散歩の途中、普通の民家にこんな看板を発見。私は中国を旅しているのではないのです。その証拠に見慣れた電力計ボックス。さらに下を見れば、信楽焼の狸。揚子江は、中国のあの大河と同じ字なのかが疑われて、帰宅してから調べたほど。
天理教に対し、私は何の偏見も持っていないつもりだし、この画像をこのように出しても問題にはならないだろうと思いたい。念のために天理教揚子江分教会を検索してみたら、ちゃんと宇治市に存在するとわかった。
揚子江という町名ではなさそうだし、なぜなのか気になるけれど飛び込んだり深入りしたりせず『こういうこともあるだろうさ』と受け入れたい。と言うより受け流す。