インターネットのポータル(玄関)サイト最大手のヤフーは13日、東京・秋葉原で17人が死傷した無差別殺傷事件で凶器として使われたダガーナイフの取り扱いを、運営するショッピングとオークションの両サイトで全面禁止した。(読売新聞より抜粋)
サバイバルナイフというよりも、今回の事件によってダガーナイフという特定短剣が広く知られることになったようだ。Wikipediaのその項を読んでみると、『・・・急所を的確に狙わないと致命傷を与えられないため、武器としての絶対的な威力はあまりない・・・』とある。
とはいえ今回の事件では、大変な数の犠牲者だ。不運が重なった結果なのだろう。マスコミは亡くなった方々の事は、ことさら詳しく報道する。遺族に対しても当たり前のように群る。気の毒で観ていられない。やりきれないだろうなと思う。
救命救急の仕事に携わっている知人と話す機会があった。あれだけの人がいて、咄嗟の行動力のある善意の人もいて、偶然に居合わせた優秀な医師もいて、的確に指図も出して処置も心臓マッサージもして救急車もかなり早く到着したようなのに、動脈をやられたら救命は難しいのか? と聞いてみた。
動脈の場合は血が本当に噴き出すという。手足の場合だったら、拳などですぐに心臓側の動脈を押さえつけないといけないそうだ。噴出を止める止血が是非とも必要だとのことだ。手足なら止めることはできる。
しかし胴体部の大動脈がやられた場合だと難しいそうだ。病院で医者が見守るなかでの事なら血管を取り出してダイレクトに処置するなり輸血するなりで対処の仕様はあるだろうけれど、そうでない場合は・・・??ということらしい。
心臓が止っていたら、心臓マッサージをしなくてはならない。そうすると出血を促してしまう。でもマッサージを止めるわけにはいかないということになるという。亡くなった七人中の、刺されて亡くなった四人は皆、不運にも大動脈を傷つけられたことによる失血死なのだろう。
ダガーナイフやその発展した銃剣などを所持する感覚とはどういうものなのだろう。対人だけを目的にしたナイフだ。持つ人のほとんどが観賞用あるいはフェティシズムとしてのコレクション目的でしかないだろう。妄想気味にシミュレーションすることがあるにしても、実際の行為に走ることはない。いざ実行までには何重ものバリケードがあるはずだ。自分が持つことによって『一つの武器が対人殺傷能力を封印された』という喜びを感じたりもするのだろうか。
かなり前になるが、ある人から、コレクションしている数挺のクラシック・ピストルを見せてもらったことがある。古美術品扱いのものらしいが、とても奇異な感覚を持った覚えがある。実際に使われたこともあるだろうピストルを、個人でコレクションして眺めるという事に怖気のような気分を感じた。しかも自慢のコレクションは自室の壁に五六挺も飾られていた。
短剣、ピストルなどの小型携行武器は護身のため、個人の尊厳を保つために発展してきた歴史をもつのだろうか。そのような願いが込められ、形の美しさが洗練されていったにしても、機能の持つ禍々しさは独り歩きをする。
被疑者がフル装備の兵士姿をした画像が公表されている。武装することの怖れよりも、全能感のようなものに支配されて高揚するタイプだったのだろう。ゲームや空想の中だけで楽しんでいたらよいものを、その中から飛び出してきてしまった悲劇だ。バック・トゥ・ザ・イマジネーションと言ったところでもう遅い。
ダガーナイフの行政からの規制や、扱う業者の自主規制などを見聞きすると、それなら自衛隊はどうなのだ、と思う。軍隊は戦争をするためのものだ。軍隊とてダガーナイフと同じではないか。機能の持つ禍々しさが独り歩きしないうちに何とかしなくてはならないのは、最大の暴力装置たる軍隊軍備なのだろう。
サバイバルナイフというよりも、今回の事件によってダガーナイフという特定短剣が広く知られることになったようだ。Wikipediaのその項を読んでみると、『・・・急所を的確に狙わないと致命傷を与えられないため、武器としての絶対的な威力はあまりない・・・』とある。
とはいえ今回の事件では、大変な数の犠牲者だ。不運が重なった結果なのだろう。マスコミは亡くなった方々の事は、ことさら詳しく報道する。遺族に対しても当たり前のように群る。気の毒で観ていられない。やりきれないだろうなと思う。
救命救急の仕事に携わっている知人と話す機会があった。あれだけの人がいて、咄嗟の行動力のある善意の人もいて、偶然に居合わせた優秀な医師もいて、的確に指図も出して処置も心臓マッサージもして救急車もかなり早く到着したようなのに、動脈をやられたら救命は難しいのか? と聞いてみた。
動脈の場合は血が本当に噴き出すという。手足の場合だったら、拳などですぐに心臓側の動脈を押さえつけないといけないそうだ。噴出を止める止血が是非とも必要だとのことだ。手足なら止めることはできる。
しかし胴体部の大動脈がやられた場合だと難しいそうだ。病院で医者が見守るなかでの事なら血管を取り出してダイレクトに処置するなり輸血するなりで対処の仕様はあるだろうけれど、そうでない場合は・・・??ということらしい。
心臓が止っていたら、心臓マッサージをしなくてはならない。そうすると出血を促してしまう。でもマッサージを止めるわけにはいかないということになるという。亡くなった七人中の、刺されて亡くなった四人は皆、不運にも大動脈を傷つけられたことによる失血死なのだろう。
ダガーナイフやその発展した銃剣などを所持する感覚とはどういうものなのだろう。対人だけを目的にしたナイフだ。持つ人のほとんどが観賞用あるいはフェティシズムとしてのコレクション目的でしかないだろう。妄想気味にシミュレーションすることがあるにしても、実際の行為に走ることはない。いざ実行までには何重ものバリケードがあるはずだ。自分が持つことによって『一つの武器が対人殺傷能力を封印された』という喜びを感じたりもするのだろうか。
かなり前になるが、ある人から、コレクションしている数挺のクラシック・ピストルを見せてもらったことがある。古美術品扱いのものらしいが、とても奇異な感覚を持った覚えがある。実際に使われたこともあるだろうピストルを、個人でコレクションして眺めるという事に怖気のような気分を感じた。しかも自慢のコレクションは自室の壁に五六挺も飾られていた。
短剣、ピストルなどの小型携行武器は護身のため、個人の尊厳を保つために発展してきた歴史をもつのだろうか。そのような願いが込められ、形の美しさが洗練されていったにしても、機能の持つ禍々しさは独り歩きをする。
被疑者がフル装備の兵士姿をした画像が公表されている。武装することの怖れよりも、全能感のようなものに支配されて高揚するタイプだったのだろう。ゲームや空想の中だけで楽しんでいたらよいものを、その中から飛び出してきてしまった悲劇だ。バック・トゥ・ザ・イマジネーションと言ったところでもう遅い。
ダガーナイフの行政からの規制や、扱う業者の自主規制などを見聞きすると、それなら自衛隊はどうなのだ、と思う。軍隊は戦争をするためのものだ。軍隊とてダガーナイフと同じではないか。機能の持つ禍々しさが独り歩きしないうちに何とかしなくてはならないのは、最大の暴力装置たる軍隊軍備なのだろう。