奈良日日新聞に毎月連載されている「地域に生きる」に掲載された大浦悦子さんおよび林美佳さんを紹介してきて、大事な人を忘れていたことに気がついた。「喫茶去 庵(きっさこ あん)」の平野重夫さんである。平野さんは今年(2014年)の11月8日、「人生の楽園」(テレビ朝日系)に登場され、地元ではすっかり有名人になった。茶道を教えておられるが、お酒もめっぽう強い。西久保智美さんの「地域に生きる」には、昨年(2013年)3月に登場された。では、全文を紹介する。
※トップ写真は「旅の発見」のホームページから拝借
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/13/a2/5c4a4a8e89f0678b4dd0b33978b08285.jpg)
この写真は朝日新聞から拝借
奈良町で茶の湯体験
喫茶去 庵 平野 重夫さん
奈良町で、気軽に「茶の湯」体験ができると、外国人旅行者や観光客に人気の「喫茶去 庵(きっさこ・あん)」。庵主の平野重夫(茶名=宗重)さんが、立礼席でのお点前から和室での茶会体験など、作法のいろはを分かりやすく説明しながら、丁寧に指導する。
東京で会社員だった平野さんがお茶を始めたのは、今から30年ほど前。大阪への転勤を機に奈良へ引っ越し、休日は発掘ボランティアとして平城宮跡の現場に通っていた時のこと。出土した土師器や須恵器などの日本の焼き物に興味を持ったのがきっかけだった。「最初は考古学から興味を持ったのですが、いざお茶を学び始めると、作法や焼き物だけでなく、建築や書、花、漆など、日本文化の集大成ともいえるお茶の世界の奥深さにはまりました」と話す。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6a/27/fd63cb73fed62130ec67168a99731305.jpg)
以下の写真と画像は、お店のホームページから拝借
もともとは1年の予定だった大阪勤務も、公私ともに充実した日々を過ごしていた平野さんは、東京への異動の内示を断った。「浅草出身の私は、昔ながらの下町の良さを感じる奈良に惹かれた」と終(つい)の住処(すみか)を奈良に決め、茶道以外にも華道や焼き物も始めた。「東京の下町がどんどん変わっていくなか、奈良は古い町並みも残り、近所がみんな親戚というような、あったかい空間が残っていた」
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1e/ac/d578205bd89fb344ea2065820cbd9bf2.jpg)
10年近く大阪で働いた後、再び東京勤務になっても週末は、お茶を教えるために奈良へ帰郷。そして退職を機に、平成22年7月に「喫茶去 庵」を開いた。茶会体験は価格も京都に比べると安めに設定されており、手軽に日本の文化を体験できると外国人の間で話題になっている。説明も通訳任せにせず、できる限り平野さんが挑戦。「外国の人たちにシンプルにお茶を説明することで、お茶になじみのない日本の人たちにも分かりやすく伝えられるようになった」そうだ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4b/27/be29b0723a629c4014b2e4dd294065ad.jpg)
お茶会では、「作法にとらわれることなく、心と心のふれあいとおもてなしを楽しんでほしい」と。体験をきっかけに、日常の中で抹茶を飲む機会が増えることを願っている平野さん。第二の故郷奈良で、茶の心をこれからも伝えていく。
以前「なら再発見」(産経新聞)に書いたことがあるが、大和とお茶の結びつきは古い。日本でのお茶は大同元(806)年、弘法大師・空海が唐から茶の種を持ち帰って室生にまき、製法を伝えたことに始まるといわれる。西大寺の叡尊(えいそん)は、弘安9(1286)年、「殺生禁断」を条件に宇治橋を改修するとともに、宇治川の漁師に茶の栽培を教えて生業とさせ、それが後の宇治茶盛業の起源になった。今も西大寺では叡尊をしのんで大茶盛(おおちゃもり)式が営まれる。
わび茶を完成したのは千利休だが、開祖は村田珠光(じゅこう)だ。珠光は室町時代中期、11歳で得度し、奈良市の称名寺(しょうみょうじ)に入った。吉野郡で生まれた武野紹鷗(じょうおう)は、珠光が基礎を築いたわび茶を洗練し、精神性を高めたとされる。紹鷗からわび茶の精神を受け継いだのが千利休、津田宗及(そうぎゅう)、今井宗久(そうきゅう)で「天下三宗匠」と並び称される。今井宗久は橿原市今井町の出身といわれる…。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/65/80/00e0f16601c5dea330a2166ec1444eac.jpg)
閑話休題。浅草出身で東京で勤務されていた平野さんが奈良に魅せられ、定年後、本格的なお抹茶を楽しめ、茶の湯体験もできるお店を奈良町に開店された。奈良にとって、こんな嬉しいことはない。平野さんはいつお会いしても、溌剌としておられる。
テレビでは、奥さんの存在感が大きかった。ぜひこれからも、奥さんと二人三脚で「喫茶去 庵」を大いに盛り立てていただきたい。平野さん、期待していますよ! 西久保さん、素晴らしい記事を有難うございました!
