていた。米紙は、逆に、かれらの「真意」が表出されたのだと見たわけだ。どっちが「真意」なのかは、かれらのこれまでの発言を見ればすぐにわかる。
政治的言説は必ずしも真意である必要はない。しかし、真意はときに「言い間違い」とか、「言い過ぎ」という形で表面に浮かび上がるものだ。
国民国家の安定と人々の幸福に貢献すると言う建前を貫きとおせるなら、政治家の個人的な本音などどうでもよいことだ。しかし、凡庸な政治家は、凡庸な経営者が公私の区別がつかないように、本音と建前の区別がつかなくなる。
安倍の歴史認識発言に対してのWP紙の批判に対して、菅は「真意と違う」といい、猪瀬も「真意は違う」ということを言っていた。米紙は、逆に、かれらの「真意」が表出されたのだと見たわけだ。どっちが「真意」なのかは、かれらのこれまでの発言を見ればすぐにわかる。
政治的言説は必ずしも真意である必要はない。しかし、真意はときに「言い間違い」とか、「言い過ぎ」という形で表面に浮かび上がるものだ。
国民国家の安定と人々の幸福に貢献すると言う建前を貫きとおせるなら、政治家の個人的な本音などどうでもよいことだ。しかし、凡庸な政治家は、凡庸な経営者が公私の区別がつかないように、本音と建前の区別がつかなくなる。
やはり、平川さんは表現がシャープですね。公人と私人がある以上、建前と本音があり、それは厳密に使い分けられなければなりません。アベ氏も東京都知事もそのあたりに不足があるように思います。それは政治家として必要な常識と判断力であり、「常識と判断力の欠如」という表現になったのでしょう。雁屋さんは、常識と判断力に加えて理性が欠如していると言っています。ものを理解する能力も足りないと考えられているようですが、その可能性は相当高いでしょう、判断力は理性の働きが必要ですし。
ついでに、北方領土に関しての話ですけど、いくらアベ氏が「私とプーチンが決断する」と言っても、どう考えても双方が望む形で解決するとは思えません。客観的に見て、落としどころは二島返還しかありません。でも、その現実的な落としどころから出発して交渉するということはできません。ロシアの立場からは、北方領土はロシアが実効支配しており、北方領土はシベリア開発に関しての交渉の切り札と思っているでしょうから、いくらアベ氏が力もうとも、出すものを出さない限り、前には進まないでしょう。一方、日本政府は出すものを出すメリットはないと思っており、今のところ交渉する気もないのが本音だと思います。沖縄基地問題や原発処理問題と同じ構造で、問題を延々と先送りすることが、政府にとっては得策なのでしょう。問題が無くなってもらっては彼らは逆に困るのです。それをネタに税金を回してそのおこぼれを貰うのが仕事ですから。