鳥瞰ニュース

空にいるような軽い気分で・・・

秋葉原の無差別殺傷事件で思ったこと(その3)

2008年06月12日 20時50分03秒 | 個人的主張など
今回の事件に対して、インターネット上に示された文章や見解を少し読んでみた。さまざまな切り口で書かれてある。マスコミが独占していた部分にインターネットが確実に侵入し凌駕しはじめている。

誰でもがカメラ付き携帯電話を持ち、その場で俄記者になって発信し、ブログにも記事を書くということだ。人が大勢いたら事件現場で野次馬となる人もいれば、いち早く被害者を救護する人もおり、AEDを取りに走る人もいれば、心臓マッサージをする人もいる。それが群集だ。

朝のワイドショーでは、キャスターが常識人の代表のような顔で理解できないと首を傾げ、被疑者を非難する。大成功したカリスマ・スノッブ達の実(じつ)のないコメントを聞いて視聴者は満足するものなのだろうか? 

被疑者は犯行予告について、「見た人に犯行を止めてほしかった」と語っているようだ。『やはり・・』と思う反面、自分で語り始めたのか、どういう言い方で言っているのか、そのように問いかけられて、ただ頷いただけなのか、などと疑問がどんどん湧いてくる。新聞記者はそういうところを警察にきちんと聞こうとしているのだろうか?

今までに冤罪を始めとして多くの問題を起こした密室の取調べなので、本当の所は見えてこない。取り調べる担当刑事と、新聞記者達を前に発表する人間は別人だ。彼らの間に、もしかしたらもう一人二人の人間が介在し、文書もはさまるのかも知れない。検察にしたってそうだ、取調べ担当と裁判担当は必ず別の人間で、裁判では書類だけで、担当検事は犯罪を証明していくのだ。

本当に本当のところを知りたい。この被疑者は人を殺すということがどういう結果をもたらすのかをどの時点まで、どの程度まで想像力を働かせていたのか、いなかったのか? ためらいはどの程度まであったのか? 最後のボタンを押させたのは何だったのか?

無差別に本当に大量殺人をしようと思っていたのか、意外にも大量に殺せてしまったという事だったのか? それとも携帯サイトに書き込んでも書き込んでも誰も反応しないから、ネットに創り上げた人格に自分が乗り移らなければならないと思い始めたのか?

そのようなことが次々と頭のなかで渦巻く。想像してもせん無いことだけれど、被疑者には、7人が亡くなり負傷者がそれ以上ということを伝えた上で、本人が語るに任せた形での供述を望みたい。しゃべらされるのでも誘導されるのでもなく、同意をもとめられるのでもなく、本人がしゃべるまで待っての供述があれば、是非それを知りたいなどと思う。

町村官房長官はサバイバルナイフの規制強化を検討すると語ったそうだ。秋葉原の歩行者天国をやめようという動きもあるそうだ。一つの乱暴な事件があり、それを理由に、使われた道具を規制し人の動きをも規制しようというのは全く乱暴な話だ。小手先の場当たり対策をしたって何の意味もない。

ある番組では、派遣社員の立場がいかにひどいものであるか詳しく紹介されていた。被疑者は不安と不満を強く持っていた。犯行の意図がどうであれ、結果的に、この事件が派遣社員、契約社員などの地位向上、格差是正を促すかも知れない。そのように願いたい。



コメント (4)
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