tetsudaブログ「どっぷり!奈良漬」

コロナも落ちつき、これからが観光シーズン、ぜひ奈良に足をお運びください!

募集開始! 古事記1300年記念ツアー 「バスで巡る!神武天皇の聖蹟」(第9回古社寺を歩こう会)

2012年02月16日 | 古社寺を歩こう会
お待たせしました! 恒例の「古社寺を歩こう会」の参加者を募集します。第9回の今回は、「古事記完成1300年」を記念し、「バスで巡る!神武天皇の聖蹟(せいせき)」と題して、3月24日(土)の1日で、県下の神武天皇ゆかりの地(7か所)すべてをバスで訪ねます。こんなツアーは、神武以来(!?)だと思います。

記紀には「神武東征」(※注)神話が登場します。日本の初代天皇である神武天皇が九州の日向を発ち、大和を征服して橿原宮で即位するまでの説話です。東征の伝承地19か所には、戦前の文部省が、昭和15年の「紀元二千六百年奉祝事業」として、「神武天皇聖蹟顕彰碑」を建てました。うち奈良県には、最多の7か所があります。それは

鵄邑(とびのむら) 生駒市上町 出垣内バス停東南の丘
丹生川上(にふのかわかみ) 東吉野村(丹生川上神社中社摂社 丹生神社北側)
○菟田穿邑(うだのうかちのむら) 宇陀市菟田野区宇賀志
菟田高倉山(うだのたかくらやま)  宇陀市大宇陀区守道高倉山頂
○狭井河之上(さいがわのほとり) 桜井市茅原(狭井神社の北)
○鳥見山中霊畤(とみやまなかのまつりのにわ) 桜井市(等弥神社の南側)
○磐余邑(いわれのむら) 桜井市吉備(春日神社の北側)



トップとこの写真は東大阪の「孔舎衛坂(くさえのさか)顕彰碑」(東大阪市日下町8丁目山中)。ここで長髄彦(ながすねひこ)軍と戦った。ソムリエ仲間と歩いた「日下の直越(ただごえ)ツアー」(1/29)で

これらすべてを1日で回り、神武東征を偲ぼうという「ニッチでマニアックでよくばり」な特別ツアーです。私はこれから下見に行きます。ご案内役は、奈良県観光ボランティアガイド連絡会会長の木村三彦さんです(すでに下見してくださいました)。記紀や神武東征にまつわるエピソードを、やさしくかみくだいて説明されます。ざっとした旅程は、以下のとおりです。

午前8時半前後にJR・近鉄奈良駅を出発。生駒市→東吉野村→宇陀市へ。高倉山(大宇陀)へは、バスを降りて片道約400mの道を歩きます。昼食は下山後になりますので、午後1時を軽く過ぎてしまいます。そのあと移動の車中で、以前大好評を博した今阪屋旅館さん(大宇陀)の薬膳風弁当をいただきます。午後は桜井市内の3か所を回り、午後5時半頃(予定)、桜井駅に到着・解散。希望者は、これも前回ご好評いただいた桜井駅構内の贔屓屋で打ち上げ(懇親会)。

貸切バスの車中の時間を利用して「奈良まほろばソムリエ友の会」メンバーなどが、記紀や神武東征にまつわるお話をさせていただきますので、予備知識のない方でも、バスに乗っているうちに、知らず知らずのうちに「記紀通」になって帰ることができます。


この写真は、東大阪の「盾津(たてつ)顕彰碑」(東大阪市日下町6丁目)。このように同じデザイン、同じ大きさの立派な碑を文部省が建立したのである

参加費用は、貸切バス代、昼食の弁当代、資料代、傷害保険料などを含んで@4,500円の予定。希望者による打ち上げは、別途@3,000円(女性は@2,500円)の予定です(フリードリンクつき)。お申し込みの締め切りは2月29日(水)といたします。今回は「古事記1300年記念特別ツアー」として、バスは2台確保しましたので、ぜひお友達もたくさんお誘い下さい。お申し込みの際は、

1.ご住所
2.お名前
3.携帯電話番号(またはご自宅の電話番号)
4.乗車地(JR奈良駅、近鉄奈良駅の別)
4.打ち上げ参加の有無


を明記の上、以下の専用アドレスあてメールをお送りください(グループでご参加の場合、ご住所と電話番号は代表者のみで結構ですが、お名前は全員の氏名をお知らせください。また打ち上げ参加の有無も、全員分をお知らせ願います)。携帯ではなく、パソコンからお送りください。着信があり次第(約1週間以内に)、私から返信いたします。直前(3月17日以降)のキャンセルは、お1人1,000円を申し受けます。
※「ナント・なら応援団」のメンバーには別途、申込書を郵送しますので、そちらからお申し込みください。

kojiki@goo.jp

わずか1日で、県下の神武天皇聖蹟すべてを回るという、神武以来の「特別ツアー」です。今回のツアーは、記紀にお詳しい木村三彦さんと、奈良交通さんの格別のご協力により実現するものです。この場で厚く御礼申し上げます。皆さん、古事記完成1300年の特別企画に、奮ってご参加ください!

(※注)神武東征(平凡社『世界大百科事典』)
日向の国の高千穂宮 (たかちほのみや) にいた神武は,兄五瀬 (いつせ) 命とはかり,〈どの地を都とすれば安らかに天下を治められようか,やはり東方をめざそう〉と日向を出発する。

途中,宇佐,筑紫,安芸,吉備を経歴しつつ瀬戸内海を東進して難波に至り,そこで長髄彦(ながすねひこ) と戦って五瀬命を失う。神武の軍は南に搭回して熊野に入ったところを化熊に蠱惑 (こわく) されるが,天津神の助力によって危地を脱し,天津神の派遣した八咫烏 (やたがらす)の先導で熊野・吉野の山中を踏み越えて大和の宇陀に出る。

ここで兄猾 (えうかし),弟猾 (おとうかし)を従わせ,以後,忍坂 (おさか) の土雲八十建 (つちぐもやそたける),長髄彦,兄磯城 (えしき),弟磯城 (おとしき)らの土着勢力を各地に破り,大和平定を成就する。さらに別に天下っていた饒速日 (にぎはやひ) 命も帰順して,神武は畝傍 (うねび) の橿原 (かしはら) を都と定め天下を統治するに至った。
コメント (2)
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