週末、ポスドク時代の知り合いが亡くなったという知らせを受けました。多分最後に会ったのは10年ぐらいは前の学会だったように思います。病気になってからウェッブサイトで病状報告をしていたようですが知りませんでした。地方大学で教鞭をとっていましたが、そのウェブサイトの記録によると、最初に腹痛で見つかってから、わずか5ヶ月ほど、亡くなる一月前まではまずまずだったようですが、化学療法を試してから急激に悪くなったようです。
その記録を読んでいると、彼の口調が蘇ってきて、なんとも言えない感情が湧きあがってきます。映画のシーンのように昔のことが思い浮かびます。そして、映画が終わった後、知らぬ間に観客が去って行って、ふと自分だけが取り残されていることに気づく、そんな感覚を覚えるのです。映画は終わったけど、みんなはもういない、一体、自分はこの後、どうすればいいのだろう、そんな途方にくれたような気分になります。
自然と「善き者は逝く」とつぶやいていました。
一緒に研究室で過ごした日々が昨日のことのようです。あれから十数年が経ったのだ、もう自分も含めて何があってもおかしくない時期に来ているのだとあらためて思いました。
忘れたころや予期しない時にこそ、物事の終わりはふと訪れるのかも知れません。私は死ぬ時は跡を残さずにすっと去りたいものだと思います。そのために、この数年来、そろそろ終わり方を考えよう(でもまだいいか)と、折に触れては思いついては先延ばしにしてきたことですが、今年のグラントが落ち着いたら、ジックリ取り組むか、と思いました。
その記録を読んでいると、彼の口調が蘇ってきて、なんとも言えない感情が湧きあがってきます。映画のシーンのように昔のことが思い浮かびます。そして、映画が終わった後、知らぬ間に観客が去って行って、ふと自分だけが取り残されていることに気づく、そんな感覚を覚えるのです。映画は終わったけど、みんなはもういない、一体、自分はこの後、どうすればいいのだろう、そんな途方にくれたような気分になります。
自然と「善き者は逝く」とつぶやいていました。
一緒に研究室で過ごした日々が昨日のことのようです。あれから十数年が経ったのだ、もう自分も含めて何があってもおかしくない時期に来ているのだとあらためて思いました。
忘れたころや予期しない時にこそ、物事の終わりはふと訪れるのかも知れません。私は死ぬ時は跡を残さずにすっと去りたいものだと思います。そのために、この数年来、そろそろ終わり方を考えよう(でもまだいいか)と、折に触れては思いついては先延ばしにしてきたことですが、今年のグラントが落ち着いたら、ジックリ取り組むか、と思いました。