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この写真は朝日新聞から拝借
奈良町で茶の湯体験
喫茶去 庵 平野 重夫さん
奈良町で、気軽に「茶の湯」体験ができると、外国人旅行者や観光客に人気の「喫茶去 庵(きっさこ・あん)」。庵主の平野重夫(茶名=宗重)さんが、立礼席でのお点前から和室での茶会体験など、作法のいろはを分かりやすく説明しながら、丁寧に指導する。
東京で会社員だった平野さんがお茶を始めたのは、今から30年ほど前。大阪への転勤を機に奈良へ引っ越し、休日は発掘ボランティアとして平城宮跡の現場に通っていた時のこと。出土した土師器や須恵器などの日本の焼き物に興味を持ったのがきっかけだった。「最初は考古学から興味を持ったのですが、いざお茶を学び始めると、作法や焼き物だけでなく、建築や書、花、漆など、日本文化の集大成ともいえるお茶の世界の奥深さにはまりました」と話す。
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もともとは1年の予定だった大阪勤務も、公私ともに充実した日々を過ごしていた平野さんは、東京への異動の内示を断った。「浅草出身の私は、昔ながらの下町の良さを感じる奈良に惹かれた」と終(つい)の住処(すみか)を奈良に決め、茶道以外にも華道や焼き物も始めた。「東京の下町がどんどん変わっていくなか、奈良は古い町並みも残り、近所がみんな親戚というような、あったかい空間が残っていた」
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10年近く大阪で働いた後、再び東京勤務になっても週末は、お茶を教えるために奈良へ帰郷。そして退職を機に、平成22年7月に「喫茶去 庵」を開いた。茶会体験は価格も京都に比べると安めに設定されており、手軽に日本の文化を体験できると外国人の間で話題になっている。説明も通訳任せにせず、できる限り平野さんが挑戦。「外国の人たちにシンプルにお茶を説明することで、お茶になじみのない日本の人たちにも分かりやすく伝えられるようになった」そうだ。
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お茶会では、「作法にとらわれることなく、心と心のふれあいとおもてなしを楽しんでほしい」と。体験をきっかけに、日常の中で抹茶を飲む機会が増えることを願っている平野さん。第二の故郷奈良で、茶の心をこれからも伝えていく。
以前「なら再発見」(産経新聞)に書いたことがあるが、大和とお茶の結びつきは古い。日本でのお茶は大同元(806)年、弘法大師・空海が唐から茶の種を持ち帰って室生にまき、製法を伝えたことに始まるといわれる。西大寺の叡尊(えいそん)は、弘安9(1286)年、「殺生禁断」を条件に宇治橋を改修するとともに、宇治川の漁師に茶の栽培を教えて生業とさせ、それが後の宇治茶盛業の起源になった。今も西大寺では叡尊をしのんで大茶盛(おおちゃもり)式が営まれる。
わび茶を完成したのは千利休だが、開祖は村田珠光(じゅこう)だ。珠光は室町時代中期、11歳で得度し、奈良市の称名寺(しょうみょうじ)に入った。吉野郡で生まれた武野紹鷗(じょうおう)は、珠光が基礎を築いたわび茶を洗練し、精神性を高めたとされる。紹鷗からわび茶の精神を受け継いだのが千利休、津田宗及(そうぎゅう)、今井宗久(そうきゅう)で「天下三宗匠」と並び称される。今井宗久は橿原市今井町の出身といわれる…。
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閑話休題。浅草出身で東京で勤務されていた平野さんが奈良に魅せられ、定年後、本格的なお抹茶を楽しめ、茶の湯体験もできるお店を奈良町に開店された。奈良にとって、こんな嬉しいことはない。平野さんはいつお会いしても、溌剌としておられる。
テレビでは、奥さんの存在感が大きかった。ぜひこれからも、奥さんと二人三脚で「喫茶去 庵」を大いに盛り立てていただきたい。平野さん、期待していますよ! 西久保さん、素晴らしい記事を有難うございました!