鳥瞰ニュース

空にいるような軽い気分で・・・

秋葉原の無差別殺傷事件で思ったこと(その2)

2008年06月11日 12時44分59秒 | 個人的主張など
今回の事件では、犯人は掲示板に多くの不安や不満を書き込んでいるようだ。犯行当日には予定や行動を書き込んでいる。それらは自分の決行意志が固いことを誇示する意図や、自分の退路を絶つという意味もあるだろうが、『誰か自分の行動を止めてくれ』という叫びであったのかも知れない。

犯行に走り始めた実行時は、シミュレーションをなぞる無我夢中の行動であったのだろうが、警察官に銃を向けられた途端に犯人は抵抗することもなく逮捕されたという。そのことからいろいろと思うことがある。

これがアメリカであったなら、ナイフのかわりに銃が使われ犯人は当然のように射殺されるか、自分で自分を最後に始末するのだろう。この犯人は警官に威嚇発砲をされる必要すらなく、自分にナイフを突きたてることもなかった。

ようやく止めてもらえたという安堵だったのだろうか。その後の取調べであれ、裁判の法廷であれ、注目を集めながら自分の気持ちを存分に述べるために思い描いた予定通りの逮捕シーンだったのだろうか。

後付けではあるが、あのシーンは、劣等感と自己嫌悪の末に自暴自棄になったというだけではなく、被害者意識から身の不運を呪って社会全体に報復しようとした人間の、精神の脆弱さを見事に象徴しているように思う。

今回の事件は、警察や検察にまかしておいていいのだろうか? 現行犯で逮捕され、これだけ証拠がそろっていても、警察検察は毎日毎日多くの作文をつくり被疑者に指印を押させるのだろう。

取調べに素直に応じているとして多くの供述のさわりが発表されているが、本当に肉声なのだろうか?こんな事件こそ、密室の取調べをやめて部分的であれ公開されるべきではないか。始めから、心理学者や精神科医や福祉関連専門家などがチームを組み、被疑者に向き合うべきではないのか。

そうして、様々な面から検討して途中経過から討論、結論まで公開して欲しいと思う。そんな道はないのだろうか。特例として誰かトップ(?)の人間が英断することはできないのか? 切に願うが、どうしたって無理なのだろうな。

連鎖反応が怖いのだ。頼るものもなく、理解されることもなく、未来に希望を描けない、はぐれ兵士がそこらじゅうに潜んでいるようで無気味だ。人をないがしろにした経済、情愛を忘れたゲームによって、兵士がどんどん生産されているような気配ではないか。

コメント (2)
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