鳥瞰ニュース

空にいるような軽い気分で・・・

秋葉原の無差別殺傷事件で思ったこと(その1)

2008年06月09日 21時16分54秒 | 個人的主張など
事件の詳細が解る前だが思ったことを書いてみたい。直感的結論を先に書いてみようと思う。あくまで市井の人間としての私個人の直感でしかないけれど・・・。

①死刑制度に依存する消極的自殺なのではないか?
②マゾヒズムを叶えられなかったことによるサディズムなのではないか?
③特攻攻撃を発案した周辺との類似性があるのではないか?

①については、説明の必要がないかも知れない。7年前の池田小学校事件では、犯人は「死刑になりたかった」と供述し、希望通り死刑になった。まんまと、本人のシナリオ通りになった。死刑制度を悪用されたと言えるだろう。人が殺されるという状況が絶対的な悪として死刑制度はもちろんのこと戦争もない世のなかであれば、このような消極的自殺はないだろうと思う。

②について。様々な困難や失敗を積み重ねて人は多くを学ぶ。大抵が失敗の連続で大きな成功など一つでも有るか無しかという位が一般的庶民生活というものだ。それらの失敗に対する耐性(マゾヒズム的快感)を感得しない内に、爆発してしまったのだろう。漫画やアニメの過剰な暴力描写に現実感を失い、夢と現実とのギャップに自分の居場所を見いだせなくなったのではないか。そしてその結果の破滅衝動が発作的サディズムになってしまったのではないか。

③について。実は昨日の事件の衝撃からか、今朝がた悪い夢を見た。自分が特攻隊員になって出撃する間際の状態にいる夢だ。片道の燃料しか入れてもらえないのだから生き残れる筈はない。そこで私は誰に相談することもせず、どうしたら生き残れるか、その方法だけを考えているという夢だった。燃料が半分近くになったところで、故障を理由に引き返そうか、それとも、途中で島でも見えたら、岸近くに不時着してしまおうか・・・などと考えているのだった。

特攻隊については、亡くなった隊員達については何も言うべきことがない。まことにお気の毒なことで、大変な犠牲を強いられた無念はいかばかりだっただろうと思う。

しかし特攻攻撃を発案した旧軍隊の上層部とその周辺事情は、無差別連続殺傷事件と類似しているのではないかと思ったのだ。片や国をあげての戦争状況でのこと、片や全く一人の個人の精神状態であっても、似ていると思われるのだ。勝ち目のない戦いを何の希望もなく投げ遣りに好戦的につきすすんでしまったということではないかと思ったのだ。片や兵士を犠牲にするのにためらいもなく、片や人生を捨てるのに他人を巻き添えにした。双方とも理性を失った自滅的発作なのだろうと思う。

(つづく)
敢えて(その1)とした。おそらく詳細がわかってくるにつれ、また思うところを書かずにはいられなくなるだろう。

コメント (8)
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